「相変わらずルークのまわりは華やかだなぁ」
と、黒岩さんがポツリと呟いた。
この日は会社の記念式典とやらで、夕方から立食形式のパーティーが催されていた。
終了間際のこの時間にもなれば、思い思いの場所に散った者たちが、それぞれの話に花を咲かせている。
そんな時、ルークの周囲に女が集まるのはいつものことだ。
いまだって、綺麗に着飾った女たちが、ひらひらと舞う蝶のようにルークの廻りを取り巻いている。
だから、その台詞は真実以外のナニモノでもない。
ないんだけど………
黒岩さんの言葉って、たとえ本当のことを言ってるってわかっていてもムカつくのはどうしてだろう?
そもそも、三年先輩のこの人とは根本的に気が合わない。
青空の下、今日はいい天気だな、と肩を叩かれても、思わずぶん殴ってしまいそうな勢いで、気が合わない。
だからつい、歩き出した背中に向かって余計な言葉を投げかけてしまった。
「黒岩さんのまわりはいつ見ても華やかさとは無縁ですね」
「……………」
ま、いまさらですけど、と、ダメ押しのように呟いた言葉は、しっかりとその耳に届いたらしい。
黒岩さんの動きがピタリと止まり、振り返ったその顔には、憤怒の形相が浮かんでいた。
この後に彼の口から飛び出る言葉が簡単に想像出来てしまい、思わず溜息が零れる。
「てめぇ、この、馬鹿サキ!何だ、その態度は」
ほらきた、単細胞。
「何って、別に……普通っスけど?」
「普通で先輩に突っかかるのか?舐めてんのか、おまえ」
「まさか。黒岩さんを舐めるなんて、頼まれたってゴメンですよ」
「いっ………意味が違うだろっっ! おまえ、俺を馬鹿にしてんのか?」
「してませんよ。馬鹿だとは思ってますけど」
「楢崎〜〜〜! 貴様っ、先輩を敬え! っつか、俺を敬え!! 奉れ!!」
憤る黒岩さんに向かってわかりやすく挑発的な表情を作り、俺は鼻で笑った。
「敬ってほしかったら、一度くらい敬意払えるようなトコ、みせてくださいよ」
「てめぇ………」
「よせ、黒岩」
拳が振り上げられたところで国枝さんが止めに入ってくる。
これもまぁ、いつものことだ。
ちなみに、この二人は同期。
本当に良いコンビだと思うよ、このひとたち。
俺と黒岩さんのいがみあいの大半は、国枝さんの仲裁で手打ちになる。
だからガチの殴りあいに発展したことは一度もない。
ま、それをわかっててやってるってトコロもあるんだけど。
黒岩さんをからかって何が楽しいって、思った通りの反応を返してくれるってトコだ。気が合わないけれども御しやすい。対処の仕方もわかっている。だからつい、ちょっかいを出してしまう。
「賢斗、おまえもだ。子どもじゃないんだから、無駄につっかかってるんじゃねーよ」
「…………」
はーい。
口に出すのはなんとなく癪なので、胸の内でこたえてみせる。
そもそも、国枝さんの言葉には、うっかり頷いてしまいそうになるのは何故だろう?
それは何も俺に限ったことじゃなくて、この会社の奴ならみんなそう思っているだろう。
思わず直立不動で聞いてしまうやり手の部長たちの言葉とは、また違った説得力がある。
黒岩さんとて例外ではなく、忌々しそうに舌打ちをしながらも拳をおさめた。
俺もまた、そんな黒岩さんを一睨みしながらも、お互いに休戦を認め合い、その場から離れようとしたその時。
ルークののんびりとした声が、激しく的外れな言葉を紡いだ。
「何騒いでるのさ? なんだか楽しそうじゃない?」
「どこがだっ!」×2
同時に叫んだ俺たちに、「へぇ。キミたち、相変わらず仲良しだねぇ」とルークが感心したように頷いている。
いや、そういうんじゃねーから。
どんな色眼鏡で見れば、俺とこの人が仲良しに見えるんだ?
一括りにされた黒岩さんが同じことを思っているのは、嫌そうにしている顔をみればわかる。
おそらくはじめて意見が一致した瞬間だ。
とは言え、俺に対しては言いたい放題な黒岩さんも、ルークに対して突っかかっていくことはほとんどない。
勝ち目がないと思っているわけではなく、ルークの物言いには相手の戦意を喪失させる威力があるんだと思う。
黒岩さんは不満げに鼻を鳴らしただけで、肩を怒らせて去っていった。
しょうがないなぁ、とでも言いたげな表情で苦笑した国枝さんがその背中を追っていく。
残った俺にルークが視線を向けた。
「みんなつれないねぇ」
それは、あなたがトンチンカンなことを言ったからです―――とは口に出さずに胸の中で呟いた俺に、ルークが更に問いかける。
「で? 結局キミたちは何の話をしていたんだい?」
「貴方の噂話です」
「良い話? 悪い話?」
「どっちでしょう?」
「やだなぁ、賢斗。意地悪しないで教えてよ」
「たいしたことないっスよ。ルークのまわりはいつも華やかだって話っス」
「華やか?」
不思議そうな顔をしたルークに顎をしゃくってみせる。
そんな俺の視線の先の女の子たちを見て、あぁ、と、合点が言ったような顔をした。
「華って、彼女たちのことね」
「いいんスか? ほっといて」
「いいんだよ。彼女たちにはもうちゃんと挨拶してきたから」
「…………」
「何? もしかして妬いてるのかい?」
ルークにしては珍しい物言いに、俺は肩を竦めてみせた。
「残念ながら、そんなんじゃないっス」
それは強がりでもなんでもなく、俺の本心だ。
ルークに群がるモデル並みに着飾った女たちを見たところで、いまさら嫉妬も何もこみ上げてはこない。
そんな次元の話ではないのだ。
ルークと女。
ごくあたりまえの取合わせ。
だからこそ、不思議に思う。
なんで俺なんだろう? って。
あの日以来、俺はルークと何度も寝た。
誘えば応じてくれるし、気が乗ればルークの方から誘いをかけてくることもある。
だけど、それは常に駆け引きめいた言葉の延長で、その裏にあるルークの本心は、俺にはいまだにわからない。
それなのに、俺の気持ちはルークに筒抜けだから、何だか始末に終えない。
ベッドを共にすることの意味を、俺にとって都合よく解釈することも、かといって、問いただすことも怖くて。
何度も口にしかけては、結局声に出すことができずに飲み込んでしまった言葉が、抜けない棘のように胸に刺さったまま、俺を苛んでいる。
――――アナタは、俺のこと、どう思っているんですか?
一息に口にしてしまえば、ものの30秒もかからない言葉だけれども。
その言葉を口にしてしまった瞬間、夢から覚めてしまいそうな気がして、結局、今に至るまで聞けないままでいる。
「つまんないなぁ、賢斗」
「え?」
「ちょっとは妬いてくれてもいいと思うんだけど」
「…………」
深い色の眸でまっすぐに見つめられ、トクン、と、鼓動が跳ねる。
その意味を掴みあぐね、リアクションが返せないでいる俺に、ルークは小さく笑った。
「なーんてね」
俺を見据えるルークの眸には、その言葉の一言一言に揺さぶられ、かき乱される俺の気持ちを見透かしたような表情が浮かんでいる。
俺にはルークの気持ちがさっぱりわからないというのに。
わかっているのは、この人には到底叶わないということだけ。
悔しいけれども―――――
俺の表情から何を読み取ったのか、ルークが訝しげに首を傾げる。
「どうしたのさ? 今日はなんだかご機嫌ナナメだねぇ」
「そんなことありませんよ」
そうかな、と、肩を竦めたルークは、どこまで本気で言っているのかわからないふざけた台詞を口にした。
「じゃあ、笑ってごらんよ」
「はぁ?」
どうしたらそういうことになるんだ?
そんな俺の困惑にはお構いなしに、彼はにっこりと微笑だ。
雑誌の表紙を飾るにふさわしい、お手本のような笑顔だ。
「ほら、笑って」
「イヤですよ」
「どうして?」
「笑えって言われてヘラヘラ笑ったら、まるで馬鹿みたいじゃないですか。だいたい、俺の笑顔はそんなに安いモンじゃないっス」
仏頂面の俺の言葉に、ルークは軽妙な笑い声をあげた。
「おもしろいこと言うねぇ、賢斗」
どこがだ?
そもそも、そこは笑うところなんだろうか?
眉間に皺を寄せた俺に、ルークはなかなかとんでもない爆弾を投下した。
「じゃあ、賢斗。ボクはどんな対価を払えば、いまここでキミの笑顔が見られるんだい?」
「―――――」
いまここで。
あなたの心と答えたら、彼はなんと応えるだろうか?
あなたのすべて、と応えたら―――――?
『いいよ、賢斗』
多分彼は、何も考えずにそんなふうに嘯くような気がする。
それは、いつもの言葉の応酬の延長でしかなく、そこに彼の本心が宿ることはない。
だから、いまここで、それを言うことは、たぶん違うと思うし、意味がないとも思う。
だから俺は、思いっきりしかめっ面をしてルークに宣言する。
「絶対、笑いません!」
そんな俺の剣幕に驚いたのか、目を見開いてキョトン、とした表情のルークに背を向けて歩き出す。
直後、ルークの爆笑する声が聞えてきたけれども、俺の知ったことではない。
笑えと言われてヘラヘラと笑う馬鹿には絶対にならない。
あなたの番犬であることも、猟犬であることにもやぶさかではないけれども。
ただひたすら馬鹿みたいに尻尾を振ってるだけの駄犬にはなってやんねぇよ。
|