•  愚者の楽園  
    04 





    「でさ、そのあと久志のヤツ、何て言ったと思う?」
    「知るかよ」
    「『勝手にしやがれ』だってよ! な? すっげーひでェと思わない?」
     大げさな溜息をついてまくしたてられたところで、頷けないものは頷けない。この件に関しては半ば―――というよりも、ほとんど久志寄りの見解の圭は、逆に春人に問いかけた。
    「俺だったら何て言うと思ったんだ?おまえ」
    「そこは当然、もっとあったかい言葉を期待するって」
     だって俺たち、ダチだろう? と自信たっぷりに言い切った春人に、圭もまた、大げさに肩をすくめてみせる。
    「ハズレ。やっぱり『勝手にしやがれ』だね」
    「何でだよ! っつーか、冷てェぞ、オマエら! いつの間にタッグ組んでんだよ!?」
     口いっぱいに頬張ったハンバーガーを噴き出すような勢いでわめく春人の口を、いっそ塞いでやろうかと、圭は思う。いつもなら軽口をたたきあう春人の他愛もない話に今日に限って乗り切れないのには、訳があった。
     早く確かめたくて仕方がなかった。
     本当のことを。
     今にも走り出しそうな気持ちを懸命に押さえ、一言一言言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
    「いいから、さっさと、用件話せ」
     直接彼らと連絡を取る術を持たない圭にとって、春人だけが真実を運んでくれる使者なのだ。
     だが、しきりに急かす圭に、春人はチッチッチッと指を振ってみせる。
    「食事の時に仕事の話はしない主義なの、俺」
     それが春人のいつものスタイルであり、殊更話をひきのばしているわけでももったいぶっているわけでもないことを、圭は知っている。そして、一見いい加減そうな印象を裏切って、仕事に対して常に真摯な春人のもたらす情報は、いつだって緻密で正確なことも。だからこそ、彼が知り得た真実を教えてほしくて、仕方がないのだ。
     気持ちに余裕がないのは自分の方だという自覚はあった。
     約束の時間まで待てずに食事時に押しかけたのも自分。
     けれども――――――逸る気持ちが止められない。
    「やっぱ食い物は味わって食っとかないとな」と、テーブルに並んだジャンクフードを美味そうに頬張る春人に圭は歯を剥く勢いで詰め寄った。
    「いいから食え。とっとと食え」
    「……………」
     口の中のものを飲み込んで上目遣いに圭を見やった春人は、子供のように不貞腐れた表情で呟いた。
    「今日のおまえ、どっかの小姑みたいに口やかましいぞ。だいたいなァ……」
     延々と続きそうな文句に、もう、我慢の限界、と、圭の中で何かが切れる。
     春人が最後まで言いきる前に彼の目の前に残されていたポテトをごっそりと掴み、勢いよく口の中に放り込んだ。
     口の廻る春人を一瞬で黙らせる強硬手段だ。
     あまりにも子供じみた行為だが、確かにそれは効果覿面だった。
    「あ――――――!」
     叫んだところで、時、すでに遅し。
     いい加減に咀嚼したポテトを、春人が大切にとっておいたコークで胃の中に流し込んだ圭は、手の甲で口の周りを簡単に拭うと、恨みがましい視線を向ける春人に妥協案を提示する。
    「話が終わったら追加で注文してやるから」
     だから先に話を聞かせてくれよ、と懇願する圭に、バン、とテーブルを叩いた春人がいきり立った。
    「そーゆー問題じゃねぇんだよ」
    「頼むよ…」
     と零した圭の真摯な声と必死な眸に、掴みかかってやろうかと伸ばしかけた腕を反転させた春人はガリガリと頭を掻いた。
     ポテトを取られたことは許しがたいが、圭の気持も理解できる。
     痛い程。
     逡巡した後、浮かした腰を落ち着かせた春人は不機嫌な表情を崩さないまま、しつこく念押しする。
    「ウソじゃねぇだろうな」
    「マジだって」
    「絶対だな」
    「ああ、絶対だ」
     言いながら、コツン…と、足先を蹴ってきた圭の足の甲を、加減せず思いっきり踏み返した春人は、悶絶する圭にようやく納得したような顔をして、今回の仕事の報告を口にした。
    「やっぱり出てきたぜ、アイツ。実際の刑期より短縮されてるけど、結果的にはおまえたちの筋書き通りってところなんだろ」
    「―――――!」
    「出所したその足で、まっすぐにおまえ達の町に向かっていったよ」
     ならば、恭一は間違いなく亮の元に向かったはずだ。
     あの時三人で誓った思いを遂げるために。
    「時期を前後して奴等の方も37番区の付近に仲間を集め始めてるよ。素性が割れないように結構気ィ使ってるみたいだけどな」
     大丈夫か? と目で問う春人に、要らぬ心配だと圭は応じる。
    「大丈夫だ。アニキが気付かないはずがない。絶対に何らかの手を打っているはずだ」
     そして、それこそが、亮が担った役割でもあるのだ。
     自分たちはあの時振り分けた役割を全うするためにひた走っている。
    「奴等を潰すのに、いままで集めた情報だけでもある程度の効果はあるはずなんだけど」
    「決定的な打撃を与えるには足りない……か」
     中央から最も離れたT町には、司法の目が十分に行き届いてはいない。経済的にも産業的にも州全体の利益や発展にプラス面での効果を持たない町であるからこそ、なおさら監理の目も杜撰になる。だからこそ、力にモノを言わせる者達が根を生やす温床にもなりやすい。法律はあってなきが如しだ。
     結果、生じた悲劇。
     それに対してどれだけの憤りを感じたとしても、同じやり方で奴等を黙らせたところで根本的な解決にはならない。
     血は血を呼び、争いは争いを生む。そして、憎しみは憎しみを。
     組織に壊滅的な打撃を与えるために圭と春人が動かそうとしているのは州警察だった。司法の手を介することによって、組織に社会的な鉄槌を下し、同じ悲劇が繰り返されないようにするために。だが、根拠なくして動かせるような相手ではない。
     いま必要なものは、州警察を動かすに足るだけの、決定的な証拠だった。
    「組織の奴等も三年前に比べればずいぶん静かになったから、もう少し入り込みやすいかと思ったんだけど、その認識はちょっと甘かったみたいだな。香織もそう簡単に核心には近づけないみたいだし」
    「香織さん、大丈夫なんだろうな?」
    「プロだよ? 俺たち」
     懸念の表情を浮かべた圭に、無用な心配だと、春人が厳しい表情で眉を上げる。
    「悪い」
     出すぎた言葉だったと、素直に詫びる圭に、「コレが俺たちの仕事だからね」と、春人は笑った。
    「それに、俺だって奴等には借りがあるんだぜ?」
     僅かに引きずる右足と、失った命。
     潜った修羅場は違えども、思いは春人とて圭と同じだ。そしていま、奴等の中に潜入している香織も。
    「引き続き、手は尽くすよ。恭一が出てきたってことは、リミットが縮まったってことだろう? 悠長なコトは言ってらンないもんな」
     無言で頷いた圭は、春人の肩をポンッ…と叩くと「頼むぜ」と、思いを込めた言葉をかける。
     そして。
    「あ、お姉さん、ここ、ポテト一つ追加ね」
    「コークも」
    「……だって。勘定はまとめて俺が払うから」
     通りかかった店員に声をかけて席を立ったのだが。
    「圭」
     鋭い声で呼び止められ、踏み出しかけた足を止める。
     肩越しに見やった春人は、いつにない真剣な表情で口を開いた。
    「絶対にひとりで突っ走るなよ?」
    「―――――」
    「約束だからな」
     わかってるって、と、笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振った圭だったが…………踵を返して歩みだしたその貌からは、笑みは瞬時にして消えた。
     握った拳に力が入る。
     間もなく春人の席にはあたたかいポテトと冷えたコークが運ばれていくだろう。
     治安が良く、雇用の安定しているこの街では、高望みさえしなければ、誰もが大概のものを手にすることができる。
     けれども、あの町では、いまも貧しさの中で暮らす人たちがいる。
     貧困の中で喘ぎ、謂れのない力の支配に苦しむ人たちが。
     食べ物のありがたみは身に染みてわかっている。
     キリキリと全身が軋むような飢えの辛さも、渇きの苦しみも。
     それでも、打ちひしがれて泣かずにすんだのは、手にした僅かな食べ物をわけあうことを教えてくれた人がいたからだ。
     たとえ腹が満たされていなくとも、うなだれず、頭を上げて生きていく術を教えてくれた人たちが傍にいてくれたから。
     だから自分はこうして立っていられるのだ。
     己の世界の中心には、いつだって兄である亮がいた。そして、恭一が。
     この場所がどれだけ居心地が良くても、彼らのいるあの町こそが、圭の故郷であり、安らげる場所なのだ。
     自分の居場所はあの町にしか在り得ない。
     だから激しく願うのだ。
     ―――帰りたい。
     彼らの傍へ。
     楽しかったあの日々へ。
     恭一が戻った事実を耳にして、一気に加速した望郷の念。
     もう、三年以上顔を合わせることはおろか、一切の関わりを断ってきた彼らに会いたくて。会いたくて。
     早くその声が聞きたくて。傍らに温もりを感じたくて、希う。
     ―――帰りたい。
     けれども。
     まだ早い。
     手ぶらでは帰れない。
     やり遂げなければならないことが残っている。
     三年前に始まった戦いは、いま尚終結してはいない。カタをつけなければ、自分たちの時間は三年前から止まったままだ。それどころか、この三年にすら意味がなくなってしまうのだ。
     いたみ分け…と言っていいだろう。
     互いに多くの血を流し、ずいぶんな痛手を被った。
     けれども、どちらも決定的な致命傷を負ってはいない。
     恭一が世間から隔離されたことで、お互いがある程度体制を立て直す猶予期間を得たと考えていいだろう。
     モノの在り処を知っているのが恭一だと、組織の連中は信じ込んでいる。奴等の動きを封じる為には、圭の存在が明るみ出てはならなかった。だからこそ、住み慣れた町と信頼しあえる仲間たちから離れ、たったひとり、見知らぬ土地へと流れてきたのだ。
     切り札はこちらにある。
     亮も、そして、当の恭一ですら知り得ない場所に封じた五億の金。
     主要な幹部を恭一の手によって殺害された組織にしてみれば、同時にそれだけの金を失ったことは、予想もし得なかった痛手だろう。
     けれども、土台をガタガタに揺るがされた奴等を一気に叩ききるためには、亮たちの方もまた、力も資金も不足していた。
     いや、己の力でできることは、あそこまでが限界であることは、多分最初からわかっていた。だからこそ必要だった三年なのだ。恭一が時間を凍結させているその間に、亮はあの町で奴等を追い込むための下地を築き、圭は亮の立てた筋書き通り、外側から奴等を瓦解する方法を模索しつづけたのだ。
     ファルコーニが新興の組織であったことが幸いした。
     網の目のように張り巡らせた情報網を持つ組織であったのなら、圭の居所や動きはたちどころに奴等の知れるところとなり、刑務所の中にも、恭一を害そうとする者の手が伸びただろう。
     だが、州の上層部に食い込むには、奴等の組織は若すぎたのだ。
     だから、ここまでは対等に戦えた。
     そして、圭にとってのもう一つの幸運は、この町で春人に出会えたことだった。
     一人で動くには枷が多すぎる圭にとって、物慣れぬ土地で志を同じくする仲間を見つけ出すことは、最初にクリアしなければならない最大の課題であり、苦難であったのだ。
    『焦るなよ、圭。じっくりと見極めろ』
     生まれ育った町を出る前に、何度も何度も亮から言い聞かせられた言葉。
     誰が味方になりうるのか。
     誰が圭の言葉に耳を傾けてくれるのか。
     見極める目を持たなければ、あの町に残った彼らは孤軍奮闘を課せられるしかない。
     それが意味するところに勝利はない。あるのは共倒れか敗北だ。
    『恭一が戻るまで、随分と時間はある。だから、焦る必要はない』
     探して、探して。
     そして春人に巡り会えた。
     あと少し。
     あと少しですべてを手にすることができる。
     ――――待っててくれよ。アニキ。
     必ず戻る。
     光を携えて。
     亮が一人、守りつづけたあの町へ。
     そしていま、恭一が戻ったあの町へ。
     あとは、圭自身が戻るだけだ。
     ――――俺だけ、筋書きから外れるわけにはいかないもんな。
    『おまえには、最も過酷な役割を課すことになったな』
     肩を叩いてどこか申し訳なさそうに薄く笑った亮の表情が脳裏に焼き付いている。
     そして、そんな彼の表情を思い起こすたびに、何故か胸が小さな不安に波立つのだ。
     その不安を拭うように、圭は頭を振った。
     これまで支えにしてきた言葉を胸の中で繰り返す。
    『たとえ、離れ離れになっていても、俺たちはひとつだ。今度俺たちが全員でここに集まる時こそが、奴等の息の根が止まる時だ。幸運を祈る』
     兄が約束を、違えるはずがない。
     ましてや、いまは傍に恭一がついている。

     ――――俺が行くまで、待っててくれるよな?
         また三人で楽しくやっていけるよな?

     正義は、自分たちの側にある。負けるはずがない。
     今すぐにでも彼らのもとへと走り出しそうな気持ちを懸命に押さえ、圭が振り仰いだその空は……………
     沈みゆく夕日で禍々しいまでの朱赤に染まっていた。





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