08

 ずっと父さんは立派な男の人で、母さんはやさしい女の人だと思っていた。もちろんじいちゃんもばあちゃんもいい人で、そんな人たちに褒められるジブンはすごくいいやつだと信じていた。
サンタクロースの存在を信じていた子どものころみたいに。
だけど、やっぱり父さんも母さんもじいちゃんもばあちゃんも人間で、嫌なところだってあるのだと知ってしまった。
親だって人間だって、わたしよりずっと大人の誰かがいっていたけれど、どこかわかるようでそんなものわかりたくはない。まして、ジブンの目の前でろくでもないことをしでかす親なんて、どう考えたって見たくはない。
半病人に近い夢遊病者のような姉さんと二人きりの食卓。相変わらず味がついていなかったりつきすぎていたりするけど、そんなものはどうでもいい。ただ、こうやってふたりぽっちだけど、姉さんと二人の家はとても居心地がいい。
たまに、父さんが加わるけど、明らかにおかしい姉さんに気がつかない父さんは嫌いだ。おまけに、電話でわたしに何かをごちゃごちゃ言ってくる爺婆も嫌いだ。わたし達のことなんか放ったらかしで、たまに帰ってきては口うるさく言う母さんも嫌いだ。
なのに、そんな人たちを本当に嫌いになれないでいるのが苦しい。
やっぱり父さんは父さんで、母さんは母さんだ。
ぐちゃぐちゃな気持ちは勉強をすることでなんとか誤魔化した。どちらもわたしがこんなことを思っているだなんて気がつきもしない。それが、もっとかなしい。


「あんた、大丈夫なの?寮暮らし」
「んーーーー。そういうことは合格してから考える」

アキちゃんも他のトモダチも、わたしが合格することを信じて疑っていない。なぜだかセンセイですらそんな感じで、あまりプレッシャーを感じないタイプのジブンでもちょっとだけあせる。

「まあ、あんたならどこでもやっていけそうだけどねぇ」
「そうそう、図太いし」
「寮ってことはご飯はでるんでしょ?だったら大丈夫じゃない?」

次々に勝手なことを言っては笑っている。
受験勉強のため、なんて言ってウチへ来てはガヤガヤと話して終わっている。私以外はたぶんちっとも勉強ははかどっていないと思う。わたしは周りがどれだけ煩くても勉強できるタイプなので大丈夫だけれど。

「あのさ、亮子」
「ん?」

必死に数学の問題を解いていたわたしが一段落ついたところでひょいっとアキが声をかける。

「千津さんって……、痩せてない?」
「そうかな?なんかダイエットしてたみたいだけど」

そんなことをしていないことは自分が一番良くわかってはいるけれど、今の姉さんの状態を周りに言いふらす事だけは絶対に嫌で、そんな事を答える。
ダイエットと恋愛の話は食いつきが良くて、あっという間に姉さんの話題は他の何かに変わっていった。ただ一人アキだけは納得できない、と言う顔でこちらをみていたけれど。
帰り際に、最後に玄関に残ったアキがこちらへと真面目な顔を向けた。

「千津さん、病気なら病院行った方がいいと思う。まじやばいって、余計なおせっかいかもしれないけどさ、あんたの家誰も気がつかないわけ?」
「気がつかないわけないじゃん、そんなの」

真剣なアキに、とてもじゃないけれどこれ以上は誤魔化せなくて、だけど、気がついていたけれど何もしていないわたしはそれだけを言い返すのが精一杯。
アキの言葉はジブンを責めるように聞こえて、つらくなって耳を塞ぎたくなる。

「ごめん……。おせっかいだった」

口を結んだまま開かない私を見て、アキは帰っていった。それからわたしにはそのことを言わないでくれた。
その日、わたしは初めて姉さんに向き合うことにした。



ぼんやりとテレビをみているようで見ていない姉さんに話し掛ける。返事は上の空、だけど、ふわりとこちらの方へと顔は向けてくれる。

「体、大丈夫?」

ぎゅっと姉さんの右手を掴む。生きているはずなのに、体温を感じられなくてぞっとする。どこかへ行ってしまいそうで思わず強く握り締める。

「大丈夫だけど?」

柔らかい笑い方は姉さんのいつもの笑い方なのに、わたしとの間に幾枚かの薄布が挟まっているようにはっきりとしない。その原因がわからなくて困惑する。
わたしが困った顔をしているのがわかったのか、姉さんが再び笑顔を見せる、大丈夫、という言葉を残して自分の部屋へと立ち去ってしまう。
それ以上姉さんを追いかけることができなくて、わからないままのわたしが取り残される。 こんなときに頼ろうと思い出すのは、父さんや母さんで、でもアキでも気がついた姉さんの状態に誰も気がつかなかったことに気がついて、呆然とする。
父さんは父さんで、母さんは母さん。
なのに、生まれて初めて、両親を恨んだ。
二人なんて大嫌い、って言えたら、楽になれるのかもしれない。


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5.1.2007

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