「どうしてここに田中がいる」
開口一番ソレですか、先生。
「お気になさらないで先生、数学の知識をもっと深めたいと思っただけですから」
「邪魔だ、帰れ」
「嫌です」
犬猿の仲かもしれない、この二人。先生相手にきちんと言い返せる美紀ちゃんをあらためて尊敬するわ。
今回のテストは赤点を取ったものが少ないらしく、なぜだか個人補習と言う形になったみたい。
美紀ちゃんは陰謀だって騒いでたけどね。私もそう思う。
だから心底心配した美紀がこの数学準備室についてきてくれた。私も一人で来るには心もとなかったから調度良かったけどね。
「まあいい、二人ともその辺に座れ」
その辺、と言われてもここには3人がけぐらいのソファーしかないのでそれに二人して座る。
小さなテーブルを挟んで先生がキャスターつきの椅子に腰掛けている。
「しかし、和奈もよくこれだけの点数をとったな。そんなに俺と一緒にいたかったのか?」
嫌味ですか、そうですか。似合いますねその方が。でも責任の一端はあなたにもあると思うんですけど。
さすがに自分の点数があまりにも悪かったため、言い返せずにいる。
「まあ、夏休み中補習っていうのもいいがな」
いや、それだけは嫌。
「先生冗談言ってないで、早く始めてください」
これ以上まともに受け取っていたら、根こそぎ勉強する意欲が失われちゃう。
そうなったらなんだか相手の思う壺みたいだしね。
補講用に用意したプリントを手渡され、さっそくそれに取り掛かる。
こう見えても目の前の先生は教え方はうまいんだよね、授業用のプリント類も要領よくまとめてあるし。
そんな授業で赤点取るようなのはかなり珍しい。
今回のプリントもとてもわかりやすいものだった。
これなら私にもできるかも、そう思えるんだけれどね、そこには大きな問題が。
「先生、あんまりじろじろ見ないでくれます?」
「気にするな、いつものことだ」
「そうじゃなくてー」
そう、鈴木先生が私のことを凝視しているのだ。もうまさしく穴が開いちゃいそう。
「失礼ですよ。女性に対して」
これは美紀ちゃん。そうだよね、失礼だよね。
少し小ばかにしたような表情で、目を細める。
「欲しいものを見つめていて何が悪い」
「欲しい?」
開き直ったその言葉より、“欲しい”という単語にひっかかる。何を?
「お前に決まってるだろ」
「いや、欲しいっていわれても」
「よくわかんない、だろ。お前はまだ子どもだから」
仕方がないって顔をして大袈裟に肩をすくめる。
それが私の神経を刺激する。
子どもって、そりゃあ確かに先生よりは子どもですが。そんなに私は幼いですか?
「高柳もそう思っているはずだ、あいつも男だし」
皮肉そうな笑みを湛えてそう答える。
男、だから?なに?
「それ以上言ったらセクハラです」
美紀ちゃんが冷静に先生の言葉を制する。
「そうだな、和奈のようなお子様にはまだ早いな」
馬鹿にされた?そう思った瞬間考えなしに叫んでいた。
「子どもじゃありません!」
自分で自分の声の大きさに驚いてしまった。私はなににイラついているんだろう。
意味がわからないから?それとも子ども扱いされたから?
「ふーん、そう。子どもじゃない、ね」
そう言いながら立ち上がる。
私の方へ腕を伸ばして、ソファーの背もたれに手をつける。私は彼の両腕に挟まれた形だ。
美紀が驚いて手をどけようとしてくれているけれど、さすがに大人の男の力には敵わない。
「先生、本当にセクハラです、どけてください」
「こいつが子どもじゃないって言ったんだ。少し自覚させてやりたくなった」
美紀の制止もものともせず続けていく。
先生の雰囲気が今までとは違う。これは何?
眼鏡の奥に射るような瞳。何かを望むその視線はとても居心地が悪くて、
でも圧倒的な威圧感で迫ってくる先生には抗えず、その場を動けない。
こんな人知らない。
キスしてきたときや、付き添ってくれたときとは違う。
私はこんな人知らない。
「せんせい!!」
「うるさい。自分がどんな風に思われているのか、いいかげん気づかせてやるだけだ!それに田中ならわかるだろ」
彼女も先生の迫力に押されて身動きが取れないでいる。
でも、美紀には分かって私にはわからないこと?
「お前は知らないんだろうな、俺がどんな気持ちでお前を見ているかなんて」
知らない、わからない。ううん。違う、わかりたくない。
「俺は、女としてお前を見ているんだよ」
「おんな、として?」
意外な言葉なはずなのに、どこか納得している自分がいる。心の奥と表面にでてきている気持ちが一致しない。不安定な自分。
「そう、だから和奈に触れたい。その服を脱がして全てに触れてみたい」
その先は言わないで。そう心が悲鳴をあげる、でも。
「和奈を抱きたい」
ゆっくり、はっきりと私に言い聞かせる。
気が付きたくない、気がつかない振りをしている自分に気づかされる。そう思った瞬間。
「いや!!!」
反射的に先生を突き飛ばしていた。隣で同じように固まっていた美紀ちゃんにすがりつく。
「冗談もいいかげんにしてください、和奈を怖がらせてどうするんですか」
美紀が抗議をしてくれている間も、私はただ美紀にすがりついて震えていた。
「冗談?まさか。俺は本気だ」
痛いほど突き刺さる本心。
わかっていはいた、けれどもそれは到底受け入れられるものではなくて。
「あまりにもお前が無自覚だからだ。少しは自分がどういう対象になり得るか考えた方がいい」
嫌だ、考えたくない。思ってしまったら、今までみたいに無邪気にそばにいられない。
「高柳は俺より気が長いみたいだからな、そんなそぶりも見せなかったとみえる」
「違う、祐君はそんなこと思ってない」
必死で抵抗を試みる。でもそんなものはあっけなく目の前の男に覆される。
「はあ?俺がケダモノでやつが聖人君子?そんなわけないだろう。あいつも所詮はただの男にすぎん」
イヤダ。そんなこと考えたくもない。祐君はそんな人じゃない。
「鈴木先生やめてください。和奈はもう連れて帰ります」
私は美紀に引っ張られるようにして教室へ戻っていった。
教室にはもう誰もいない。
「和奈、大丈夫?やつの言うことなんて気にしなくていいからね」
色々なことを言われて、頭の中が混乱している。
最近感じている違和感。私の気持ち。祐君の気持ち。
考えれば考えるほどわからなくなってくる。
そばにいたいのに、時々息苦しくなる。
触れられたいのにそれが怖い。
わからない…。気持ちが揺れる。