•  両手いっぱいの幸せを君に  
    19 







    「最初の間違いは、怜さんをここに閉じ込めてしまったことです。生まれてきたからには誰にだって自由に幸せに生きる権利がある。それを度外視したあんな実験そのものが間違っていたんだ」
    「おまえのしでかしたことの結果がこれなんじゃないのか? おまえに過ちはなかったと、本当に言えるのか?」
     淡々と問われ、崎谷はひりつく喉からしわがれた声を絞り出した。
    「俺たちは普通に暮らしていたんです。社会の規律の中で、誰にも迷惑をかけずに。桐嶋さんが俺たちのところに来さえしなければ、こんなことにはならなかった」
    「そうやって、桐嶋ひとりにすべての責任を押し付けるのか? だったらおまえのしたことはどうなんだ? そもそも、おまえが怜を外に連れ出しさえしなければ、こんなことにはならなかったはずだろう?」
     言いながら、これは詭弁だと三倉は思う。
     こんな問答には意味がない。
     誰かひとりだけが悪いわけではない。どれかひとつの要因だけでことがおきてしまったわけでもない。
     罪ならば、己自身にもある。
     崎谷と怜が出て行くことを黙認し、桐嶋を止めようとはしなかった己自身にも。
     だが、歯車であり続けることを選んだ自分は、すべてを見守ることしかできない。その結果、たとえどんな結末を迎えることになったとしても、それが、自らの使命であり、運命であると、三倉は諦観してしまっている。
     結局。
     託した希望は最悪の形で叩きつぶされてしまった。
     いとも簡単に、あっけなく。
     そして唯一の親友だと思っていた男をも、自分は亡くしてしまったのだ。
    「たとえ、おまえの言う通り、きっかけを作ったのが桐嶋だったとしても、結果を導いたのは怜自身だ」
    「あんなふうにいきなり連れ戻そうとしたからでしょう? 誰だってパニックになるに決まっている」
    「だったら聞くけどな。おまえだったらどうなんだ? おまえが怜の立場だったら、あんなふうに桐嶋を刺したのか?」
    「――――――!」
     その問いに、崎谷は完全に言葉を失った。
     答えることは怜を窮地に追い込むことに他ならない、ということに気付いたから。
     あれほど否定してきた因子の存在を、肯定することになりかねない、ということに。
     もしも自分だったら。
     たとえ、桐嶋に対してどれだけの憤りを感じたとしても、あんなふうに刃を振り上げることは出来なかっただろう。その身体に何度もその刃を突き立てることなど、到底出来はしなかっただろう。
     かつて、焼け付くような殺意に完全に呑まれたあの瞬間ですら。
     父と母に死んでしまえと呪詛の言葉を吐き捨てたあの瞬間ですら。
     こみ上げる衝動のままに刃を振るうことはできなかったのだから。
     果てのない虚脱感に、崎谷は両手で顔を覆った。
    「………おかしいよ。絶対におかしい」
    「おかしいことなんかないさ。なるべくしてなった結果だ」
    「卑怯です! そんな言い方。だったら最初から―――――」
    「最初から?」
    「――――――――っっ畜生!!」
     知っているくせに、問い返す三倉が、憎いと思う。
     言える筈がなかった。
     その続きを崎谷が口にすることなどできるはずがなかった。
     ―――――最初から俺ごと檻の中に縛り付けておけばよかったのに!
     代わりに呻くような呟きが喉の奥からこみあげる。
    「こんな時代になんか生まれてこなければ良かったのに。こんな時代なんかじゃなかったら、怜さんは………」
     そんな崎谷の言葉を、三倉はいとも簡単に跳ね除けた。
    「こんな時代だからこそ、怜は生きていられる。今は因子保有者の扱い方を世界が模索している只中に在る。もしも彼らを完全に社会から抹殺する方向へ向かった時代だったら、怜がどんな扱いをされたって誰の心も痛んだりはしないだろう」
    「そんな言い方!」
     バン!と、崎谷にたたかれた机が激しく揺れる。だが、三倉は動じない。
    「それが現実だ。おまえが描いたものは、所詮夢物語に過ぎない。決して現実のものにはなり得ない。怜の人生をぶち壊したのは、おまえ自身だ。崎谷」
     怜を守るためには、何も行動を起こさないこと。
     研究所での生活を守り続けること。
     あの空間が世界のすべてだと、怜に信じさせ続けること。
     何度も繰り返し忠告したはずだ。
     ここで桐嶋に守られていた怜は、政府の手によって管理されたS級の因子保持者の中でも、もっとも幸せな保有者であったはずだった。意図的に苛酷な環境下に放り込まれている者もいるのだから。
     だが、その幸せも、いまはもう、粉々に砕かれてしまった。
     閉じ込められてしまった小さな世界の中で、知ってしまった外の広い世界を恋しがり、怜は叫び続けるだろう。
    「逢わせて、もらえますか?怜さんに」
    「―――――」
    「お願いです」
     消え入るように呟いた崎谷を、なにか、痛ましいモノでも見やるような眸で、三倉は見つめ、そしてうなずいた。
    「怜に逢って、そしておまえのしでかしたことを、しっかりと受け止めるんだ」
     責務を忘れ、私情に走り、再三にわたった忠告と警告を無視して突き進んだ結果、怜にどんなに残酷な仕打ちを与えたのかということを。
     そう。
     かつての自分と、そして桐嶋のように。
     失われてしまった怜の幸せな未来。
     奪われてしまった桐嶋の命。
     それらを背負って生きていことが、崎谷の贖罪。
     その咎と、永遠に向き合っていくことが、これからの崎谷の人生。
     NDR−03。通称「ブランカ」
     しがらみに縛られたものは決して出て行くことの適わない、白い檻。
     だから、自分はここにいる。
     この檻の中に。
     そしていま、またひとつ。
     己の背にも重い咎を背負ったことを、三倉は胸に刻むのだった。








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