御伽噺の乙女/第19話

 戴冠式は、予定通り厳かに行われた。
いつから伝わったのかもはやわからないほど歴史のある王冠と、王家の剣を父王から渡され、アスターはようやく正式にローレンシウムの王となった。
各国の要人や自国の貴族たちが参列し、それぞれが華やかな衣装で、戴冠式を盛り上げる。
その中に、王女の友人として、ダームスタ一族として、そして最近加わったプロトア王の婚約者としてのキセも花を添えている。
まだ騎士ではない兄と姉は、貴族としての礼装で参加し、それぞれローレンシウムの国力を顕示する一端を担っている。
戴冠式では、正式にクロロ王女が跡継ぎとして指名され、プロトアの貴族との婚姻予定が発表された。ようやくクロロは、ローレンシウムという国を自らが率いていかなくてはいけない、という重責を自覚し始めたところだ。その立場がより明確になったことで、彼女の意識はより進んでいくことだろう。
その夜、祝いの晩餐会が開かれた。
各国の代表が招かれるそれには、当然アルゴ王も招待されている。
独身である彼は、特定の相手をもたないことは有名だ。
それは招待客である他国の貴人も既知のことであり、恐らく彼は、護衛を兼ねた高位の武官とともに、無骨ながら入場するだろうと予測していた。
だが、それはあっさりと裏切られる。
彼は、他国の人間が誰も見たことがない少女を隣にして、会場へ姿を現したからだ。
威風堂々とした態度と、プロトアのどちらかというと軍服に近い堅苦しい衣装も似合う体躯は、これぞ王、という威厳に満ちたものだ。
その隣で、まだ子供のあどけなさが残る、だけれども随分と大人びた美貌の少女が、周囲に萎縮することなく顔を上げ、歩いているのだから、好奇の目が自然と注がれる。
プロトアの衣装なのか、萌黄色のドレスが、まだ豊かではない少女の体躯をふんわりと包み込む。光の加減で金にも見える薄茶の髪は纏め上げられ、プロトア特産の貴石をあしらった髪飾りが品良くあしらわれる。一筋の前髪が、緩やかな波をうって頬に沿って落とされ、それほど化粧が施されていない顔を明るく華やかにみせている。
アスター新王による開催の挨拶が行われ、人々はみな、一様に儀礼的な食事へとりかかる。
近くに座る他国の要人と会話を交わし、外交を行う人々は、内心件の美少女に注目している。
彼女が誰なのか、どういう存在なのか、それは自国にとって有利となるのか不利となるのか。
様々な思惑を抱え、晩餐会は無事幕を降ろす。
各国の要人たちは次々と帰国の途につき、また、アルゴ王も随行員と共に、プロトアへ帰っていった。



 王女の話し相手の仕事を辞退したキセは、だが王女の強い希望で一週間に一度程度王宮へご機嫌伺いにいく、という条件で辞めることができた。まだ自覚したばかりの王女は、精神的に不安定であり、心許せる相手との時間が必要だからだ。
そのキセは、家へ引きこもり、着々と準備に取り掛かっていた。
兄たちはすでに寄宿舎へと戻り、ダームスタ本邸はシモンとキセの二人暮しとなっていた。
別棟に住むリウのところへ、シモンとともに訪れる。
リウは相変わらずキセにとってもっとも母親らしい慈愛に満ちた表情で彼女たちを出迎え、弟妹は声をあげ、シモンの袖を引っ張るようにして絵本を読んでくれとせがむ。
常に一番下、という立場であったシモンは、兄として振舞える機会に喜び、はしゃぎながら彼らの要求に答えている。

「最近はお元気のご様子」
「ええ、そう、だいぶ良くなりました」

アルゴ王の勧めで、魔術的な検査をしたシモンは、かなり特殊な魔力が身体を蝕んでいる事が発覚した。それはどう考えてもキセの影響であり、今まで気が付かなかった己の迂闊さを悔いている最中だ。秘密裏に適切に処理されたシモンは、体力のなさはいたし方がないものの、それでも驚くほどの回復振りをみせている。
恐らく来年あたり、彼は学校へも通うことができるだろう。
これで一つ、キセの憂いが消えた。
徐々に、ローレンシウムに固執する理由がなくなっていくキセは、自分の道筋がプロトアにあるのだと、思いつつある。
記憶が蘇ってからこちら、キセという自我が消えてしまいそうになるほど混乱し、出自を恨んだこともある。前世の記憶など、欲しくはなかったと切実に思ったこともある。正直なところ、今でも神を敬う気持ちなど小指の先ほども持ち得ていない。
だが、それでも時を重ね、思いがけない形でアスター王子と出会い、キセの中で渦巻いていた恨みの気持ちが薄らいでいった。
それは、また、自己をもなくなりそうなほど根底にあるもので、全てを知るアルゴの元へ行くことは、ある種の依存ではないのかと悩みもしている。だが、それでも、僅かな時間ではあるものの、前世と違う思いで出会った彼らに抱く思いは、やはり今世では異なるのだと、自分を納得させている。

「本当にあちらへ行かれるのですか?」

心配そうな面持ちで、リウに問われる。
彼女は、屋敷の中で数少ない彼女のことを心底思ってくれている人だ。傲慢な子供であったはずの自分を許し、自らの人生を狂わせた前公爵ですら、彼女は許しているのだろう。
そんな彼女を置いていくことには、多少ためらいを覚える。
彼女の立場は、やはりまだ危ういものだからだ。

「ええ、おそらく」
「キセ様はそれでよいのですか?」
「……はい」

キセはゆっくりと、だが力強く肯定する。
誰かの益になるためではなく、己のためにアルゴ王の下へ行くのだと。

「リウさまの事は、兄によく言っておきますから」

兄は、姉ほどではないものの、踊り子出身のリウを軽く扱っている。それが証拠に、彼らは彼女が屋敷へ連れられてきたと同時に、母方の家へと行き、そのまま士官学校へと進学してしまった。あれほど厭っていたキセの母ですら、同居に耐えたというのに、リウとのそれに耐えはしなかった。

「でしたら、私を一緒に連れて行ってくださいませ」
「リウ様」

だが、彼女が告げた提案は、キセに十分な驚きを与えるものであった。

「私のようなものが一緒に行く方が迷惑かもしれませんが」
「いえ、そんなことは、そんなことはありません。ですが、彼女たちが」

シモンと一緒に絵本を読んでいる弟妹をみる。
弟妹はまだ幼く、彼らにはまだ庇護が必要である。いくら兄が軽く扱っているとはいえ、ダームスタ家の血を引く彼らと、その母親に殊更辛くあたることはないはずだ。

「あの子達には聞いてみないとわかりませんが、一緒にいくもよし、学校に放り込むもよし。どのみちあれらは私とは違う道を歩むのですから」

確かに、そろそろ彼らの年の子供が通う教育施設は存在する。貴族の子弟が通うそれは、彼らにとって居心地が悪いかもしれないが、裕福な庶民の通うそれならば、彼らに都合が悪いことはないだろう。
弟妹は、余り頭が良いとはいえないものの、その人柄は母に似て非常によく、またシモンなどとは違い、母譲りの強かさと打たれ強さも兼ね備えている。
彼らは、どこへ行ってもやっていける、案外貴族の施設でも、どこででも。

「あちらでは知り合いもいません」
「それは、キセ様も同じことでしょう」
「侍女を連れて行く予定もありませんし」

彼女は、ほぼ単身であちらへ渡る心積もりをしている。
王族ならば、専用の侍女や侍従、はては御者、馬番まで引き連れていくのだが、キセはそうするつもりはない。
この屋敷に、彼女が信頼するのは、リウ親子のみであり、ダームスタ家の誰か、を同行させる気はさらさらないのだ。

「私ももともと踊り子です。この大陸ならば、どこへでも参りましょう」

いつのまにかリウに手をとられ、両手で包み込まれる。

「大丈夫、私がいますから」

リウの言葉に、キセは初めて涙をみせた。



12.28.2010
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