少女と将軍/第6話

 すでに涙が出ないほど泣き暮らしたティナは、ようやく声がでるようになり、普段に近い生活を送っていた。親しくしてきた執事や、料理人、はては近所の婦人方もこぞって彼女の面倒をみ、世話をしていた。ようやくそのことに感謝する気持ちがわき、己の立場、というものを理解し始めたところに、マグヴァルンの叔母、という人物がむせ返るような香りとともに彼女の前へ現れた。
止める執事を振り払い、彼女は蔑むようにティナを見ると、一つ、その頬をたたき、彼女に耳打ちした。
驚いて、それでもゆっくりとうなずいたティナを満足そうに眺め、叔母はドレスを翻しながら、ニラノ家を後にしていった。



 珍しくティナが夕食をとる時間に帰ってきたマグヴァルンは、ティナの顔色がよく、徐々に、ではあるが元気になってきたことに気がつき安堵する。これからは少し、仕事を抑え、彼女のことに目を配らなければ成らない、と思ったところで、ティナがその小さな口を開いた。

「あの、マグヴァルンさん」

無言で顔を上げ、こちらをまっすぐに見詰めるティナと視線を合わせる。

「私、孤児院に行きます」
「……何を吹き込まれた」

瞬時にして寄せられた眉根は、強面の顔を寄りいっそう際立たせ、慣れぬ人間ならば数秒と目を合わせていられないだろう。だが、初めにあったときから、どういうわけか彼の容姿を忌避しないティナは、それでもまっすぐとマグヴァルンを見つめ返す。

「いえ、私の立場ならそれが当然です」

彼は黙ったまま、本日の主菜を口にする。口慣れたその味も、今日は味わう余裕はどこにもない。

「私が孤児なのは事実です」
「シリジェレンが死んだとは確定していない」
「でも、私のことを保護してくれる人間が今いない、ということは変わりません」

年よりもずっと大人びた言葉が、年よりもずっと幼い容姿をもつティナから発せられる。
その言動を、執事は見守り、料理人の青年は、扉近くで注意深く伺っている。

「俺が保護する」
「いけません」
「不服か?」
「いえ、そうじゃありません」
「なら、なぜだ」

出来立ての料理を口にすることもできず、ティナは黙り込む。
今日、彼の叔母が来たことはすでに彼の知るところとなっているだろう。おそらく彼女に言われたと思われることも。
だが、ティナはそのことがなくとも、この屋敷を出て行くことに決めていたのだ。
ティナとマグヴァルンは当然ながら血のつながりはない。どこまでたどっても親戚でもなく、まして、彼女はただの部下の子供、だ。マグヴァルン自身がシリジェレンのことをどう思っていたのかは置いておくとして、世間から見ればただの上司と部下。その部下が不慮の事故にあったとして、その家族までも彼が養わなければならない、ということはないはずだ。
せいぜい、ティナのために、死亡手当てなどの一時金を多めに獲得するよう上と掛け合う程度がお似合いだ。現に、他の部下の家族ならばそうしただろうし、彼はそうしてきた。なのに、このシリジェレンの娘に関してのみは、ただそれだけて手放すことを良しとしない心情が湧き上がり、その気持ちは増すばかりである。
本人にしてみても、まったく意味がわからないでいる。

「武勲高き騎士の娘を、ただ放りだすほどこの国は恩知らずではない」
「それも、昔のことです」

たかが五年、されど五年。
ティナの言うことは正しく、たった五年で、過去の栄光も色あせ、しばらくすればまったく効かなくなるだろう。それが、平和というものだ。
だが、マグヴァルンは、そのことに納得してはいない。

「それに、おまえは恩人のシリジェレンの子供だ」
「マグヴァルンさんは父の恩人でもあります」

天涯孤独となった子供とはいえない言い返しに、しばし言葉に窮する。

「今の孤児院は、結構いいところだと聞いています。それにまとまったお金もありますし、成人したらすぐにでも独立して働けると思います。おかげさまで読み書きはできますから」
「いや、だめだ」

策を弄す、といったことが苦手なマグヴァルンはあくまで直球で返していく。どうしてこれほどティナを手放すことが嫌なのかはわからず、だからといって毛頭そうする気はない彼は、徐々にその威圧を高めていく。

「奥様がこられる、と聞きました。そうすれば」
「おまえごときを邪魔にするような了見の狭い女はいらぬ」
「ですが」
「よい、俺は結婚などしない。そう決めた。だいたいこのような面相の男に嫁にくるような女などいはしないだろう」
「いえ、マグヴァルンさんは格好いいとおもいます」

きっぱりと言い放ったティナに、今度はわずかにマグヴァルンが面食らう。
わざとらしく咳払いをし、もったいぶったかのように話し始める。

「話は終わりだ。おまえをこの家の養女とする」
「養女?」
「恐れながらだんな様、さすがにそれでは年の差が」

強引に自分の良いように話をもってきたマグヴァルンに、執事が口を挟む。
上司と部下の関係ではあるが、実はシリジェレンの方が年上だ。その彼が若い頃の子供としても、ティナとマグヴァルンの年の差は、実のところ親子ではあり得ない差でしかない。

「だったら、妹だ、妹でいい。ちょうど兄弟が欲しいと思っていたところだ」

両親はとっくに戦死したのだから、そのようなことを思うはずはないのだが、あえて口にしたマグヴァルンは、それがことのほかいい考えだと思い至る。もともと兄弟といっても、兄しかいない彼は、年下の妹や弟、という存在は未知のものでもあり、また、わずかな憧れもあったのだろう。

「それはようございます。ではティナさまは、妹さまということで」
「…、うん、いい、それでいい。そのように手配を」
「マグヴァルンさん」
「兄となったからにはその呼び方も変えてくれねばならぬな」
「ですが」
「ティナも、このような顔の男を兄とは呼びたくはないか。さすがにシリジェレンほどの容姿はもっておらぬが」
「そのようなことは」
「だったら、こんなのでもいいのだな」
「それは、でも」
「嫌いか?」
「いえ!」
「ティナ、私をなんと呼ぶ?」

無口で、必要なことすら話さない男が、饒舌に年端もいかない子供をだますように話を進めていく。そのめったに見られない姿に、執事は驚き、また、事の成り行きを固唾を呑んで見守っている。

「……お兄様?」

ことのほか甘いその響きに、わずかに相好を崩したマグヴァルンは、満足そうに食事を再開した。
いつのまにかはぐらかされたかのようなティナは、よくわからない、といった顔をして、それに習ってパンを口にする。
こうやってティナは、マグヴァルンの妹となり、ニラノ家へと迎え入れられた。
横槍を入れた叔母は、夫からの厳重注意のもと、頭を冷やすようになのか、注意を他へそらすようになのか、小旅行へと娘とともに旅立っていった。
ニラノ家にはうるさいことを言う人間は、もはや彼女一人であり、根っこの部分ではマグヴァルンを心配するところから来ている叔母を、結局はマグヴァルンも心底憎めないままであった。

6.17.2010
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