07. 遠くから見つめた

 王子付きに再配属されたディリは、家名によるところなのか、今だ武勲が効いているせいなのか、近衛団の中でも上位に配された。カルもまた、同時期に配されたが、彼ほどの階級を得てはいない。
有能な王子は水面下で粛清と再構築を進め、戦時下で甘い汁を吸っていた貴族たちは、そのほとんどが閑職へと追いやられ、また強制的に代替わりをさせられた家も多い。その中で、国はまともな執政官や武官が足りず、因習に捕らわれたローレンシウムにおいて、大量の平民が採用されることとなった。それにともない、王宮は僅かに風通しがよく、だが今だそこここで古い価値観と新しい価値観が対立する、ややきな臭い職場となっていった。
ディリは権力争いには興味がなく、だが無関心ではいられないほどの家名を継いでおり、彼を古い価値観に戻そうと考える連中の要に置こう、と諮る連中の陰謀に巻きこまれそうになったり、権力を剥奪された神殿からの嫌がらせに耐えたり、と余り得意ではない謀略をめぐらせる仕事にとりかからなくてはならなかった。鬱屈はたまり、だが屋敷へ帰ったところで落ち着かない彼は、結局どの同僚よりも熱心に仕事をするはめになっていた。
苦手な書類仕事をしていたディリは、ひょんなことからとある噂を耳にすることとなった。
親友のカルが、近く結婚するという降って沸いたような噂だ。
カルとの付き合いは長く、ディリは彼のことを親友だと信じている。その彼がディリに内密でそのような話を進めるとは思わず、眉唾ものだとそれを話す同僚に視線すらくれてやらなかった。
だが、彼が話を続けるにつれ、その話が信憑性を帯び、高確率で真実だ、と思わざるをえない様相を呈していった。
さらには、彼が花嫁の事を「見たこともないぐらい別嬪さん」と言い募った頃には、彼はその同僚に詰め寄っていた。

「見たのか?」
「え?ああ、もちろん。といっても遠くからだけど。ヴァレスなら当然前から知っていたんだろ?」

その問いには答えず、彼は乱暴に自席へと戻る。
その花嫁となる女性に心当たりがあったからだ。
ヴァレス家の拾い子であり、一度も彼を振り返らず屋敷を後にしたレナ、だ。
ディリはそれでも、彼女が出て行った後、手を拱いていたわけではなく、程近い花街を探らせてはいたのだ。彼女は否が応でもその容姿が目立つ。そういう女たちが集まる街であっても、噂ぐらいは耳にするだろう、と。
だが、高級な店から、低俗な店までくまなく当たらせたものの、レナの動向は一向につかめなかった。
ならば、と、酌婦がいるような店まで探索の手を広げたものの、そういった店は表立ったものもそうではないものの、その数は多く、今だレナを探しきれていない。
こうなる前にどうして自分はあの手を離してしまったのか、と、後悔する日々を送っている。そこにきて、カルが結婚をする、という話だ。
しかも相手は美しい、と、口の端に乗る女性だ。
その女性が、レナであったとしてディリは驚きはしない。いや、むしろあれほど熱心にレナを口説いていた彼が、あっさりと他の女性を娶る方が考えにくい。
早々に仕事を切り上げ、無言で帰宅するディリを、同僚たちは恐れ半分、好奇心半分で見送った。
カルの屋敷は、中心地からはやや離れた場所にある。
王宮から近い土地は、土地代も高く、維持費もかかる。また、代々それを受け継いでいった家柄の屋敷が多く、新参者がその土地を入手することは困難だ。
商人が住む地域ももちろん存在するが、そこに下級とは言え貴族となったブラドノル家が屋敷を構えることは、これもまた色々と困難が伴う。結果として、そういったものたちがまとまって住む郊外の地域、といったものが出来上がり、そこは比較的新しく、庶民のものよりはやや大きく豪華な屋敷が立ち並ぶ住宅街となっている。
カルはヴァレス家の馬車に乗り込み、行き先を告げ、舗道から、整備されていない道を進んでいった。
ブラドノル家の手前で御者を制止し、馬車から降りる。
ヴァレス家とは比べ物にはならないものの、それでも十分贅沢な邸宅が彼の目に映る。
屋敷をぐるりと取り囲む柵は、屋敷内へ光を取り込み、また、侵入者を許さない程度の間隔で並べられており、ディリからも屋敷の中が見通せた。
綺麗に刈られた芝生に、見覚えのある姿を見つけた。
漆黒の髪を丁寧に纏め上げ、小さな髪飾りを添えた少女は、隣に立つ男と何か会話を交わしていた。花についてでも話しているのだろう。彼らは時折笑いあいながら、庭に咲く花々を指差している。
それが、レナとカルだと認めた瞬間、彼は踵を返し、馬車へと引き返していった。
髪色のせいなのか、その容姿のせいなのか、ひどく似合いの二人に、怖気づいたのだ。
まして、何と言って自分は彼らに声をかければいいのか、と。
レナはヴァレス家の人間だから、勝手なことをするな、などと、そんな自分勝手な言葉は、いくらディリでも吐けはしない。だからといって、祝いの言葉を述べるほど、レナのことは彼の中で整理できていない。
こうやって負け犬のように逃げ帰るのが精一杯だ、と、自嘲気味に呟く。
最後に自分に向けられたような笑みではない笑顔を向けていたレナを思い出す。
自分にとって、彼女はいったい何者なのか。
自分は、何をしたいのか。
答えが出ることはなく、彼の馬車は、見慣れたヴァレス家へと帰館していった。



「一応伝えておくが」

改まった態度のカルに口火を切られ、ディリは瞬間覚悟した。

「レナ、のことなんだが」

やはり、と、心構えをあっさり突き崩し、胸の中が荒れていく。

「レナを屋敷に迎えた」

だが、カルからもたらされた言葉は、予想外のもので、ディリは数泊呆けてしまった。

「むか、える?」

結婚ではなくて、と、口にしたくはない言葉を飲み込む。

「ああ、出て行ったっていうことはもちろん知ってるよな?」

言外に非難する態度でカルが続ける。

「たまたまあの子が身を寄せた店が俺の出身地にあってな」
「出身地って、おまえ」

ディリは言葉を濁す。 彼はどういい繕ったところで、よい出自ではない。育ったところはどちらかといえば劣悪で、母の手一つで育てられた彼は、相当苦労したことを窺わせる。その彼の出身地はやはりよいとはいえない環境下にあり、どちらかというと低俗な娼館が軒を連ねていることでも有名だ。ディリなりに程度が低い店まで手を広げてはみたものの、そこまで劣悪な箇所は意識的に外していた。そのせいで彼はレナの足取りを一向につかめなかったのだと、ようやく腑に落ちる。
だが、彼女がそのような場所を真っ先に選んだことがわからなくなる。
彼女は若く美しい、ただそれだけでそういった店では価値があるものだからだ。

「で、まあ、あんまりにも上玉が来たからって噂になって。店に並ぶ前に身請けしてきた」
「身請け?」
「ああ、だいぶ亭主は渋ってたがな、さすがに騎士の制服は威力があるらしい」

脅迫めいたカルの提案に、強かだが、面倒ごとを嫌う亭主が、結局レナの身請けを承諾したらしい。もっとも、掛かる費用も店への借財もないレナだからこそ出来た芸当だろう。

「結婚してくれ、って言ってんだがなぁ」
「あきらめてなかったのか?」
「あきらめるわけないじゃないか。ようやく自由になったのに」

ヴァレス家先代夫人の死は、カルにとってはまたとない福音だったのだろう。ディリは今だその呪縛から解き放たれてはいないというのに。

「で、おまえ説得してくれないか?」
「説得?何を?」
「いくら言っても、自分にはそんな資格はないから、って繰り返すばかりでさ。今はディエが自分の子供と一緒に一通りの事を教えて楽しんではいるんだが」

以前屋敷へよく訪れていたカルの妹の名を出され、ディリはひたすら居心地が悪くなっていく。
彼女は、顔を合わせれば、常に射るような目つきでディリに対峙していた。カルほどではないものの、どちらかというと甘い顔立ちのディリは、女性からそのような扱いを受けたことはない。
また、それが恐らくレナに起因するのだろうと、気がついていた彼は、ますますディエの事を苦手としていた。

「まあ、資格がないのは本当のところだな。あれは、ただの孤児だ」

繰り返されるように自らの中で形作りたくはない言葉を吐き捨てる。
こんなことを言いたいわけではない、と、別のディリが頭の中でわめきたてる。

「貴族といっても名ばかりだからな、うちは」
「だが」
「それに、なんだったら養女にしてもいい、っていう話は出来ているんだ、悪いが」

家柄のない子女を一端養女に入れ、そこから嫁入りする例は少なくはない。どういう事柄にも、抜け道はあるものだ。

「おまえに遠慮しているのかとも思ってるんだがなぁ」
「それは・・・・・・」

ない、とは言いたくないディリが口を噤む。
もう束縛をするな、といったレナの顔を思い浮かべる。
彼女はヴァレス家に恩を感じてはいるだろうが、だからといってそれを後ろ暗く思っているとは考えていない。あれほど堂々と彼に向き合った彼女が、今更そんなことを理由にカルのことを取り合わないとは考えにくいからだ。

「それとも、お前が嫁に欲しいのか?」

否定も肯定も出来ないディリは、やはり口を開かないままだ。
カルは一瞬面白くない顔をして、次に、どんな女性でも落とせそうな顔で笑う。

「まあ、よろしく頼むわ」

背中を数度軽く叩き、カルがディリの元を離れていく。
ディリは、ここまできても己の態度どころか、気持ちさえつかめない自分に、うんざりしていた。

8.24.2010
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