自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・アレゲニー セントラル鉄道:CPRのライト パシフイック機たち
(CPR:カナデアン パシフイック鉄道)
35.   アレゲニー山中の CPR1286・バージニア

〈0002:〉
アレゲニーのパシフィック・

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〈紀行文〉
 秋の高原の朝は寒かった。コビングトンの基地を再び7時半頃にのぞいて見ると、ボランティアの青年が現れて、SLのお化粧に取り掛かった。先ず洗剤を振りかけて、丁寧に水で流していた。今日の休日は既に秋も深まっており運転シーズン」も終りに近くなったので、訪れる人々は少なくなって来た。今日は乗客がなければ走れないとのこと。私が乗車したいと云えばよいのだが、それでは写真が撮れないし、二回目の運転はとてもありそうには無かったから、心配なことは、この上もなかった。
もう一大の.1238機は足回りの動輪を抜かれて、枕木の上に鎮座しており、重整備の最中のようであった。
 また、創立者のショウアルターさんの考え方であろうか、ここのカナデアン・パシフィックの出で立ちは全くアメリカ風にペイントされているのには驚かされた。これにはんして、前に訪れたスチーム・タウンがCPRの伝統的な外観である、ワインレッドのランボードとキャブ、淡いブルのボイラー胴、淡黒の煙室、ゴールドのレタリング(金文字)などをかたくなに守っているのとは全く大違いの考えであったことだ。
 1980年現在の北米におけるCPRのぱしふぃくの動態保存機なか天スチーム・タウン・USA:
aD1246、クラス G5C、モントリオール機関車会社・1946製
aD1278、クラス G5d、カナデアン機関車会社・1948年製
aD1293、クラス G5d、カナデアン機関車会社・1948年製
aD2317、クラス G3c、−−−−、1919年製
・アレゲニー・セントラル鐵道:
aD1286、クラス G5c、カナデアン機関車会社・1946年製
aD1238、クラス G5c、モントリオール機関車会社・1946年製
・おたわ博物館:
aD1201、クラス G5a、CPR工場、1944年製

  このようにCPRの軽量パシフイック形のSLが北米で保存され運転されている所が多くある。これはカナダのディーゼル化がアメリカより数年遅かっただけの理由ではなく、旅行や通勤における鉄道の地位が高く、CPR は多くの支線に使用された近代化蒸機を持っていた事にもよるだろう.その理由はカナダ国鉄との激しい競争がローカル線の隅々まで旅客用SLを最終段階まで新造させ続ける背景にあったとする解説もあるようだ。
  次いで、CPRの軽量パシプィックの系譜を概説しておこう。
・クラス G1、G2では、動輪径が70吋と75吋の二種類のパシフィックがあり、共に重量120tものもので166輛製造されて貨物、
旅客用の兼用が原則であったし、
軽量級のため支線にも入れた。
・クラスG3〜4は1919年に同様の考え方で造られ、動輪は70、75インチとして、客車重量の増加に従って増量された重量級になっている。
・クラスG5は北アメリカにおいて最も新しく製造されたパシフィック型であるが、元来は1906年に設計されたくらす G1,2が源流になっている。1944年の春、支線用の古い クラス G1,G2の代替機として、G5型が作られたのである。
70吋の動輪を持った軽量級で、ローラーベアリングと強制潤滑などの近代化が行なわれ大成功であった。このG5の軽量級パシフィックは製造年次により aから d に分れ、.1200〜1301の102輛が作られた。

撮影:1980年
発表:「レイル」誌・1980年一二月冬の号

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・「アレゲニー セントラル鉄道:CPRのライト パシフイック機たち」のリンク
034. 初秋のアレゲニー山地を行く高原列車・バージニア州


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