05
視線があった。
僅かな時間だけれど。
口を突いて出てしまいそうな言葉は、彼女の微笑に押され喉の奥へと押し込まれていく。
聞いてはいけない。
だけど、知りたい。
ただの教え子なのに、飢餓感にも似た好奇心を覚えるなんて。
「へーー、妹さんか、でも・・・」
そう呟いた言葉は確実に彼女に伝わっていただろう。彼女は僅かにその表情を曇らせていた。
言われ慣れた言葉なのだろう。
彼女は、妹さんともまるで似ていなかったのだから。
妹さんと篠宮教授は並べば直ぐに親子だとわかるだろう。
決して容姿が整っているとはいえないが、柔和そうな笑顔は父親譲りのものだと言える。
なのに、妹さんと彼女を並べると、二人の関係性がまるでわからなくなる。
せいぜい友人どまり、いや、二人の持つまるで異なる雰囲気から、そういう判断も下せないのかもしれない。
母親似だという兄も、たぶん父親と並べばしっくりくるのだろう。
明らかに彼女だけが異質。
全ての家族が揃えば、その異質さはいっそ際立つ。
彼女は平気そうな顔をして、俺の声に出さない言葉の続きを飲み込んだ。
慣れた風の態度が余計に罪悪感を感じさせる。
たぶん、彼女は想像よりもずっと、自分が他の家族と異なる存在だということを自覚してもいるし、傷付いてもいる。
思い上がりかもしれないけれど、そんな風に思えてしまったのだ、あの瞬間で。
「千津ちゃん元気?」
「元気ですが」
先輩はあっさりと彼女の事を名前で呼ぶ。彼の呼ぶ彼女の名前が甘く香るようで気恥ずかしさが先にたつ。
「本来は頭のいい子だから、すぐにでも取り返せると思うのだけど」
「頭は、確かにいい子ですね。それに大人びています。ひねくれてはいないけど」
あの、妙に冷めたような、だけど悲観しすぎていない表情は、10代の少女のものとは思えない。
自分が学生の頃を思い返してみても、知っている人間の誰よりも彼女は成熟している。
いや、いっそ老成しているといってもいいのかもしれない。
「以前はもう少し年相応だったらしいけどね」
「じゃあ、高校入ってから急激に大人びたのですかね。あの頃の女の子は成長が早いから」
「たぶん、半分正解で半分不正解」
「半分正解?」
それきり先輩は黙ってしまった。
また、取り残される。
この前のよくわからない忠告に似ている。
彼は「自分に気をつけろ」と、そう言った。
俺自身は、よくわからない彼女にのめり込まないようにと受け取っていたが、それ以上に意味があるのだろうか。
「でも、どうして先輩はやめたんです?」
ずっと聞きたかったこと。
彼女は素直で、言われた事はきちんとこなす。
あの年頃特有の気まぐれなところもなく、どちらかと言えば自分よりもかなり理性的な人間だ。己を律しているといってもいい。
あの年でそう振舞えるという方が奇異にも移るが、彼女の纏った雰囲気からはそれすらも納得してしまいそうになる。
だからこそ、次々と辞めていったということが解せないのだ。
単刀直入な質問をぶつけられ、先輩の方がビクリと震える。
何かを言いたそうな顔をして、だけど、ひどく傷付いた顔をしたまま静かに頭を横に振る。
これ以上話すことはない、と。
それ以来、先輩から彼女の事を聞くことはなくなってしまった。
二人の間には特別な何かがありそうで、そのことにひどく固執している自分に驚く。
彼女はただの教え子でそれ以上でも以下でもない。
まして、尊敬している篠宮教授の娘さんだ。
彼女といると距離感がつかめなくなる。
手を触れたくなるのは、どうしてだろうか。