07
お経が終わった後はおきまりらしく、なんだか気取ったお膳が用意されていた。
昔は家で手作りをだしたらしいけれど、さすがにそこまでは、ということで近所の仕出屋で頼んだらしい。
わたしは爺婆の隣で用意されたきれいなお膳の前に座らされた。その隣が父さんで、母さんはいない。
姉さんはいつのまに作ったのか汁物を各自に運ぶのに忙しい。
そうして、やっぱり姉さんの席もない。
きっちり人数分用意されたというお膳の数を間違えるはずもなく、どう考えても母さんと姉さんの分だけ初めから用意されていないと考えて間違いないのだろう。
どうして、だとか、なぜ、だとかそんなことはわからず、ただただ気持ちが悪い。
父さんはわたしがそんなことを不思議がっているだなんて気がつきもせず、ご機嫌でビールの栓をあけている。
「なんでねーちゃんの場所がないわけ?」
ざわざわしている部屋の中で思いのほかわたしの声は響いてしまったらしい。ほろ酔い気分の親戚の年より連中がこちらに振り向く。
「なんでって……あれ?そういえば」
「そういえばじゃないって、だいたい、どうして姉さんだけお経読んでもらってる間、廊下で座らされているわけ?」
「そうだったか?まあ、座る場所がなかったんじゃないか?」
「あんなに細いねーちゃんが入らないぐらいデブばっかりなわけ?」
まだ女を捨てていないのか、ギロリとおばあちゃん連中がこちらを睨みつける。だけど、親戚だなんて言われてもまったく親近感のわかない、言ってみたら赤の他人に何をされてもちっともなんとも思わない。
「で、なんでねーちゃんのお膳がないの?」
隣にすわっているばあちゃんにたずねる。
子どもにはわからないって顔をして、いいからいいから、としか言わない。わたしの意見なんて、そのへんのカミキレよりも軽いもののように扱われて、とても腹が立つ。わたしが不機嫌な顔をしても、なにやら口元をもごもごさせてナニカを言いたいようだが、はっきりとしない。おまけに、姉さんが作ったらしいお吸い物をわざとらしく一口飲んでみては、「まずい…まったく、料理も禄に出来ないなんて」
と、ケチをつけた。
ドロドロドロドロ、ヘンなものが流れ込んでくる。おいしそうなご飯を目の前にしているのに口の中がなんだかまずい。
おいしくないとぼやきながらも、ばあちゃんはペロリとそれを平らげた。だったら言わなければいいのに、という心の声がウッカリ表に出てしまう。
「だったらジブンで作れよ」
ずるっとお吸い物を一口すすり、いつもの味だと安心をする。わたしのお袋の味は言ってみれば姉さんの味だから、こうやってむしゃくしゃしているときでも匂いと味で癒されてしまう。
ばあちゃんの方は、イキナリ乱暴な言葉を投げつけられたせいなのか、コホンとわざとらしく咳払いをして聞かなかったことにしたらしい。あれだけ躾躾とやかましく言っているのに、一番面倒をみてきた末っ子の私が一番お行儀が悪いだなんてあほらしいことだ。
「亮子ちゃんは、ずいぶんといいところを受験するみたいだねぇ」
オレンジジュースを片手に、見知らぬ親戚がにじり寄ってきた。
私は誰かわからないのに、向こうは親しげに話し掛けてくる。しかもなぜだか私の受験先を知っているらしい。
「ほほほ、この子は小さい頃から父親に似て頭が良くて」
母さんに似ても大丈夫そうな気がするけれど、こういうときのばあちゃんは絶対に母さんを引き合いに出さない。
「まあ、でも、女の子がそんなに気張らなくても」
あっという間に飲み干して空っぽになった私のグラスにあまりおいしくないジュースが注がれていく。
「別に、気張ってるって程でもないし」
満たされたコップを一気に飲み干す。
相手はこちらが言ったことに気分を害したのか、露骨に嫌そうな顔をする。
見知らぬおじさんの後ろに気持ちの悪い若い男の顔がチラチラとみえる。親戚の間のあいさつ回りに付き合わされているらしいが、そんなことはやりたくないと顔にはっきりと書いてある。おまけにさっきから姉ちゃんのことが気になるのかチラチラと粘着質な視線を送っていたりして、不快な気分が跳ね上がる。
ばあちゃんにビールを勧めながら私と姉さんのことを一応褒めている、らしい。
そう聞こえないのは、私が悪いわけじゃなく、向こうの根性が悪いからだろう。ねっちょりとした視線を送りつづけながら、若い男のほうは姉さんを見っぱなしだ。私のトモダチとかにもよく見られる人だけど、コイツみたいなのに見られるのは私がムチャクチャ気持ちが悪い。大嫌いなカマキリを睨みつけるようにコイツを見ていたら、なぜだかびくっとしてますます挙動不審になったところが、もっとイヤだ。
大人同士のわけのわからないやりとりの後、おじさんが大アホなことを言い出した。
「どうですか?考えてくれましたか?」
「ええ、とてもいいお話で」
「そうですか、息子も随分と気に入りましてね。いつ聞いてくれるのかと毎日せかされてまして」
「ほほほ、母親に似て禄なしつけも受けてませんけれど、そちらで躾なおしていただければ」
「それはまかせていただければ、母親も早く家事から開放されたいとボヤく始末で」
「ご期待にそえるかどうか、何分行き届いていない娘ですから」
わけのわからない会話をしているけれど、それがなんかとんでもないことだということだけはわかる。
「ばあちゃん、何の話?」
空々しい雰囲気のばあちゃんとおじさんの会話をぶった切って聞いてみる。
「いやいや、これが千津さんを気に入りまして」
おじさんが指差した後ろにへばりついている気持ちの悪い男は、なんだか言いたくはないけれど、顔を赤くして照れているらしい。どう考えても、カエルや蛇の方がはるかにカワイイ。
「気に入る?その後ろの気持ちの悪いおじさんが?」
息子をけなされてあからさまに機嫌が悪くなったけれども、そんなことにはかまっていられない。おじさんが年寄りだから若く見えるけれども、後ろのキモチワルイのは、充分にじじいだ。姉ちゃんとつりあうはずもない。
「これ、亮子。せっかくあんなのを気に入って下さったのに、なんて失礼なことを言うんです」
「はあ?気に入る?美人でなんでもできて性格のいいねーちゃんを、この気持ちが悪いおっさんが???」
わざと大きな声で言ってやったら、案の定ざわざわとくつろいでいた親戚連中が一斉にこちらを振り返ってくれた。
「つーか、父さん、姉さんに縁談って知ってたわけ?」
となりで関係ない素振りでお膳を食べつづけていた父親に聞く。
激しく首を横に振るところを見ると、この話はじーちゃんばーちゃんが勝手に決めたことみたいだ。
「ばあちゃん、千津はまだ子どもだし…、それに、まあ、なんだ…」
一応反対らしい言葉を口にするものの、祖母には口答えできないらしい。そういわれれば昔からそうだったと、嫌な出来事が次々と浮かんできてしまう。
姉さんはこちらがざわついていることには気がついてはいるものの、なにやら忙しくしているため、ジブンが話題の中心であるだなんて思いもしていないだろう。
「子どもっていうか、あきらかにつりあわないじゃん。そこのブサイクと美人のねーさんじゃ」
きーっというサルのような喚き声を発しながら、たぶんそいつの母親と思わしく人間が詰め寄ってくる。どんなこどもでもジブンの子どもはカワイイ、っていう誰かの言葉をぽんと思い出す。
「思い出したけど、そいつって名門大学を受験するんだって親戚中に言いふらして、何年も玉砕したあげく、フリーターですらないただのニートじゃん」
うちの親戚は若い人間が少なく、いても付き合いが薄かったりする。そんな中でこういう行事に顔をだして、なおかつじじいなのに年が若い方に入ってしまう、目の前のキモチワルイのに関する情報をようやく思い出す。
そういわれればそんなことを聞かされた覚えがあるし、そのときには祖父母がバカにしていたことも思い出してしまった。
「じーちゃんもばーちゃんもあんなにバカにしてたのに、そんなのと千津ねーさんを結婚させる???ばっかじゃないの?」
いつのまにか握り締めていた箸をお膳の上へおき、正座で痺れた足で倒れないように注意しながら立ち上がる。
ひそひそとなにかを話しながらこちらを窺っていた連中を睨みつける。
悪いけれど、こんなところにはいたくない。
わけのわからないことを言われたのにジブンのかーちゃんに何も言い返せない父さんも。
いつまでもどこかに引っ込み、様子を見に来てくれないかあさんも。
意地悪そうな顔の親戚も、気持ち悪いのも全部全部大嫌いだ。
なにより、そんな気持ちの悪いものにすがって、姉さんを嫌いになりそうになったジブンがだいっきらいだ。
わたしは何が起こったのかがわからない姉さんの腕を掴み、連れ出すような格好でその場を逃げ出した。
姉さんの腕があまりにも細くて、それだけがとても哀しかった。