•  最愛  
    03〜愛のかたまり〜 






     その肌に触れることが、今更ながらに躊躇われて。
     伸ばしかけた指先を、俺はそっと握りこんだ。
    「―――――」
     知らず、零れる吐息が重い。
     中途半端に閉められたカーテンの隙間から射し込む月の光に照らされて、ルークが静かに眠っている。
     この人は、確かに俺の腕の中にいた。
     その余韻はまちがいなく残っている。
     それなのに…………
     いまさら俺は、いったい何を怖がっているのだろう?
     問うまでもない。
     傍らに、ルークのぬくもりがあることがあたりまえのようになりつつある、そんな自分の感覚が怖い。
     もしも、このぬくもりを失ってしまったら、果たして自分はどうなってしまうのだろう?
     喪失の未来を思うと、心が引き裂かれそうになる。
     真面目一辺倒でここまできたヤツラとは違って、俺はそれなりに要領よく遊んできた方だと思う。
     恋愛だってしてきたし、真剣に付き合ったヤツもいる。
     ただ、その相手が全部男だったってことを知っている奴は、たぶん、この会社の中には誰もいないだろう。
     マスターベーションを覚えたころから男の躯に欲情してきた。
     それは、隠すつもりはないけれども、わざわざ公言して回る必要もないことだ。
     生まれたときからの付き合いだ。
     自分のことはよくわかっている。
     随分と葛藤もしたけれども、ゲイというマイノリティの中でどうにか折り合いをつけてここまできた。
     だけど、この人は―――――
     俺の知ってる限り、ルークのセクシャリティはヘテロで、付き合っていた女の数は俺が知っているだけでも片手じゃ足りない。
     女をエスコートして夜の街に消えていくルークを見送ったことは何度もある。
     そんな女たちを洒落た会話で楽しませ、そりゃあ、甘くスマートに抱いてたんだろうと思う。
     そんなルークが。
     いまはこうして、俺の腕に躯を預けてくれる。
     キスも、その先の行為も、許してくれている。
     口吻けをかわして。肌を重ねて。そして、身体を繋げて。
     そうやって、夜を共にして、気づいたら日中も一緒に過ごすようになって。
     お互いに黙ってられないタチだから、他愛のない会話をいくつも交わしてきたけれども……………決して語られることのない本音。
     いま、俺とこうしていることが彼の気まぐれなのか。
     それとも、俺と同じように心を傾けてくれているのか。
     こんなにも近くにいるのに、ルークの気持ちがわからない。
     気になって、知りたくて、仕方がないのに。
     いざとなると彼の胸の内を知ることが怖くて。
     単なる遊びだと、ちょっとした好奇心だったと、そんなふうに言われてしまうことが怖くて。
     この関係が壊れてしまうことが怖くて。
     言葉が出なくなってしまう。
     出てくるのはため息。
     ………俺らしくもない。
     ネガティブなのは性にあわない。
     尋ねることができないのなら、もう何も考えるのはやめようと、俺はため息を飲み込んだ。
     ルークはこうして俺の傍にいる。
     それが現実。
     それだけが真実。
     だから……何も案ずることはない、と、彼に何も問いかけることができない代わりに、俺は自分に言い聞かせた。
     多くを望んではいけない、と。
     過剰な期待は禁物なんだ、と。
     今のこの状態ですら、俺にとってはありあまる行幸なのだ。
     だから、願いはひとつ。
     たったひとつ。

     ――――次に目が覚めても、この幸せが俺の腕の中にありますように。

     胸の中で祈るように呟き、シャワーでも浴びてこようかとベッドを軋ませたその時。
    「どうしたの?賢斗」
     気だるげな声で呼びかけられた。
    「……すいません、起こしました?」
    「それは別にかまわないけど。眠れないのかい?」
    「いや、そういうわけじゃ……」
     上体を起こしたルークが意味ありげな視線を向けてくる。
    「ひどい顔してるね」
    「―――――」
     一体自分がどんな顔をしているのか。
     わからないから迂闊に答えることも出来ない。
     哀れむようなルークの視線が胸に刺さる。
    「らしくないよ、賢斗。いったいどうしたのさ」
     深い色の眸の奥にあるルークの心が俺には読めない。
     何を、どこまでわかっていての言葉なのかがわからない。
     ルークは、そうやって俺を惑わせる。
     あなたのせいだと、いっそ喚き散らしたい衝動を、拳を握ってぐっとこらえた。
    「………困りますよ」
    「どういう意味?」
    「どうしたいのかはっきり言ったら、多分、アナタが困ると思います」
    「ますます気になるじゃない?」
    「だったらなおさら言いません。ずっと気にしていてください」
    「ずっとなのかい?」
    「ずっとです」
     ずっと。
     永遠に。
     そんな言葉でこの人を縛れるとは、カケラも思っていないけれども。
     意地の悪いこの人とは、いつだってこんなふうに言葉での探りあいになってしまう。
     けれども。
     涼やかな顔で、彼は言うのだ。
    「意地悪だなぁ、賢斗は」
    「――――――」
     そう言って、俺の内面を見透かしたような微笑を浮かべたルークが、腕を絡めてきた。
     俺に拒めるわけがない。
     そっと重ねられる唇。
     蜜のように甘くて、そして、泣きたくなるほど切ないキス。
     胸が軋む。
     これ以上を望んではいけないと必死で言い聞かせながら、あなたの心が欲しいと、切望する自分がいる。
     あなたの匂い。
     あなたの声。
     あなたの躯。
     仕草。笑顔。体温。吐息。髪。
     そこに在るあなたという存在のなにもかもが、俺の胸をざわめかせる。
     あなたはここにいるのに。
     いま、この腕の中にいるのに。
     あなたの心が、果てしなく遠い。
     恋をすることが。
     恋しい人と肌をあわせることが。
     こんなにも苦しいものだなんて――――――知らなかったよ、ルーク。








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