厳重な警戒がなされたチェックポイントを、慣れた操作で通過していく。自分のIDがまだ生きていることが、崎谷に絶望的な現実を突きつけた。最初から、自分がここに戻ってくることは運命付けられていたのだ、という現実を。
そして、目の前に変わらずにそびえるドームを見上げ、軽い目眩を覚えて足を止めた。
変わっていない。何もかも。
この場所を離れていた間の時の流れを感じさせるものがあるとすれば、同行者が桐嶋でないという一点に尽きるだろう。思えば、崎谷にこの任務を言い渡した三倉と共にこの場所を訪れるのは、初めてのことだ。だが、その三倉は最後の扉を開こうとした崎谷から数歩後ろに下がり、静かに口を開いた。
「俺はここで待ってるから」
「え?」
「二人きりの方が落ち着いて話が出来るだろう。それに、他の人間が近づくと、暴れてどうしようもないんだ」
だから、この先はひとりで行って来い、と。
立ち止まった三倉に目で促され、崎谷は最後の電子キーを解除するためにカードを差し込んだ。
そんなひどいことになっていたとは思いもしなかった。
いや、それは嘘だ。
自分は知っていた。
自分の犯した罪の重さを。
だから怖かった。
ここに来ることが。
指が。腕が。全身が。
小刻みに震えている。
悪夢のような―――――いや、悪夢そのものだった出来事があったあの日以来、怜とは初めて顔を合わせる。
緊張を胸に宿しながらドームの中に入った途端、入り口付近で散乱する何かに足を取られそうになり、あわてて壁に手をついた。
「――――これは………」
驚いて目を見開いた崎谷の耳に飛び込んでくる、聞きなれた声。泣き出しそうな必死の叫び。
「崎谷! 崎谷っ、崎谷………」
「怜さん……」
駆けてきた怜に全身の体重を預けられ、崎谷は華奢なその身体を両腕で受け止めた。
変わらないぬくもりが腕の中に在る。痛いくらいの力でしがみついてくる怜の腕から、離れていた間の心細い思いが伝わってくるようで、崎谷の胸が痛んだ。
「やっと逢えた! なかなか来てくれなかったから、俺、どうしようかと思ったよ。このままずっと逢えなかったらどうしようかって………」
思えば、出逢ってから、完全に離れていたことなど、一日たりとてなかった。崎谷の毎日の中には怜が、怜の毎日の中には崎谷が、あたりまえのように存在していた。
腕の中で見上げてくる怜の頬に触れ、崎谷は痛ましそうに顔を歪める。
「遅くなってごめん。ひとりにして、ごめん………」
離れていた間に、ずいぶんとやつれた気がする。
いや、荒んだ、と、言った方がより的確だろう。
げっそりと落ちた頬。カサカサに乾いた唇。やせた手首。
眸だけが異様なまでに強い光を放っている。まるで、怜の心の荒みを象徴するかのように。
外見的なことだけではない。生活環境もずいぶんと荒れてしまった。
あれほど丁寧な手入れを欠かさなかったはずの花壇が、無残なほどにめちゃくちゃにかきまわされてしまっている。引き抜かれた草花。踏み荒らされた土。入ってきたドームの出入り口付近にはたたきつけられたに違いないさまざまなものが散乱しており、崎谷はその惨状に顔を歪めた。足を取られそうになったのは、壊されたプランターや家財の残骸だ。
物だけではない。怜自身も傷ついている。腫れあがった手の甲の傷や痣は、あの入り口を叩き続けたせいだろうか?
三倉の言う通り、誰も寄せ付けなかったらしい怜の手は、簡単な手当てすら施されてはいない。いや、怜の手当てをしようと試みた者は、果たしているのだろうか?
――――ひどいよ……
「手、痛くない?」
怜の手を取り、眉を顰めた崎谷に、怜はなんでもないことのように吐き捨てる。
「平気」
「何でこんな無茶したの……」
「だって……おまえ、来ないんだもん。いくら待ってもおまえは来ないし、誰もここから出してくれないし、俺、どうしていいかわからなくて」
「怜さん…」
乱れた髪を指先で梳きながら整えていく崎谷におとなしく身を預けたまま、怜がどこか神経質そうな苛立ちを滲ませて言った。
「ねぇ、崎谷」
「何?」
「俺、早くここを出たい。前みたいに、外の世界に連れてってよ。俺もう、イヤだよ、ここ」
不満げな声。剣呑な光を孕んだ眸。
以前は快適に暮らしていた空間が、いまでは窮屈な檻に感じられて仕方がなかった。どれだけ暴れても、叫んでも、出ることが叶わず、閉じ込められたままで誰かの訪れを待っているだけの狭い檻。外の世界を知ってしまった怜には、耐えられるものではなく、それ故に、ただひたすら崎谷の訪れを待っていた。
崎谷なら必ずここから出してくれると、そう、信じて。
「外に出たらさ、一番最初に海を見に行こうよ。おまえと一緒なら、俺、どこにだって行けるんだもんな」
無邪気に微笑んだ怜の笑顔に、崎谷の胸が軋む。
「うん。そうだね」
――――ごめんね。ごめん、怜さん………
もう、ここから出ることはできないのだと。
外の世界を垣間見ることは決して敵わないのだと。
言い出すことができないまま、崎谷は深くうなだれる。
いま、初めて。
三倉の言葉を理解できた自分がいる。
―――――何も知らないからこそ、怜は幸せに笑っていられるんだ。
一歩外に出た瞬間、その幸せは崩れてなくなってしまう。
それは、嘘偽りのない言葉だった。
けれども…………
遅い。
遅すぎる。
何もかもが遅すぎる。
あまりにも浅はかだった自分。
―――――その先は地獄だぞ?
三倉の言葉が胸に刺さる。
鋭い針のように。
深々と刺さって崎谷を責める。
責め続ける。
―――――二度とやり直しはきかないんだ。
「崎谷?」
「……………」
「痛いよ?」
腕の中に抱きしめた怜の肩口に顔を埋め、崎谷は切なる想いを心に刻む。
ごめんね。怜さん。
本当に、ごめん。
でも、俺は、何があっても怜さんから離れたりしない。
守るから。
この檻の中で、精一杯守るから。
誰も怜さんを傷つけたりしないように。
怜さんが寂しくなったりしないように。
怜さんがずっと笑っていられるように。
どんなことをしてでも守るから。
なんでもしてあげるから。
だから………
だから、怜さん。
お願いだから。
もう誰も傷つけたりしないで。
もう誰も―――――――
けれども。
この檻から出してあげることはもう叶わないのだと。
ここから出て行く日はもう二度と来はしないのだと。
そう、告げた自分を、怜がどんな眸で見るのか、知っている気がする。
そして、崎谷は思うのだ。
もしかしたら。
もしかしたら、自分のこの手に刃を握る日が来るのかもしれない、と。
その時こそ。
ふたりが永遠の楽園を手に入れることが出来る日なのだと。
けれども、その日までは、この、閉じられた世界で。
自分に抱えられるだけの幸せを、怜に捧げようと。
腕の中の怜のぬくもりに、やるせないほどの愛おしさを感じながら。
そう、思うのだった
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