09

「これは、なんとかしないと」
「いくらなんでもこれは、ねぇ」

流されるままに合格してしまったわたしは、特に何もすることがなくてソファーでジャンクフードをバリバリ食べている。ここ数日で急激にほっぺたに肉がついたような気がしないでもないけれど、気がつかなかったことにしよう。
ものすごく珍しく両親が揃ってねーちゃんの通知表を見ながらため息をついている。
アレ以来わたしは何もできなかったし、何もしてこなかった。
何かがあったのが確かなはずのねーちゃんは、誰の手も借りずに結局一人で段々回復していった。わたしはといえば、勉強と言う言葉をイイワケにして、必死で目と耳を塞いでナカッタコトにしていた。チラリと兄さんに相談しよう、なんて思わないでもなかったけれど、殺人的に忙しそうなあの人に相談できるはずもなく、一人で悶々としていただけだった。
不思議なことに、父さんと母さんに相談しよう、だなんてカケラも思いもしなかった。
今でも、あの時のことを話すつもりなんてない。
あれだけ入り浸って、おこずかいだってたっぷりくれたじーちゃんばーちゃんなんて問題外で、電話がきてもガチャ切りするぐらいの関係になってしまっている。この間も久しぶりにまともに話をしたかと思ったら、父親に似てアタマのいい孫をもって嬉しい、というところで頭に来て受話器を叩き置いてしまった。成績だけを褒められることにはなれているけれど、それでも身内であるじーちゃんに口を開けばそこしか言われない、というのも気がついてしまえばかなりいやだ。

「来年はがんばるから」

ねーさんは上の空で本当に困った顔をしている両親の顔を見ようともしない。体調も精神状態も一時期に比べるとずっと良くなったとはいえ、相変わらず痩せすぎで顔色が悪いことには変わりがない。そして、わたしが不摂生で太ってしまったことも、ねーちゃんがやせ細ってしまったことも、まったく気がつかないこの人たちに、何を期待していいのかわからなくなっていく。
結局のところ、ねーちゃんの成績を思いっきり気にしながらも、それ以上の事は何も言わず、わたしの寮生活についての話で盛り上がっていく。
まったく自立できないわたしが集団生活ができるのか、だとか、好き嫌いが多いわたしが寮のご飯をまともに食べられるのか、だとか。ほとんどが基本的な生活に関することで、ちょっとだけ情なくなってくる。姉さんも姉さんで、自分の体調なんか棚に上げ、わたしの心配ばかりをしていたりする。その気持ちが嬉しくてくすぐったくて、でも罪悪感を煽るだけ煽ってくれる。
わたしはねーさんに対して、何もできなかったのだから。



 とんでもない顔色と、ありえないぐらいの体型と成り果てた兄さんが合格祝いだと、実家へとやってきた。ようやくドクターが取れたせいなのか、就職先が決まったせいなのかぴりぴりした雰囲気はなくなって、まともになった、と思う。兄弟三人揃ったのは最近では珍しいことで、ちょっとだけくすぐったい。
姉さんが作ってくれた私の大好物メニューを前にして、久しぶりに人間の社会に戻ってきた兄さんがしみじみため息をつく。

「おまえが寮暮らしなぁ」
「…言わないで、自分が一番後悔してるんだから」

そう、正直にいうと、思いっきり後悔しているのだ、ジブンの選択に。
あの時のわたしをぶん殴って正気に戻したい、ぜひとも、ぜったい。だけど、ずるずるとここまできて合格できないのも癪だと、あっさり合格してしまったのはジブンのせいで、あれほど嬉しくてあほになってしまった周囲に対して、いまさら行きたくないなんてとてもじゃないけど言えっこない。

「それに、千津、おまえの成績もなんとかしないと」

半病人だった姉さんの姿を知らない兄さんがそんな事を言う。悪いけれど、そんなものより姉さんが笑っている事の方が重要だ。それに、どれだけ成績が悪くても姉さんはアタマがいい、それに引き換えわたしは成績だけでたぶんむちゃくちゃバカだ。どちらがいい、なんて、姉さんに決まっている。

「……そういわれれば父さんが何か言ってたような気も。面倒くさいから塾でも」
「だめだ」

姉さんが言いかけた言葉を兄さんが遮る。

「なんで?わたしだって塾行ってたし」
「千津と亮子は違う」

わかるようなわからないような屁理屈を並べ立て、姉さんが塾に行くことをやめさせようとする兄さん。だけど、成績は上げろっていうのは、我侭すぎじゃないか?

「父さんも塾は駄目みたいな口ぶりだったけど…」
「行っとくけど男の家庭教師もだめだからな」
「……父さんの職場を考えるとそれはすごく難しいような気がするし、今までだって…」

思いっきり男だらけの研究室で働いている父さんが、家庭教師をできるような女子学生を連れてくるのはとってもムズカシイと思う。まして兄さんのところだって似たり寄ったりで、たぶん兄さんみたいなのが一山いくらで並べられているようなところ、なんだろうな、と思うとちょっと嫌だ。それに、姉さんに家庭教師がついていたことを兄さんは知らない。しかもそれが男の人だったなんて。
それにしても、兄さんと父さんの反応を見ていると、わたしに対するものとムチャクチャ違っていて、ちょっとへこむ。だけど、それよりも仕方がないっていう気持ちの方が強い。なにせ、昔からきれーだった姉さんは、色々な意味で嫌な思いをすることが多かったから。 もしジブンがもっとキレイだったら良かったのに、などという思いは、姉さんをみているとどこかへあっさりと吹き飛んでしまう。それぐらい、得をすることよりも損をすることが多いと思う。
親戚連中に目をつけられたのだって、女連中からやたらと突っかかってこられたのだって、兄さんのトモダチ連中に変な目で見られたりしたのだって、それもこれも姉さんが大人びた美人だったからだ。
姉さんにしても、小さい頃からそんな風だったから、そういう嫌味や視線をヒラヒラと流してしまうことができるけど、それでもやっぱりストレスは溜まりそうだし、たまにそれで体のほうがギブアップすることもある。体が弱いって嫌味を言う人もいるけれど、やっぱり精神的なストレスってバカに出来ないと思う。
だから、兄さんが過剰に心配するのもしょうがない、かもしれない。
あんまり姉さんは心配していないみたいだけど。

「……そのへんは父さんたちとよく相談するから」

あっさりと兄さんの攻撃をかわし、楽しい食事へと戻る。
こんな風に姉さんの料理が食べられないってことに改めて気がついて、また泣きたくなった。
なんとなく、もう少し兄さんと姉さんと家族っぽいことをしてみたかったのだと、そんなことを思った。


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5.19.2007

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