•  愚者の楽園  
    05 





     いつも通り、気まぐれに教会を訪れた子供たちは、見慣れない門前の様子に足を止めた。剥き出しの土の色が無言の圧迫感を持って訪問者に迫ってくるその一角は、草ばかりではなく、きれいに咲いていた花まで抜き取られ、ごっそりと掘り返されていたのだ。つい先日までとはかなり様相の違った様子に不安げに視線を彷徨わせると、亮の姿を探した。そして、いつもと変わらぬ聖職服に身を包んで微笑む彼の姿を目にしてはじめて、安堵したように肩の力を抜いた。
    「亮兄ィ、ここ、どうしたの?」
    「急にどうしたんだよ?」
     口々に問われる言葉に、なんでもないことのように亮は答えた。
    「ノラ犬に踏み荒らされたみたいでさ。ぐしゃぐしゃになってたんだよ。土も痩せてたし、丁度いい機会だから均して何か違うものでも植えてみようと思って、耕してみた」
    「でも、コスモスの花まで抜いちゃうことなかったじゃん。綺麗だったのになァ」
    「っつーかさ、言ってくれたらオレたちだって手伝ったぜ?」
    「なぁ?」
     ポケットにナイフを忍ばせ、ギラつかせた眸で通りをぶらついていた頃には絶対に発し得なかったであろう言葉を口にした隼斗と翼に「ありがとう」と亮は言葉をかけた。
    「手が足りなくなったらもちろんみんなに頼むつもりだったよ。けど、ウチには暇を持て余しているタダ飯食いがいるからな。見かけ通りの力はあるから、俺の倍は働いてもらったさ」
     そのタダ飯食いの姿をさがして少年達がキョロキョロと視線を泳がせる。
    「あれ? 恭一は?」 
    「裏庭にいるよ」
     いくら諌められたところで、「英雄」と仰ぎつづけてきた男に対する想いは、消えることなく彼らの胸に根付いている。亮の手前、あからさまに慕う素振りは見せなかったものの、それは見るからに明らかだった。
     この町でしか通用しない、誤った憧憬。
     だが、生まれる場所を選ぶことができなかった彼らに罪はない。
     だからこそ、散々に蔑んできた大人たちと同じ道を歩いては欲しくなかった。
    「ねぇねぇ、違うモノって何植えるの?」
     袖を引いて目を輝かせる千秋に、内心の思いを押し留めて亮は穏やかに微笑みかけた。
     最初に出会った頃には、敵意に凝り固まった眸で周囲を威嚇するように睨みつけ、笑うことを知らなかった少女だ。
    「千秋は何を植えたい?」
    「食べ物の木!」
     弾んだ声をあげる千秋に、傍らにいた隼斗たちがチャチャをいれる。
    「木なんてなぁ、育つのにすっげぇ年数かかるんだぞ」
    「こんなところでそこまで育つかよ、ばぁか」
    「育つよ! 亮兄ィがちゃんと育ててくれるもん」
     ムキになって声高に叫ぶ少女たちに、少年たちも大人げなく言い返す。
     歳相応の子供らしさでじゃれあっている彼らがいとおしいと、亮は思う。
     この町の大人たちには今では微塵も期待してはいない。僅かな思いも残してはいない。子供たちに対する思いのカケラ程ですら、彼らに抱くことはできない。それが、自分の度量の狭さの表れであることを亮は自覚している。だが、それで構わなかった。
     そんな亮の思いを感じとっている大人たちは、決してこの場所に足を踏み入れることはしない。この教会に足を運ぶのは、子供たちばかりだ。
     誰にでも開かれているはずの教会の門だが、この教会に限って言えば、子供たちの為だけに開かれていた。だから、彼らには自分を「神父様」とは呼ばせなかった。自分には、そんなふうに呼ばれる資格など、ありはしないのだから。
     自分は子供たちの未来の為にここにいる。
     ここにいる彼らが、亮が蔑みの目を向ける大人たちと同じ道を歩むことを、阻止するために。
    「こら。ケンカするんじゃない」
     意地が先に走って引っ込みがつかず、手が飛び出しそうな険悪さを漂わせた子供たちの間に、亮が割って入る。
    「そんなんじゃ、話もできないじゃないか」
    「話って何?」
     争いには加わらず、煙草を咥えながら騒ぎを眺めていた美弥が、すかさず先を促した。
     子供じみた喧嘩はみっともないよ、と、あからさまに語っている美弥の表情に、少年たちは首をすくめ、少女たちはバツが悪そうに顔を見合わせる。
     シン…となりかけた空気の中で苦笑した亮は、「実は」と話を切り出した。
    「みんなに相談なんだが…………」
     意味深な言い方に、なになに? と距離を縮めて集まってくる子供たちの輪の中で、亮は一人一人の顔をぐるりと見回した。
    「自分たちでちゃんと世話をするって約束できるなら、みんなに魔法の種をあげるよ」
    「魔法の種?」
     異口同音に唱える子供たちの眸は、その言葉に呼び起こされた好奇心で輝いている。
     そう、と頷いた亮は、裸の土を指差した。
    「この場所に、俺が種を蒔く。それをおまえたちが世話をする。それが何かは収穫するときのお楽しみ。だから魔法の種」
    「それって秘密の種って言わないか?」
     すかさず言葉を返した隼斗にどっちでもいいさ、と笑った亮は、ポケットから取り出した袋を子供たちに揺らして見せた。
    「コレにその種が入っている」
    「えーー。だったら今教えてよ」
    「すっげぇ知りたい!」
    「ダメだ。ちゃんと世話をしないと、結果がわからないって言うのはなかなかスリリングだろう? 手抜きはできないんだぜ」
    「亮兄ィ、ソレ、なんか、馬鹿にされてる気分だぞ」
    「そんなことはないさ。きちんと世話ができれば簡単に答えがわかるんだ」
     できるか? と意地の悪い笑みを見せた亮の挑発に、子供たちは勢いよくのってくる。
    「できるよ!」
    「できるできる」
    「うー。ぜってぇその種の正体、見極めてやる」
    「じゃあ、話は決まりだ。大事に育ててくれよ」
    「うん!」
     勢いよく返事をした子供たちのはしゃぎ声は止まらない。このまま放っておいたらいつまでも外で騒いでいそうな子供たちの背中を押して、亮は教会の中に入るように促した。
    「ホラ、中に入るぞ。せっかく来たんだから、何か一つでも学んで帰れ」
    「はーーい」
     今度は間延びした返事を返した子供たちは、歩き出した亮の後について教会の中に入っていく。
     その集団からこっそりと離れた隼斗と翼は、亮の目を避けるようにして、細い煙の立ち昇る裏庭へと駆けて行った。




     目的の背中はすぐに見つかった。
     焼却炉の前で薪をくべている恭一の背後に駆け寄って、二人は声を落として呼びかけた。
    「なぁなぁ」
    「…………」
     無言で視線だけを投げかける恭一の迫力に気おされながらも、子供ならではの押しの強さで二人は思いを口にする。
    「ちょっとの時間でいいからさ、ケンカのコツ、教えてくれないかな」
    「どうしたって負けたくないヤツ、いるんだよ」
     子供同士のグループの抗争や対立。
     この町ではよくある話だ。
     興味なさげに薪をくべ続ける恭一の態度にも臆することなく、二人は亮の前では胸の奥底にしまいこんでいた問いを投げかける。
    「悪者やっつけるのってメチャメチャ気分いいんだろう?」
    「亮兄ィはああ言ったけどさ。やっぱアンタかっけェよ」
    「……人を殺す瞬間って、どんな感じ?」
     薄ら寒い言葉をあまりにも無邪気に吐き出す子供たちに、哀れみと、そしてかすかな嫌悪を感じるのを恭一は禁じえなかった。
     炉の中で勢いよく爆ぜる炎に焼かれているものが何なのか、彼らは知らない。
     純粋に崇拝の目を向けてくる子供たちは、結局は何もわかってはいない。
     傷つけ、傷つけられることの痛みも、命を失うことの苦しみも悲しみも。
    「俺にはおまえたちに教えられることなんて、何もないさ。おまえたちに必要なことはすべて、亮が教えてくれているはずだ」
    「……………」
    「……………」
    「違うか?」
     違わない、と、無言で首を振るふたりに、だったら亮に聞け、と、恭一は静かに言った。
    「アイツだってかなりな腕っ節だぜ? おまえらなんて二人がかりだって歯も立たないだろうよ」
     かつて名を馳せたグループを統括していた男だ。
    「知ってるよ」
     即答したふたりの眸には、自分を見る眸に浮かぶものとは明らかに違った色が宿っている。
     それは、亮に対する絶対的な信頼の念だった。
     そのことに気づいた瞬間、恭一の中に湧き上がっていた嫌悪が、波が引くように静かに引いていった。口をついて出たのは思いがけない言葉。
    「アイツが、好きか?」
     そっけなさが消えた穏やかな言葉に、二人は素直に頷いた。
    「うん」
    「ここに来ているヤツらはみんな亮兄ィが大好きだよ」
     まるで、自分たちの大切な宝物を自慢するかのような誇らしげな二人に微笑みかけて小さく頷いた恭一は、顎をしゃくって教会の方を指し示した。
    「だったら行け」
     おまえたちの居場所はここではない、と。
     力強い光を放つ眸に押されるように駆けていく二人の背を見つめながら、恭一は背中に感じた亮の躯の重さと体温を思い出していた。
     ―――無駄かもしれない。
     淋しげに呟かれた亮の言葉。
     けれども。
     根付いている。
     亮の思いは確実に子供たちに受け止められている。
     己の直感したことは間違ってはいない。
    「やっぱり神父はおまえの天職だよ」
     だからこそ。
     彼らは亮の言わんとすることを、痛烈な痛みと共に受け止めるだろう。
     そして知るのだ。
     犯罪の非道さと愚かさを。
     朝から絶え間なく燃やしつづけている炎の中で焼かれる物言わぬ白い骨。
     空へとたなびく煙を見上げた恭一は、頭に巻いたバンダナを外して、首筋に流れる汗を拭った。



    ++++++++++++++++++++



     門前まで見送った子供たちに、亮は今、思いついた、とでもいうような唐突さで、彼らにとってあまりにも思いがけない言葉を口にした。
    「今度ここに来るのは、一週間後だ」
    「え?」
    「なんで一週間なの?」
     いつだって彼らのために開かれていた教会の門。
     来たい時に来て、好きなだけいればいいと言ったのは、亮自身だ。
     こうして来訪の日時を指定されたことは一度もなかった。ましてや、一週間のクローズを告げられたことははじめてで、子供たちは戸惑いの色を隠せない。
    「その間に俺が栄養のある土を作って、ここに種を蒔いておく。魔法の種は見られたら効果がなくなるから一週間出入り禁止」
     その言葉に少女たちは顔を見合わせて笑った。
    「それって、つまり、何の種かはどーしても内緒にしておきたいから来るなってことでしょ?」
    「なんか、見かけによらず子供っぽいよ、亮兄ィ」
    「俺のささやかな楽しみだよ」と、亮は悪戯っぽく笑う。
    「そこから先は完全におまえ達の仕事だ」
    「仕事って?」
     真顔で問う翼の額を隣にいた隼斗が容赦なく叩く。
    「馬鹿、さっき亮兄ィと約束しただろうが」
    「そうよ。水をやって、草を抜いて、あたしたちで手をかけてちゃんと育てるんだから」
    「なんか、すっげぇ楽しみになってきた」
    「そんなことを言っておいて、俺をがっかりさせないでくれよ」
     皮肉る亮に、子供たちは胸を張って答える。
    「まかせてくれって」
    「半年後だろう?何を植えたのかをあてたら、何か特典ありってのはどう?」
    「あ、いいね。それ」
    「約束するのは構わないが、芽が出てから考えられたんじゃ、一方的に俺が不利だぞ」
    「じゃあ、一週間後。その時、何が植えられているのかみんなであてっこってのはどう?」
     美弥の提案に一同が納得したように頷いた。
    「その間に、俺が特典を何にするか、考えておくよ」
    「えーーー。俺たちで決めちゃだめ?」
    「ダメ。おまえらにまかせたら、ロクなもの言い出さないだろうが」
    「納得いかなかったら要相談だかんな」
    「了解だ。でも、王様は俺だぞ」
     冗談めかして笑う亮の有無を言わせぬ迫力に、隼斗が渋々と「わかったよ」と口にする。
     一週間後の逢瀬を約束して、子供たちはそれぞれの方向に散っていった。
     細い雲のたなびく空を見上げながら、「一週間後……か」と、亮は呟いてみる。
     一週間後。
     果たして自分はどこにいるのだろうか?
     どこでもいい。
     恭一と一緒なら。
     共に在ることができるのならば。
     それがどこであっても、自分は安らかに眠ることができるだろう。
     ふたり、寄り添っていられる場所。
     そこが、自分たちにとっての楽園なのだ。
     他には何も望まない。
     何も……………
     胸に下げたロザリオを無意識のうちに握りこんでいた自分に気付いた亮は、そんな己の所作に小さな笑いを零すと、そのまま鎖を引きちぎった。
     これから赴く場所には不要なものだ。
     神の加護など必要はない。
     自分たちは既に己自身の楽園を手にしているのだから――――――





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