自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・デトロイト・シチズン・レイルウェイ:デトロイト市/ミシガン州
017.
モータウンのトロリー路面電車の復活
・市内ダウンタウン
〈0001:デトロイトの風物詩〉
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〈紀行文〉
旅のつれづれにデトロイトの市内地図を出して鉄道線路を追っていると、結構ヒマつぶしになるものだ。自動車の都デトロイトにはCR(コンレイル)、NS(ノーフォーク・サザン(、CSX、GTW(グランド・トランク・ウェスタン)の四大鉄道に加えて、DT&I(デトロイト・トレド・アンド・アイロントン)、D&TSL(デトロイト・アンド・トレド・レイクショア・ライン)などのショートライン鉄道が出入りしているにぎやかさである。これらの鉄道はデトロイト近郊の各所にある部品工場から全米に散在する自動車組立工場へと、大量の自動車部品がボックスカー(有蓋貨車)やコンテナーで、また近くの組み立て工場で完成したばかりのサンダーバードやキャデラックが三段積み貨車に載せられて長い貨物列車の中に連結されて搬出されて行くのだった。近年のカナダ国内での自動車関連産業の発展はめざましく、トンネルを通過する列車数も増加しているとのことである。ダウンタウンに向かうハイウエイの道すがら、色とりどりの塗装の車体に会社のロゴやスローガンを大書きした貨車がノロノロとガードの上を動いているのが目につくのも、自動車の町は鉄道の町でもある証拠であろう。
りそして、デトロイトのダウンタウン、すなわち、五大湖を結ぶデトロイト河に沿ったウォーター・フロントにやってきた訪問者は、今度は真赤なボディに金線模様とレタリング、そして黒のシャドウを付けたいでたちのトロリー・ストリート・カーを発見し、貨車やDLにない色彩に驚くのであった。その細身の車体の赤色、この黒味の赤は、アメリカ的な鮮やかなコカコーラ・レッドとは一味異なり、紫外線カットガラスの総ガラス張の円筒状のルネッサンス・センターの、その沈んだ色と澄んだ青空とに良くフィットする点景となる赤い電車の存在で、デトロイトが一段と派手やかになったと感じられたものである。
この市電の復活は1976年のこと、ダウンタウンの再開発計画が成果を示しはじめ、郊外に流失したオフィスも、魅力あるダウンタウンに戻りつつあった頃である。当時の市計画のブラナーの一員であり自他ともにトロリー電車狂として知られる A.ポラック氏の市電復活の発想がヤング市長の認めるところとなり、その車両の選択と手配、路線ルート、運転の訓練まで指揮をして、この夢のようなメルヘンを運ぶトロリー電車-デトロイト・シチズン・レイルウェイ:別称"ワシントン ストリート トロリー"が実現した。
東の終点はルネッサンスセンターのすぐ下で、1849年建築の石造りの教会前である。このゴシック調の市内最古の建物は五大湖の通通運を一手に担っていた帆船の船乗りの教会だとか。ここから川岸の公園に沿ってイサム・ノグチ設計の建築芸術ト云われるコンサート・コールやフォード音楽堂などを横目で眺めながら、側線のあるコボホール(公会堂)前を曲がってワシントン通りに入る。やがて自動車に待ったをかけて、ワシントン通を左側から右側へ斜めに横断し、ワシントン通りとミシガン通りの交差点を渡るところが側線のある停留所、多客期に2両が続行運転で交換もできるのである。そして専用軌道をしばらく走れば複線になり,ガラス張りの車庫のあるグランド・サーカスのしゅうてんである。ここはダウンタウンの北の境とされるところなのである。ヨーロッパ式の900mmのナローゲージの単線で、途中に二ヵ所の交換停留所と二ヵ所の停留所を持っていた。約15分、わずか3.2マイルの乗車の運賃ははクォータ-硬貨1枚(25セント)也なのである。
そして、ここの古典的車両は、その昔アメリカで作られ、遠く南欧ポルトガルで活躍していた単台車(しんぐる−とらっく)のものを買収復元した物で、これには多くのボランティアが参加したと云われている。
この細身の赤い単台車のトロリー路面電車は、外装が華やかなのに対して内装の木部は手間を惜しまずに仕上げた飴(あめ)色に輝くきめの細かいニス仕上げ、それにクリーム色の天井、木造の羽目板など中々おしゃれである。遠く南欧のポルトガルのリスボン市から里帰りを果たしたブリルとセントルイスの1889〜1906年製が4両と、,良く似たリスボン製が2両である。#14のダブルデッキはイギリスからのものである。
このトロリーは市の交通局の運営するレッキとした公共交通機関であるはずなのだが、アメリカでの保存鉄道べすと12”にも顔を出しているほどの博物館として知られていたのだった。
その平日の運行は朝の7時半から、週末は10時からはじまり、冬のブリザードの中でも粉雪を赤い車体にまぶしながら少ないお客を乗せ、寂しい単行運転が続けられるのだった。
天気の日には昼の昼休みのオフィスレディーの散歩の足に、退社の時刻にはアタッシュケースをさげたビジネスマンの駐車場への足として利用されており、コボホールにイベントが開かれるとその足として多忙となるのであった。
その後、1980年には、名前が「デトロイト・ダウンタウン・トロリー」と一新するとどうじに、コボホールと云われた公会堂の改築に併せて軌道もかいかくされ、両端の終点もワンブロック延長されたのだった。そしてイギリスからだぶるでっき(二階建て)とろりー、スイスからもトロリーがそれぞれ1台ばいしゅうされ、合計9輌を保有する様になった。その中には夏にだけ使用されるオープンカー四季のサマー・トロリーが異色を放っている。
最近耳にした噂によれば、財政難と、利用乗車人員の凋落などを理由に2003年初夏に27年の歴史を閉じたとのことである。しかし、アメリカ国内にはSL保存鉄道に負けずに、各地にすとりーとかー(路面電車)を走らせる電車博物館が数多くあるので、この美しい赤いナロー・トロリーたちにも幸運が訪れることを願って止まないのである。次のページにサマー・トロリーが登場します。
撮影:1978年
発表:「塗装技術」誌・1990年8月号表紙、「鉄道ジャーナル」誌
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076. サマー・ナロー・トロリーの季節・市内ダウンタウン