Act.05-1
彼女の絶叫は、その後あっという間に噂として広まっていった。
幸いというか、俺が冗談で言ったことを彼女がむきになって言い返した、という形にはなっていた。友人達の間でも笑い話として通っているらしい。
俺自身はとてもじゃないけど、笑っていられる状態じゃないけれど。
「いや、本当に知り合いになりたかったんだけどね」
「そんなにあの絵が気に入ったのかぁ・・・。そいつは気の毒に」
「気の毒?」
「ああ、あいつはああ見えて頑固者だから、嫌だって言ったら徹底的に嫌なんだよなぁ。妥協がないっちゅーか。まあ、子どもってことなんだけど」
「・・・うん、随分と幼い印象は受けたけど」
「幼いわけじゃないって。ただ好き嫌いが表に出やすいってだけで。そういえば、おまえみたいなやさしそーーな男は苦手なのかもしれないな」
彼女の事は俺よりも自分の方がよりわかっているのだと、そう言わんばかりの彼の態度にカチンとくる。冷静に考えれば、部活が同じ彼のほうが知っていてあたりまえなのに、誰よりも彼女の事を理解しているのが俺の方でなければならない。そんな根拠の無い自信めいたものを抱いていたのだから。
自分にしては珍しく表情にでていたのか、彼が怪訝そうに顔を覗き込んでくる。その仕草さえ気に入らない。
やがて、こちらに興味をなくしたのか、彼は元々親しい友人達のところへ去っていく。
頬杖をつきながら考える。
この焦燥感はどこからくるのだろう、と。
誰からも嫌われないようにしてきた自分が、初めて親しくなりたいと思った人間に嫌われてしまうなんて。今まで作り上げてきた偽りの自分が壊れてしまいそうで。だけど、全てを壊しきるには、後一歩の勇気が足りない。
結局、何をやっても中途半端なのかもしれない。
授業なんて耳に入らない。
それでも優等生である俺は、聞いているフリをする。自ら規格の外に出ることはできないのだ。
色々な思いがぶつかりあって、もうわからなくなる。
彼女に触れてから、何かが自分の中に広がっていった。麻薬のようなその何かは、密かに体中に蔓延していき、ゆっくりと身体を腐らせていく。
唯一、それを解毒するのは彼女になるのだろうけれど。
全ての世界が灰色に沈んでいく。
「宿題やってあるか?」
「・・・・・・あるけど?」
いつもなら、仕方がないなぁ、と呟きながらもにこやかに宿題を見せていたことだろう。相手の意図を読み取って、都合よく動いてやるのが今までの自分だから。だけど、そんなことをやってやれるほどの、余裕はどこにもない。
いつまでたっても都合のいい答えが聞き出せないことに業を煮やしたのか、彼が多少不機嫌そうに、次の言葉を発する。
「見せてくれるよな」
断定系で言い切られた物言いに、こちらも機嫌が悪くなっていく。
「悪いけど、それぐらい自分でやれよ」
俺からそんな言葉が零れ落ちるだなんて思ってもみない彼は、笑顔のまま固まって、すぐに怒り出した。
忙しいやつだな、なんてぼんやりと考えこんでいたら、彼は怒りに任せ俺の机を蹴り飛ばす。自分の中の全ての鬱憤が飛び出してくるのがわかる。
瞬間的に、彼の胸倉を掴み力任せに殴りつける。
一瞬よろめいた彼は、すぐさま利き腕を振りかぶる。あっという間に人垣に囲まれて、左頬に感じる痛みも、ミゾオチに感じる痛みもわからなくなっていく。
全ての動きがスローモーションのように見えてくる。
くだらないことがきっかけで始まった殴り合いは、やがて担任教師が呼ばれ、クラスメート数人に力ずくで止められるまで終わることはなかった。
どうして、こんなところでこんなものを書いているのだろう?
そんなことを頬に当てられたに絆創膏に触れながら考える。
いつものように宿題ぐらい見せてやればよかったじゃないか。
そうすれば、こんなに面倒くさいことに巻き込まれることもなかった。先生方の呆れたような表情をみることもなかった。
反省文を書くため、適当に桝目を埋めていく作業をしながら考える。
彼女に関わってから、全てがおかしい。
必要以上に人と関わろうとしたり、必要以上に人との関係を断ってみようとしてみたり。
否、今までがおかしかったのかもしれない。
誰とでも均等に付き合っていこうだなんて、自分には無理だったのだ、きっと。
だからこそ、こんなところにきて綻びが目立ってくるのだ。
建前の言葉で埋め尽くされた反省文は、読み返してみると、とても気持ちが悪い。
違う・・・これが今までも自分の姿だ。
偽って建前ばかりで、だけど密かに周囲の事を見下して。
なんて、なんて醜悪な姿だろう。
夕日が差し込む教室でたった一人、涙が溢れ出てくることを止められなかった。
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