御伽噺の乙女/第20話

 久しぶりに魔術院へとやってきたキセは、案内の手を煩わせることなくポーリムの部屋へとすすむ。 学者、と言ったほうがあてはまる彼は、やはり書物に埋もれるように机にかじりついており、控えめなキセのノックでは気が付くはずもなかった。
当たり前のように茶器を手にとり、持ち込んだ茶葉をよく蒸らし、程よい温度で入れられた茶をポーリムに差し出す。
芳しい香りで、ようやく彼はキセの来訪を知る。

「す、すみません」
「こちらこそ、勝手に入ってしまって」

そう言うキセは、さっそく試してみたい魔術があったのか、幾つかの実地を行い上機嫌だ。
彼女は、上限のない魔力と豊富な知識について文句のつけようがないのだが、いかんせんそれを実行する技術が伴っていない。それにしても魔術院のどの魔術師よりも腕は上なのだが、それでも器を活かし切れていない。

「あの」
「何?」

鳥型の炎を取り出し、部屋へ放ちながらキセが答える。
不思議とその炎は熱を感じさせず、ただ畏怖の念だけをあたえる。

「お輿入れが決まったと」

公爵令嬢が隣国へ嫁ぐという話題は、当然市井へも広がり、それは吟遊詩人が歌う、やたら感傷めいた主人公のように仕立て上げられ、噂となっている。
曰く、隣国の王が、美しい少女に一目ぼれし、アスター王から奪い取っていった、などという、ある意味真実を含んだ噂は、日に日に大きくなっているようだ。
そう言う世俗から隔離され、全く興味がなさそうな彼に届くほどなのかと、キセは軽く眉根を寄せる。

「一応ね、まだ本決まりというわけじゃないみたいだけど」

異を唱えているのはアスターただ一人だ。
議会も、有力な貴族たちも皆、彼女の婚姻に賛成している。あのクロロ王女ですら、消極的に賛成の意を表している。
私情を挟んだアスターの横槍は、王宮の人間にあらぬ噂を立てさせるには十分であり、すでにキセの兄姉にまでそれが届いている有様だ。
だからといって、彼女が何をできるわけではなく、こうして魔石を返却する、という用事にかこつけてポーリムの元へとやってきたのだ。

「貴族さまは大変なんですねぇ」

含んだもののない、単純な驚きを示したポーリムの言に、キセは苦笑する。

「まあ、結婚となると、大なり小なり色々あるみたいだけど」

庶民ですら、それぞれの家族の思惑で、それは単純にも複雑にもなるのだ。政治的要素が絡んだキセの婚姻が、多少難しいものになるのは仕方がないだろう。
キセは、炎の鳥を消し、次に小人を形作って複数体それを床の上へと送り出す。輪になって踊る様は、絵本のようでもあり、炎という素材のせいなのか、どこか怖さを感じさせる。

「もう、こちらへはこられないんですよねぇ」

心底残念そうにポーリムが呟く。
彼は、キセに憧れを抱いてはいたが、それは彼女を女としてみてのものではない。
圧倒的な魔力と知識、そして女神の娘だというのにどこかあどけない彼女を心配してのものだ。だからこそ彼のその言葉は、邪なものがないだけキセに届く。

「転移、苦手なんだっけ?」
「はい、どうも物質移動に伴う魔術は苦手でして」

彼の得意分野は防御に関するものであり、そういった単純な技術を存外と苦手としている。

「転移式描いとく?あっちとこっちに。もし興味があるんだったらプロトアにくればいいし」
「そんなこと、できる、んですよね」

現実的に不可能な技術を提案され、戸惑いつつも受け入れる。
彼女は全てにおいて規格外なのだから、と。

「私もしんどいからあんまりやらないけど、それぐらいなら大丈夫」

どう体に負担がかかるのかもわからないそれを、彼女は敢えてここへ施す。その意味がわかった途端ポーリムがあわてる。

「いえ、それは。ご自宅は?」
「内緒だし」
「それは、そうですけど」
「弟は残るけど、あの子はあの子でもう大丈夫でしょうし」

日に日に健康になっていく彼は、定期的に特殊な検査を受ければ大丈夫だろう。弟妹たちに関しても、彼らはすでにキセの手から離れており、彼女が殊更心配をするいわれはなくなっている。
そうすればキセにとっての心残りはあの屋敷にはないことになる。

「もっともプロトアはあなたにとって益はないでしょうけどね」

プロトアは三国の中でもっとも魔術から遠ざかった国だ。
さすがに中枢に術者は存在するが、彼らは放置してはおけないものの頼りにならない存在として扱われている。

「いえ、あちらの細工に興味がありますので」

だが、三カ国の中でもっとも工業的な技術力が高いあの国は、優秀な魔術者が絡めばより益となる発明を創り出す可能性を秘めてもいる。
それに興味をもっているポーリムは、キセへの気持ちを置いておいても、プロトアとのつながりをもつことに意義を感じはじめている。

「んーー、あなたみたいなタイプは結構いいのかもね。あっちにも防御壁作ってもらいたいし」

彼はあらゆるものの遮断できる能力を有している。それは当然他国へ嫁ぐ彼女にとっても有益である。

「では、お願いします」

これまで、ではないのだ。これからも彼女とこうして会えるのだと、ポーリムの噂を聞いてからこちら抱えていた鬱屈した気持ちが消えていた。


1.6.2011
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