•  夏の行方  
    02





     昼休み。
     バリカン片手に待ち構えていた担任から髪の毛を死守した上機嫌の紺野は、約束を違えることなく、昼食を奢るために辻村の教室にフラリと現れた。
    「約束、覚えてたんだ?」
    「言ったろ?男に二言はないって」
     それならば、と、スペシャルチキンカツ丼とちゃっかりデザートまで加えてチョイスした辻村に、紺野は「遠慮ねぇなぁ」と感心したように笑う。宣言通り、それはこの学校の食堂で最も値の張るメニューのひとつだ。
    「労働報酬。今朝の俺、すっげぇ頑張ったし?」
     当然の権利だと胸を張る辻村の態度は、紺野にとって好感の持てるものだった。
     下手に萎縮されたり遠慮されたりするよりも、よっぽど奢り甲斐がある。
    「確かに。うん。おまえ、すげえぇ頑張ってたわ」
    「ヒトゴトみたいに言って」
     誰のおかげで髪の毛あンだよ!? と行儀悪く箸を突きつける辻村に、マジ感謝してるって、と紺野が笑う。
    「あんな時間に登校してるヤツなんていないし、ホント助かったよ」
    「悪かったね。寝坊して」
     フン、と鼻を鳴らした辻村をとりなすように紺野が話題を変える。
    「おまえ、どこ住んでるの?」
    「錦ヶ丘」
    「マジで?ウチ百合ヶ丘なんだけど」
    「うっそ、隣じゃん」
     それは、隣り合う区画で自転車で十分弱の距離だ。
    「もしかして中学も一緒?」
    「東華中だよ、俺」
    「すげぇ!俺もだよ」
     過去に接点を持っていたことを知った途端、距離感がぐっと近くなる。
     結局、午後の始業のチャイムが鳴るまで、二人は途切れることなく話し続けた。
     その後も、登校時間が似通っているせいもあってか、通学途中でばったりと顔を合わせる機会が幾度となくあった。見知らぬ人間ならばすれ違うだけで終わってしまう瞬間でも、見知った人間であれば挨拶がてらに声をかけ、何かと言葉を交わすようになる。そうやって回数を重ねるごとに踏み込んだ会話をかわすようになり、いつしか、互いのことを少しずつ詳しく知るようになっていった。
     中でも、遊びの感覚や服や小物の嗜好が似ていたことは、大きかった。
     聴く音楽には類似点を見出せなかったけれども、思いのほか気があった二人は、放課後や休みの日に連れ立って遊ぶ機会が増えていった。
     話題が豊富でどこか大人びた紺野を慕う辻村は、持ち前の人懐っこさを遺憾なく発揮して、互いの距離を縮めていく。
     二歳の年の差があっても紺野は辻村を子共扱いしたり、うるさがったりすることはなく、自分と仲のいい友人たちと一緒に行動する時でも、ついでがあれば何かと誘いをかけてきてくれた。
     おかげで、辻村には上級生の知人がずいぶんと増えた。
     学年が上の彼らと親しげに話をしている自分を見る級友達の目線を、辻村は時に心地よく感じることもあった。
     ささやかな優越感。
     それは、子共じみた奢り。
     少しだけ背伸びして大人になったような気分に浸ってみたりもしたけれども、だからといって級友達との付き合いをないがしろにするわけでもなく、そこはバランスよく人間関係を築いていった。
     充実した高校生活。
     追試に引っかからない程度に要領よく試験をこなし、親や担任から過度に干渉されることもなく、日々楽しんでいた方だと思う。
     球技大会や文化祭などの行事が目白押しだった秋が足早に駆け去り、吐く息が白く凍る冬が訪れて過ぎ去っていく。やがて迎えた淡色の桜咲く季節。
     辻村は二年に進学し、高校を卒業した紺野は、進学することも定職につくこともなく、気ままなフリーター生活を送りはじめた。
     コンビニ。ガススタ。マネキンに日雇いの土木作業。時に実入りの良い夜の仕事。バイト先も彼の奔放で自由気ままな性格を現すかのように、実に多岐にわたっていた。
    「またバイト先変えたの?」
     紺野の家で持参したジャガリコを頬張りながら問う辻村を「失礼な!」と一喝した紺野が、何故か自慢げに言った。
    「変えたんじゃなくて増やしたの」
    「え? じゃ、今いくつバイトしてるの?」
    「細かいの入れれば4つかな」
    「それって通算何個目?」
    「いちいち数えてねぇよ」
    「やっぱ飽きっぽいんじゃん」
    「ちげーよ、ばーか。可能性を探ってるの」
    「何ソレ?」
    「向き不向きなんてやってみなきゃわかんないだろ? まだ若いんだし、これだって仕事に出会うまではイロイロ試してみりゃあいいんだよ」
     世間全体から見れば、紺野のように考える者は少ないだろう。だが、自信満々に言われてみれば、それももっともなような気がしてきてしまう。
    「そんなモンなの?」
    「そんなモンだって」
    「ふーん」
     こんなふうに、紺野の自由な感性に影響を受けている部分が多分にあった。
     何にも縛られず、思うままに生きている紺野が、辻村の目にはずいぶんと眩しく映り、憧れにも似た想いが募っていった。
     一緒にいる時間が楽しくて、気付けばつい、足を向けてしまう。
     どれだけ家が近くても、生活環境が違った瞬間、疎遠になってしまいがちな者も多い。そんな中、高校生とフリーターというように立場の違う二人がわりと頻繁に会っていたのは、辻村がこまめに紺野のもとへ足を運んだからに他ならなかった。紺野の自宅に寄って他愛のないことを話してきかせたり、その部屋のクローゼットに眠る気に入った服をねだってみたり、彼のバイト先のコンビニでぐだぐだとたむろしてみたり、……といった調子だ。
     一方の紺野も、取り立てて用もないのに顔を見せる辻村を煙たがることはなかった。忙しいときや機嫌の悪いときにこそ追い返すことがあったものの、概ね快く迎え、逆に辻村からの連絡がないときには誘いの電話を入れたりもする。連れだって出かければ、その先々で馬鹿みたいに笑って歩いていた。
     そんな調子で二人の交流は途絶えることはなく、むしろ、より親密さを増していった。
     わりと自由に人が出入りする紺野の家では、時に、彼の友人たちと顔を合わせることもある。愛想良く人懐っこい辻村は、彼らともすんなりと打ち解け、受け入れられていた。
    「あれ? おまえ、また来てるの?」
    「暇だなぁ。ちょっとはベンキョーしろよ? 高校生」
     バイト仲間だと紹介された大学生の山下や安積に、からかうように額を小突かれることもあったけれども、そんな時、紺野は決まって鷹揚に笑って言った。
    「勉強はやりたくなったらやればいいんだって。そんなのできなくたって、人生、どーにだってなるようになるんだからさ」
     そんな紺野を皮肉るように、山下が口元を歪めて笑う。
    「そりゃあ、おまえくらいお気楽に考えなしで生きられたら、人生死ぬほど楽しいだろうけどさ」
    「失礼だな。俺だってこれでもイロイロ考えてるんだっつーの」
    「イロイロって何?」
     すかさず、興味津々で尋ねた辻村の問いを受けて思案した紺野は、咄嗟に答えることが出来ずにあさっての方を向いて言葉を濁らせた。
    「……だからイロイロだよ」
     そして、バツの悪さをごまかそうとするかのように、辻村の頭を思いっきり引っぱたいた。
    「ちょっと!! 痛いってば!」
    「余計なコト言うんじゃねーっつーの! バカ大樹!」
    「何ソレ!?」
    「あ、拓哉横暴!」
    「暴力反対!」
     追随するように安積と山下が調子に乗ってわめきたてれば、味方を得た、と言わんばかりの辻村がフゥッと鼻先で息を吐き取り澄ました顔で言葉を紡ぐ。
    「バカがうつるから触ンなって」
     その表情が果てしなく小憎らしい。
     山下と安積の笑い声が紺野の神経を逆なでして―――――爆発した。
    「うるせぇ! ごちゃごちゃ言うならてめーら全員出てけ!!」
    「えーーー!?」
    「来たばっかじゃん」
    「うるさいッ! 帰りやがれ!!」
     そんなふうに、切れた紺野にたたき出されたこともあった。
    「……ったく。アイツ、なんであんな短気なんだよ。せっかく集まったのに打ち合わせ、何にもできなかったじゃん」
    「単純だから、そのうち機嫌直して電話よこすぜ? 時間とか、持ってくモンとか、決めなきゃならないだろ?」
     笑いながら言いあう山下と安積の会話が見えなくて首を傾げた辻村に、山下が誘いをかける。
    「俺らさ、来週末、キャンプ行こうかって話してたんだけど。都合つくようだったら大樹も来ない?」
    「え?いいの?」
    「モチロン。拓哉の頭の中ではおまえもメンツに入ってたよ。あのまま話してたらあいつから誘ってたんじゃないの?」
    「行く行く。行きたい!すっげぇ楽しみ!」
     はしゃぐ辻村を見て、安積がやわらかく微笑んだ。
    「山下がさ、この間車買ったんだよ。せっかくだからみんなでどっか行こうってことになってさ」
    「うっそ、新車で?すごいじゃん!」
     キラキラとした目線を向けた辻村に山下がいささか居心地悪げに苦笑する。
    「親に金借りてね。買ってくれるほど甘くないから、俺、全額返さなきゃなんないのよ」
    「貸してくれるだけまだいいじゃん。ウチなんて貸してっていった瞬間ぶっ飛ばされそうだよ」
    「そのかわり安積のところは生活費仕送りしてくれてるじゃん? ウチは実家だからそーゆートコ甘いんだよ」
     車。仕送り。夜のバイトに女子大とのコンパ。
     同級生との間ではあまり話題に上らない会話は、わくわくとした高揚感を伴って辻村の耳から流れ込んでくる。
     そんなふうに、紺野たちと一緒にキャンプに行ったり、海に出かけたりして夏を満喫し、こんがりと日に焼けた肌で迎えた秋。
     一方で同級の小田嶋や有賀たちとカラオケに行ったり、ダーツにはまったり、女子高の文化祭を冷やかしに行ったり。高校二年の彼らは、切迫した受験勉強に追われることもなく、めいっぱい高校生活を謳歌していた。
     それでも、この時期になるとどうしても進路の話が出てくるようになる。
     今日も進路希望調査なるものを書かされたばかりだ。マックでだべりながら、三人はその内容について反芻しあっていた。
    「望は桂城大で希望出したんだ」
    「そ。デザイン系の方に行くかすっげぇ悩んだんだけどね」
     小田嶋の学生鞄はセンス良くアレンジされ、ほとんど原型を留めていない。私服で会うときには自分でペイントしたTシャツを着ていたりする。趣味、という言葉で括るにはずいぶんと才長けていると、素人目にもわかる。
     だが、そんな小田嶋もデザインの道は選ばなかった。
    「結局獣医の方にしたってわけね」
    「一応な。ま、来年になったら気が変わってるかもしれないけど」
     迷いをうかがわせる小田嶋に辻村は大きく頷いた。
    「気が変わってあたりまえじゃね? 高二でビシッと進路決めろって方がムリなんだよ」
     だらしなくテーブルに身体を預け、氷だけになった紙コップの中身をストローで掻きまわす辻村に有賀が話をむける。
    「大樹はまだ迷ってるんだ?」
    「……うん。ま、大学に行くつもりはないんだけどね、俺」
     かと言って、強く就職を希望しているわけでも、何かやりたいことがあるわけでもない。
     溜息とともに呟く辻村の脳裏に紺野の言葉が響く。
     ――――向き不向きなんてやってみなきゃわかんないだろ?
     まったくだと思う。
     進学するならこの大学。
     就職するならこの会社。
     たかだか17年しか生きていない自分たちが、今後の数十年を左右するような選択を迫られている。
     何に向かって突き進んでいけばいいのか。
     何を目指して将来を思い描けばいいのか。
     まったく答えを見出すことの出来ない辻村は、迷いなく自分の将来を語れる有賀も、迷いながらでも自分の選択した道を進もうとしている小田嶋も、少しだけ眩しく見える。
     自分がどんな可能性を秘めているのか。
     今の自分は、それをまったく見極めることが出来ないまま、自身の進路ですら決めかねている。
    「えらいよなぁ、おまえら」
     ボツリと呟いた辻村に向けられた有賀の眸はあたたかい。
    「そんなことないよ。大樹だって真剣に考えてるわけじゃん?」
    「でもさ、何かこう、俺だけ何もビジョンがないってゆーか……」
    「いいんじゃないの?まだ時間あるわけだし、今はまだ悩んでたってさ。誰かが決めたから俺も決めなきゃってゆー問題でもないでしょ? 大樹は大樹、俺は俺。そのうちきっと大樹にしか出来ないことが見つかるよ」
    「………」
     笑みを浮かべる有賀と向きあう形で座った辻村の表情は冴えない。むしろ、苦虫を噛み潰したような顔をした辻村に、残ったコーラを飲み干しながら小田嶋が問う。
    「どしたの?大樹」
    「何か正論なんだけど。有賀に言われるとすっごいムカつく」
    「えーー!?なんでだよ!」
     抗議の声をあげながらも、有賀の表情はにこにこと緩んだままだ。
    「その顔がすでにムカつくんだよ」
    「ひどくない?ソレ!」
     横暴だと、隣に座る小田嶋に同意を求めた有賀だったけれども……
    「全然」
     容赦なく切って捨てられて声をあげる。
    「ちょっと、望!」
    「黙れ、有賀!」
    「なんでだよ!?」
     将来に対する漠然とした不安や悩みを抱えながらも、気心の知れた仲間たちと過ごす日々は、笑い声の絶えない毎日だった。





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