研究所でパソコンの画面を睨むように見つめながらデータを取りまとめていた崎谷は、作業の手を止めてぼんやりと窓の外を見つめる三倉に思いつめたように声をかけた。
「あの……三倉さん」
「ん?」
「怜さんって、そんなに悪い人なんですか?」
唐突な問いは、研究者としてはあまりにも幼稚な言葉での問いかけだった。
そもそも、今彼らが手掛けている研究は、良い人悪い人の範疇の問題ではない。
的外れもいいところだったけれども、それは、血の気が引くのには十分すぎるほどの問いだった。
この日が来るのを三倉は恐れていた。
怜の在り方そのものに崎谷が疑念を抱く日が来ることを。
桐嶋ともども恐れていたのだ。
「…………」
「一生ここに閉じこめておかないといけないほど、危険な人なんでうか?」
そんな崎谷の呟きによって生じた内面の動揺を完璧に押し隠し、穏やかに微笑んだ三倉は静かに諭すように口を開いた。
「おまえ、『犯罪因子論』について、勉強したんだろう?」
「はい、まぁ……」
「その論旨に基づくなら、S級の因子を有する人間に対して、そもそも、良い人・悪い人っていう概念そのものが役に立たないんじゃないか? その因子を有するが故の犯罪は自分の意思で犯した罪とは意味合いが違う。これまで蓄積されたデータは微量だが、それらすべてが因子の保有者の危険性を示している。例外はない。彼らは呼吸をするような気安さで他人の命を奪っても、それが悪いことだとは理解できない類の人種なんだ」
「理屈で言えばそうですけど、でも……」
歯切れの悪い返事を返した崎谷だが、S級の因子を有するといわれる怜をずっと見てきたからこそ、感情の面でどうしても納得できない。
本来であれば、ああして拘束されるにはそれ相当の理由がある。
だが、怜にはないのだ。
あるはずの確たる原因が。
ただ、S級の因子を持って生まれたというだけで 大罪を犯すかもしれないという可能性を秘めているだけで こうして、閉ざされた空間の中に押し込められている。
割り切れない表情の崎谷の眉間の皺は深い。あからさまなため息をついた三倉は、きっぱりとした口調で告げた。
「感情や主観だけで判断したらだめだ。研究者であるなら、なおさら常に客観的に物事を分析しないといけない」
「……………」
「いいか。崎谷。怜がまともに見えるのはここにいるからだ。彼は間違いなくS級の犯罪因子を持っている。それは紛れもない事実だ。だから怜はこの場所でしか生きていくことが出来ない。それを忘れるな」
いつになく険しい表情で語る三倉の言葉は重い。
「外の世界の方が自由で幸せに見えるのは、おまえの主観にすぎない。アイツにとっての一番の幸せは、この世界に守られて穏やかに暮らすことなんだ。一歩外に出た瞬間、その幸せは崩れてなくなってしまう。その先は地獄だぞ? 二度とやり直しはきかないんだ」
一言一言噛み締めるような三倉の言葉に素直に頷いた崎谷だけれども――――
納得なんてできなかった。
外には果てのない世界が広がっている。
無限の可能性を秘めた世界が。
それなのに、まだ何の罪も侵していない怜を、ただその可能性(・・・)が(・)ある(・・)というだけでこんな所に閉じ込めてしまっている。
本当にそれでいいのかと、怜を知れば知るほど、崎谷の中で疑念が膨らんでいく。
絶対にそんなことをする人なんかじゃないのに。
人を傷つけたり罪を犯したり、そんなことができるような人なんかじゃないのに。
大切に花を育て、それを分け、一緒にギターを弾き、いろんな話をして―――――怜の人となりの誠実さとあたたかさは自分が誰よりも知っている。
何より、あんなに綺麗に笑うことができるのに。
それなのに…………
主観だというのだ。
三倉も桐嶋も。
自分以上に怜の人となりを知っているはずの彼らが。
あんなに切ない涙を流させるようなところに押し込めて。
ぐっと唇を噛み締め、自分の思いにふける崎谷は、三倉の痛ましげな静かな視線に気づかない。
怜のことを本当にわかっているのは自分しかいない。
研究者であることを忘れたどこかで捻じ曲がってしまった正義が、崎谷の胸の内に次第に大きくはびこっていった。
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