月日が流れるのは早い。
まして、まだ短い年月しか生きていない子供にとっては、数年、という単位は、その精神や体にどれほどの変化をもたらすだろう。
ニラノ家の養い子となってから、二年の月日が経過したころ、ティナは、憐れみの目でみられることより、ある種の色眼鏡で見られ始めていることに気がついていた。もちろん、あの強面のマグヴァルンに意見するものなどおらず、遠巻きに、しかし確実に彼女は血縁もないのに拾われた少女、という様々な憶測をよぶ噂話の渦中に放り込まれていた。それは、最近伸びてきた身長や、丸みを帯びてきた肢体、より女性らしくなった容姿によるところが大きいのだろう。急激に少女となり、美しくなったティナに、よからぬ思いを抱くものもあり、彼女への視線は日々複雑なものになっていった。
「おはようございます」
「おはよう」
変わらない挨拶を交わし、朝食を共にするマグヴァルンは、そんな周囲の微妙な変化に気がつくはずもなく、ティナを恩人の娘として、妹として気にかけていた。
ティナは、通っていた学校から、貴族の学校へと移り、日々高度な学問へと取り組んでいる。もともとの素養があったのか、父親のシリジェレンの教育が良かったのか、ティナは非常に優れた学生であり、また、本人も学ぶことに生きがいを感じ始めていた。マグヴァルンの好意により恵まれた環境にはいるものの、立場が不安定なことには変わりがない彼女は、早々に自活できる方法を模索してもいた。学問がその手助けになれば、との思いが彼女により強くそれらに取り組む姿勢をもたらしている。
「マグヴァルン様、お客様が」
「こんな朝早くにか?」
マグヴァルンの鍛錬にあわせ、この家の朝食は普通よりも早い時間となっている。周囲にはまだ目覚めていない家も多くあるだろう。そんな時間に来客とは、非常識、と謗られても仕方がないだろう。だが、執事がそのものの名を口にした途端、彼は恐ろしい顔をさらに強張らせ、眉間にくっきりと皺を寄せた。
「あら、おいしそうね、私もいただくわ」
甲高い声と、相変わらずこの屋敷には不似合いな香りを撒き散らしながら、彼の叔母、が、案内を無視しながら食堂へと乱入してきた。
「何しに来た」
「いやね、数少ない血縁にそんなことを言うもんじゃありませんよ」
確かに、それは彼女の言うとおりではある。だからといってその生き残りの血縁とマグヴァルンが親しくしたいかといえば話は異なる。ティナのことがなくとも、この軽薄な叔母と彼は著しくそりが合わない。それがわかっている叔母の夫は、常に間に立ち、マグヴァルンの立場を慮ってくれている。
ティナがこの家の養女となってからも、散々横槍を入れようとした彼女を抑えてきたのはその義理の叔父だ。その叔父の監視をかいくぐり、この時間にやってきたのは、この時、この空間ならば確実にマグヴァルンを捕まえられることを知っていたからだろう。
「私、いいお話をもってきましたの」
急ごしらえにしては良くできた朝食を口にしながら、叔母がマグヴァルンとティナを交互に見ながら話し続ける。ティナは当然この女性を苦手としており、先ほどから食が一向にすすんでいない。
「そろそろお年頃かと思って」
彼女が後ろに控えていた自らの付き人に差し出させたものは、書類入れである。ただし、重厚な革張りでできたそれは、表紙の中央に大きく何かの紋章が刻印されている。
「帰れ」
短く言い放ったマグヴァルンは、その書類を従者へと投げつけ、執事と、さらには料理人まで呼び、丁重に叔母を室外へと連行した。
「まあ、失礼ね。こんなにいい話はないのに!」
「……」
「出自があれなんだから、若さで売るしかないでしょう?幸い、そこそこの顔みたいだし」
マグヴァルンは鬼の形相で、叔母を肩に担ぎ、彼女の従者はおろおろしながらそのあとに続く。
「手紙を」
執事は、その短い命令で全てを察し、公式ではないものの、良質な紙に何かを書きつけ、手早く封蝋する。
「これを叔父上どのに届けろ」
どうしていいのかわからない従者に、それを渡し、ニラノ家の住人は二人を放り投げるようにして排除し、その扉は完全に閉められた。
「お兄様?」
「なんでもない」
マグヴァルンは、ようやく朝食を口にし始めたティナにひきつった笑みを浮かべる。
「おまえは貧弱なのだから、よく食べるように」
少女らしくなったとはいえ、どちらかというとやせすぎな体をしているティナに言い放つ。少しだけ不満に頬を膨らませ、それでも自覚しているティナは、大人しく与えられた食事を片付けることに専念した。