05

「良く決めてくれたなぁ」

ずっと勧められていた家から遠い超進学校へ行きたい、という進路を伝えてセンセイが嬉しそうな顔をした。
冗談交じりに言っていたけれど、結構本気だったのだと驚いた。

「まあ、篠宮の成績なら大丈夫だとは思うけど、受験はそれだけじゃないからがんばれよ」

親の方針で普通の公立中学に通っているため、正直受験対策がばっちり、というわけじゃない。それでも、姉さんが進学したレベルの高校だったら充分かもしれないけれど、わたしが狙っているところはそういうわけにはいかない。だからおおっぴらには勧めないけれど、それでも塾などを利用しろと、発破をかけらることが多い。
一年弱残されているとはいえ、たぶんこのままのペースではわたしでもきっと受からない。だからこそ、こうやって早めにセンセイに伝えてがんばる意思をみせたのだ。
チョット前は中学卒業とともに家を出るつもりなどなく、当然そのまま近所の高校へと通うつもりだった。
だけど、あの時感じてしまった「ここにいたくない」という思いは日に日に強くなっていき、もう限界近くなっていった。そんな時ひょんなことからセンセイが勧めてくれていた全寮制の高校のことを思い出したのだ。最初から選択肢になかった高校を調べるにつれ、そこならば両親を説得するにも充分なレベルだと気がついたのだ。ちょっと引き気味に両親に伝えてはみたものの、両親はあっけなく納得し、姉さんが少し心配そうな顔をしただけだった。もはや姿を見ることが出来ない兄さんは置いておくとして、じーちゃんもばーちゃんも「それならば鼻が高い」と、わけのわからない応援の仕方をしてくれた。
うちの中学で初めてかもしれない、その高校へのチャレンジはあっという間に学内に広まり、後から聞く形となったトモダチにはさんざんぼやかれたけど。
でも、トモダチと離れてしまう辛さよりも、今自分があそこにいるという辛さの方が遥かに上だから。トモダチには笑ってみせて、余計なことは言わないように。アキは何度も話を聞こうとしてくれたけれど、その度に笑って誤魔化した。
あんな卑怯なことを思ってしまった自分は知られたくないから。





「姉さん?」

少し青ざめた姉さんの顔が見える。
完全に嫌いになどなれなくて、でも、顔を見るのは少し辛くて。最近、ご飯のとき以外一緒にいることが少なかった。そのご飯さえ、勉強をするといっては部屋に持ち込んで、完全に一人で食べたりが多い。
食器を下げる途中で偶然出会った姉さんは、いつも思い出す姉さんではなくて、とても生きているとは思えない顔色をしていた。
確かに、姉さんは色が白いけど、まさしく今の姉さんは色を失うといっていい状態だ。

「大丈夫?」

咄嗟にでたのは心配のコトバ。
やっぱりわたしは姉さんのことは嫌いじゃない、そんな風に思えた自分も嫌いじゃない。

「病院…」

わたしの腕を掴んで、力なく首を左右に振る。

「大丈夫、だから」

どう考えても大丈夫には思えないのに、姉さんはそんな事を言う。
元々姉さんは弱っている姿を見せることはほとんどない。
いつだって看病する側で、両親だって兄さんだって姉さんを看病している姿を見たことがない。それをあたりまえだと思ってきたけれど、あたりまえじゃなかったのだと、気がつかされてしまった。
掴む腕の力も弱弱しくて、その体が余りに細いことに驚いた。
華奢な人だと周囲が言っているのを聞いてはいたけれど、いつも元気に笑っていたし、最近ずっとこんなに近くにいたことがなかったからわからなかった。
腕も、足も、わたしの半分ぐらいで、そんな人に家の中の全部を任せきりにしていた自分がものすごく恥ずかしくなった。
姉さんがちょっとだけわたしにもたれかかる。なんとなく嬉しくて、おでこから暖かいナニカがでているようで、すっとチクチクがいなくなっていく。

「ありがとう、もう大丈夫」

時間にしてほんとうに僅かなものだけど、姉さんが少しだけ顔色を戻して穏やかな笑みを作る。
つられて、思わず笑ってしまったけど、その両腕にあるあざに気がついて一気に体温が急降下した。
そのあざに姉さん自身が気がついていないのか、見られたことに気がついていないのか、何を気にする風でもなくこちらを笑顔で見つめたままだ。どうしていいのかわからなくて黙ってしまったわたしを置いて、ジブンの部屋へと帰っていった。
あんなにか弱い姉さんを傷つけた人がいる。
許せなくて、腹が立って、でも姉さんにそのことを聞くことができなくて。
ずっと後でその日に父さん推薦の家庭教師が来ていたことを思い出した。
わたしは姉さんを守るために家にいたい、そう思った時にはすでに、わたしの進路は周囲の色々な思惑とともに変えることなどできないところまできていた。
そうして、結局素直になれないままのわたしは、辛うじて一緒にご飯を食べるということをこなすだけで精一杯だった。 姉さんの笑顔がどんどん減っていったことに気がついていたのに。


>>次へ>>戻る

4.5.2007

>>目次>>Text>>Home