•  夏の行方  
    03







     街中が賑やかな電飾で飾られる季節に変われば、冬の寒空を白い雪がチラチラと舞いはじめる。
     12月下旬のその日、高校は冬休み期間に突入した。
     その日も辻村は、薄い身体をコートに包み、白い息を吐きながら、紺野宅を訪れていた。
     特に何をするわけでもないけれども、ふたり、取り留めのない話をしながらゆったりと時をやり過ごしていく。
     そんなふうに流れる時間がひどく心地よかった。
     何より、紺野といるときの空気が辻村は好きだった。
     素のままの自分で心から笑っていられる、そんな空気が好きだった。
    「っつーかさ、何で俺らこんな日にまで一緒にいるわけ?」
    「そりゃー……何でだろうな?」
    「俺が聞いてるんだよ、ばーか」
    「は? お前も考えろよ!」
     寝転がってDVDを見ながら不毛な会話を繰り返していたところに、聞きなれた声が降ってきた。
    「ちわっス」
    「こんばんはー」
     顔をあげなくとも誰だかわかる。
     遅れて、階下から紺野の母親の快活な声がした。
    「拓哉!山下くんと安積くん、そっち行ったわよーー」
    「もう来てるよ、オフクロ! っつか、おまえらまで何しに来たんだよ? 暇人ども」
    「おまえに言われたくないよ」
     冷ややかに言う山下とは対照的に、安積は満面の笑みをその貌に浮かべた。
    「そーゆーコト言っていいのかな? せっかくサンタさんがプレゼント持ってきたのに」
     誰がサンタだよ……と吐き捨てた紺野とは逆に、辻村はその言葉に飛びついた。
    「何? 何これ? すっげぇイイニオイする!」
     安積の手にした袋を指差して目を輝かせる。
    「チキンとサラダ。あとちょっとだけだけどオードブル。バイト先でさ、キャンセル出て余した分もらったの」
     ガサガサと袋の中身を勝手にテーブルの上に広げていく安積に紺野が呆れたように言った。
    「っつか、何でウチ? そーゆーの持っていってやるオンナいないのかよ」
    「その台詞、そっくりそのままおまえに返してやるよ」
    「相変わらず大樹ちゃんはべらせて」
     そう言われて、口にしたポカリを危うく吹き出しそうになった辻村をチラリと見た紺野は、にやりと笑ってみせる。
    「うらやましかったらおまえもはべらせてみろよ」
     げふっ……とむせる辻村にはかまわず「ばっかじゃないの?」と、舌を突き出す安積の横で、山下も「馬鹿は相手にしな〜い」と言いながら手にした袋の中身を並べていく。
    「食い物は瑛士サンタから。俺のプレゼントはこっちね」
     そこに並ぶのはビールとワイン。
     途端に、紺野と辻村は眸を輝かせる。
    「おっ! 気が利くじゃん」
    「あ、じゃあ俺、コップと皿持ってくる」
     勢い良く立ち上がった辻村が部屋を飛び出して言った。
    「持ってくるって……おまえら、ここ、誰ン家だと思ってるんだよ!」
    「細かいこと気にするなって」
     かくして……
    「メリークリスマス!」
    「メリークリスマス」
     男四人、はしゃいでクラッカーを鳴らす望なる夜。
     ささやかなご馳走と気心の知れた仲間達との賑やかな時間。
     いつもに増して辻村のテンションが高いのは、紺野が何気なく口にした言葉のせいだ。
    『おまえらもはべらせてみろよ』
     勢いで返しただけの言葉だったとしても。
     自分がこうやって傍にいることを、紺野はあたりまえのように受け入れてくれている。
     自分と同じように、紺野も一緒に過ごす時間を楽しんでいる。
     そう思えたことが、嬉しかった。
     結局、朝まで飲んで騒いでハメを外して………太陽が昇るころには酒臭い男四人、床の上で折り重なるようになって眠っていた。





     年が明け、新春を装うディスプレイが一掃され、代わりにチョコレート色一色に飾られて間もないその日。
     彼らの住む地域は、この時期にはめったに体験することのない大雪に見舞われることになった。
     夕方から降りはじめ、夜通し降りつづいた雪は翌朝には止んでいたけれども、一夜明け、リビングに集った辻村家の面々は、カーテンを開けた窓に張り付いて、白銀に様変わりした戸外の光景に魅入っていた。
     そこには、見たこともないような世界が広がっていた。
    「すっげぇ……」
     街路樹は枝を撓らせ、立ち並ぶ住宅の屋根には一様に雪化粧が施されている。
    「こんだけ雪が積もるのって……なんかありえなくねぇ?」
    「きれいだけど、これじゃあ、車出せないわね。お夕飯、あるもので簡単に済ませていいかしら?」
    「全然かまわないよ」
     外に出ることを早々に諦めた母親に、口々に頷いてみせる傍らで、長兄が渋い顔をする。
    「俺、久史と約束してるんだよなぁ……」
    「え? アニキ、出かけるの? この雪の中?」
    「うーん。微妙だ…」
     やっぱり雪かきってしないとだめなのかしら? ほっとけば融けるんじゃね? こんな日に喜んで外出歩くヤツなんているのかよ? 等々と話していた辻村家を、ほどなくして雪まみれの人物が訪ねてきた。
    「いたよ、出歩いてるヤツ…」
     戸外を動く人影を目敏く見つけた父親が指差した。
    「あら、拓哉くん」
    「何やってるんだ? アイツ……」
     辻村家の面々に凝視されているとは露知らず。帽子を目深にかぶった紺野は雪の中を歩いてくる。
    「どうしたんだよ? こんな雪の中」
     チャイムが鳴るのとほぼ同時に玄関の扉を開けた辻村が問えば、紺野はにっこりと笑って言った。
    「ちょっとさ、買い物付き合ってよ」
    「は?」
    「パンツの裾上げ頼んでたのが出来あがったって連絡あったんだよ。で、ついでだから新しいアクセとかも見たいと思ってさ。一緒に街出ようぜ」
     断られることなど念頭にないマイペースさと強引さは、出会ったときから変わらない。
     邪気なく笑う紺野に完全に呆気に取られた辻村が、ニワトリのように首を突き出すような妙な仕草で問い返す。
    「え? だって雪、すごくね?」
    「だからさ。めったにないじゃん、こんな雪。せっかく降ったんだからこーゆーときこそ出歩かないともったいないって」
     嬉々として語る紺野に、俺を巻き込むな……と思いつつ。
     どこかでわくわくした気持ちを抱いている自分は、すでにその誘いにのってしまっていることを辻村は知っている。
     他の誰と一緒でも味わうことの出来ない高揚感。
     いつだって紺野は、こんなふうに思いもよらないことを言い出しては、辻村の想定外の世界に導いてくれる。
     それが、楽しくて仕方がなかった。
     紺野と一緒にいることが、たまらなく楽しくて仕方がなかった。
     いまだって、気のないふうを装いながらも、紺野を見やる辻村の眸は楽しそうに瞬いている。
    「電車動いてんのかよ?」
    「だいじょうぶっしょ? 雪止んでるし」
     紺野の返答はどこまでも能天気だ。
     そんなふたりの話を聞いていた辻村の母親がクスクスと笑い出した。
    「楽しそうでいいわね。拓哉くんにかかると人生いつだってバラ色だわ」
    「おばさん、それ、俺が考えなしのバカだってこと!?」
    「やーねー、そんなこと言ってないわよ。被害妄想じゃないの? あ、それとも誰かに言われたの? 馬鹿だって」
     真顔で問う母親の言葉に思わず吹き出した辻村の肩を、紺野が叩く。
    「笑いすぎだっつーの。ほら、行くぞ、大樹」
    「せっかくだから行ってらっしゃい」
    「え―――!?」
     いつの間に手にしていたのか。紺野とタッグを組んだかのようなタイミングで母親にダウンを渡された辻村は、結局、引きずられるようにして外に出た。
    「まぶし…」
     積雪で普段とはまるで様変わりした外の世界は、真っ白い雪が太陽の光を反射して、キラキラと瞬いている。
     サクッ…と、新雪を踏み潰す音。
     雪の上を歩く感覚。
     白く凍る吐息。
     肌に触れる冬の気温。
     眸に映る神秘的な世界。
     何もかもが新鮮で真新しくて。
     思わずはしゃいだ声が上がる。
    「すっげ。こーゆーの一面の銀世界ってゆーの?」
    「多分な」
     身体全体で喜んでいる辻村を見る紺野の眸は、どこまでも優しい。
     極端に好き嫌いのはっきりしている紺野が、誰に対してでもこんなふうにやわらかく表情を崩すわけではないことを辻村は知っている。
     だから、そんなふうな視線を向けられて、自分は彼の中で特別なのだと感じられる瞬間、なんとも言いがたい気持ちになる。
     視線が絡んだ瞬間、トクン、と跳ねた鼓動を、辻村はあわてて押さえつけた。
     いつからだろう?
     抱え込んだ何かが、その存在祖主張するかのように内側から辻村の胸を叩くのだ。
     その意味を突き詰めて考えてしまえば、とてつもない感情を引き出してしまいそうで―――――なんだか怖い。
     この関係を壊したくなかった。
     こんなふうに、肩を並べて馬鹿みたいにはしゃいでいられる、いまのこの関係を。
     屈んで雪をすくった紺野の手から、新雪がさらさらとこぼれ落ちる。光にきらめくその雪がキレイだと。辻村は心から思った。
    「山とか行ったらこんなもんじゃないんだぜ、きっと」
    「だよね。雪山とか、樹氷とか、そーゆーの、ちょっと見てみたいかも」
    「だな。………いつか、行けたらいいな」
    「うん」
     いつか。
     いつか、いっしょに。
     たとえば、明日また会おうとか、一緒に買い物に行こうとか。そういった気軽な約束とはまったく違う意味合いを帯びた、くすぐったくて、切なくなるような、そんな確証のない約束。
     その約束が叶う日が、本当にいつかの未来に来るのだろうか?
     そもそも、自分たちは、いつまでこうしていられるのだろう?
     思えば、自分と紺野との接点は、ひどく不安定なものなのだ。
    「どうした、大樹?」
     足を止めた辻村に気付いた紺野が振り返る。
    「別に…」
     自分は一体、何を考えているのだろう?
     先のことなんてわからない。
     わからないからこそ、いま、この瞬間を楽しめばいい。
     手を伸ばせば触れ合える位置に、自分たちはいるのだから。
     いつになくざわつく心をこの真っ白な雪のせいにして、辻村は足早に紺野に歩み寄った。






     Back  Next