御伽噺の乙女/第21話

 待たせていた公爵家の馬車に乗り、キセは帰宅する。
プロトアが連れてきた候補者たちとさんざん試した魔石を返却する、という簡単な仕事を終え、今日の彼女の予定は終了となった。後はキセの婚姻の話を聞き、機嫌が悪いシモンと食事でもするだけだ、と、のんびりとした気持ちで馬車の中に腰掛ける。
突然、馬のいななきが聞こえ、御者の怒声が響き渡る。
代々公爵家に勤める忠実な御者は、体躯こそ立派なものの、荒事に向いている男ではない。その彼が大声をあげ、何かに立ち向かっている。護衛がすぐさま剣に手にかけ、勢いよく扉を開け、外へ駆け出していく。
キセは魔術を使い、外の様子を探る。
彼女の脳裏に、盗賊ではない、どこかの騎士のような動きをする男たちが、護衛と御者に挑みかかっている様子が浮かぶ。
護衛の腕はよいものの、多勢に無勢。
彼はあっけなく切られ、片膝を落とし、地面に剣を突き刺してなんとか体を起している状態だ。
キセは、暴漢が踊りこんでくる前に、馬車を降り、彼らの前へ姿を現す。

「ダームスタ家の紋章と知りながらの狼藉ですか?」

少女特有の甲高い声が響き渡る。
それが、たかが十二の小娘がもたらしたものだとは思えなくて、一瞬彼らの動きが止まる。
だが、暴漢たちは使い物にならなくなった護衛と御者を捨て置き、ぎらついた剣をキセへと突きつける。

「ものとり、ではないようね」

ものとりならば、このような間はなくキセは切り殺されているだろう。また、ダームスタ家の護衛ほど腕のあるものを傷つけられる程の強盗がいる、ということも考えにくい。

「誰の差し金?」

剣を持つ彼らは、一様に口を開かない。
一人がキセへ剣をつきつけたまま、もう一人が彼女の腰を攫う。まるで荷物のように砂袋へと詰められ、キセは馬上の人となる。
荒い目が肌へと接触し、肌が焼けるような痛さをもつ。大きく上下する振動は、彼女の華奢な骨を軋ませ、痛めつける。
どれ程馬が走ったのか、ようやくキセは地面へ下ろされる。
そこは、綺麗に整えられた庭が美しい、どこかの貴族の荘園邸宅、であった。
キセは後ろ手を縛り上げられ、縄を引かれる、という屈辱的な扱いを受けながら、屋敷の中へ連れられていく。
田舎にこのような邸宅をもつ貴族は多い。
都は邸宅を維持するにも莫大な金がかかり、その家位のわりに本宅は慎ましやかなことが多い。
その代わりに、彼らの本拠地となるそれぞれの荘園では非常に大規模な屋敷を構えることが多く、この邸宅もその一つだろう。
ただ、馬を走らせた距離から、この地は都からそれほど離れておらず、そのような土地にこれほどの規模の邸宅を構えられる貴族は数少ない。
キセが知る限り、それはダームスタ家と幾人かの公爵家に限られる。

「やはり、あなたでしたか」

キセは狼藉ものに囲まれながら、犯人と思わしき女性へ話しかける。
彼女は、どこか遠くを見つめているかのようなぼんやりとした視線を、ゆっくりとキセへ合わせる。
視線の先にいる少女をキセだと認識した途端、その瞳に憎悪の色が宿る。

「放っておいてくれたら、私はいなくなるのに」

キセの声に、首謀者が神経質な声を上げる。
立ち上がり、キセの元へ近づくと、容赦なくその頬を張り上げる。

「おまえが、おまえがいたから!殿下は私に向いてくださらない」

首謀者、王子妃の言葉は悲痛な叫びのように部屋へ響く。
画家が意匠をこらした天井も、細かい細工が施された家具も、常ならば目を見張るほどのつくりだ。その持ち主は、金切り声を上げ、ただひたすらキセを罵倒している。

「で、どうしたいの?」

泣き言と恨み言を交互に言い募るだけの王子妃に、キセが冷たく言い放つ。

「あなたが!」

だが、自分がしていることがただの八つ当たりだとどこかでわかっている王子妃は、嬲るよう暴言をキセへ吐きつけるだけだ。

「前みたいに偽善者面して王子に忠告する?」
「ちゅう、こく」
「それとも、アルゴ王とできてるって、嘘をつく?」

王子妃の目が見開かれる。
記憶が逆流する。
王子妃は、思い出す。
彼女が、誰に、そのような虚言を言いつけたのか。

「あなた」
「そう、あなたの嘘で殺された少女」

キセは酷薄な笑みを浮かべる。

「おかげで、不作で困ったそうじゃない」

王子妃は後ずさり、腰を抜かしたように床へ座り込む。
会話の内容がわからない手下たちは、王子妃の様子に驚き、駆け寄る。

「で、また殺すの?今度はあなたの手で」

いつのまにか手にした剣を、キセは浮かせながら柄の方を王子妃に差し出す。
ありえない光景に、周囲の人間が息を飲む音が聞こえる。

「さあ、どうぞ。今度はあなたの手で」

にやり、と笑ったキセに、王子妃の絶叫が響き渡る。
頭を抱え、自慢の髪を掻き毟りながら独り言を呟く様は、宮廷の花と誉めそやされた面影はない。
そこへ、入り口から性急な足音が聞こえ、何の合図もなしに多数の男たちが駆け込んできた。
王家直属の騎士だけが許される制服を着た彼らが来た、ということは、おのずと命令を下した人間が誰なのか、を知ることができる。そんなことにも考えが至らないのか、王子妃はただ呆然となだれ込む人々を眺めたままだ。
彼らの飾りではない剣に、窓から差し込んだ光が反射している。

「来たんだ」

出動理由を聞かされていなかった騎士たちは、有名な少女が縛り上げられている姿を見て、納得する。
今のキセは、一公爵令嬢、という立場だけではなく、プロトア王の婚約者という立場を課せられている。そうなれば、自分たち、直属のものたちが借り出されるのは当然のことで、また、久しぶりにみた王子妃の顔に、この案件が非常に難しいものであることを悟る。
彼らの後から、アスターが登場する。
王子妃は掠れた声で悲鳴を上げる。

「確保しろ」

静かに言い放たれた命令に、すぐさま反応した騎士たちは、王子妃を捕縛する。

「緘口令をしく。このことは他言無用。公爵令嬢はこのような場所にいるはずがない」

キセは縄を解かれ、アスター王が歩み寄る。

「治療を」
「病気を理由にでもして妃の位を剥奪する気?」
「そうなるだろう。このような醜聞が表に出ていいはずはないが、何もしないというわけにはいかない」
「都合がいいように利用された気分」

王子妃を手助けした者たちは次々と騎士たちに連行される。
人払いされた室内には、今はキセとアスターしかいない。

「少しは悪いと思ってる?」
「ああ」

短い言葉に、アスターの苦悩が見え隠れする。
王子妃がここまで追い詰められたのは、結局かえりみなかった彼が原因なのだから。

「で、あなたはいつまでごねる気?」

プロトア王との婚姻を阻害している唯一の存在にキセは意地悪く問いかける。

「キセを、失いたくない」
「私?ユーカじゃなくって?」

前世の名を口にする。
アスターは顔をゆがめる。

「それに、自分で失くしたのでしょう?」
「それは」
「私が、神の娘として知られた私が、プロトアに行くことをよしとはしなかったからでしょ?」

規格外の駒、神の気まぐれ。
そんな少女は、ローレンシウムに降り立ち、戦争終結に導いてくれた。
その駒を自軍に引き入れる不安。他国へ引き渡す憂い。
そのどちらも彼は選ぶことができず、最後は消去する方向へ動いた。

「で、今度は私が行くことも邪魔するの?」
「私は」
「結局怯えるんだから、妄言はやめて」

キセは公爵令嬢という立場以上に重大なものを抱える少女だ。当然私的な警護のみに守られるのではなく、公的なそれも影に彼女を監視している。彼らが遅れをとったのは、堂々と王子妃の紋章を抱えた人間の犯行によるところが大きく、情報はいち早く王子にまで伝わるだろうことをキセは察知していた。ゆえに、何某かの権力の介入は想定していた。
だが、最後に相対したとき、アスターはキセに怯えていた。
圧倒的な力の差なのか、悔いる気持ちのせいなのか、キセ=ダームスタに向けられていた思いとは違う、ただ純粋な恐怖を彼女に感じていた。
だから、キセ自身は、彼が直接やってくるとは考えていなかった。
その予想は裏切られ、だけれども彼は今だ微かに彼女に怯えている。

「私は、キセとして、公爵家の娘としてアルゴ王に嫁ぎます」

ある意味決別の言葉を口にする。
挑むような瞳を、アスターへと向け、大人びた少女の美貌がさらに輝く。

「いやだ」

アスターは王家の剣に手をかける。
一介の騎士が所持するものとは違う、装飾が施された鞘からすらりと剣は抜き去られる。
明かりのない室内に、彼の持つ剣だけが光を放つ。
ゆっくりと振り上げられた刀は、まっすぐとキセへと向かっていく。
キセは、目を閉じることなく、アスターの挙動をみつめつづける。
だが、振り上げた手はおろされることはなかった。
アスターは深く息を吸い込み、吐き出す。剣は再び鞘へ戻される。

「結局、そういう解決方法しかできないわけね」

嘲笑、ともとれるキセの言葉に、アスターの顔が歪む。

「他に、他にどうすればよかったんだ?」

彼女を手に入れる勇気も、失う勇気もなかった王子は、時を経て、再び同じ選択をする王となった。

「私のこと、好きだった?」

唐突な少女らしい物言いに、アスターは面食らう。
だが、ゆっくりと彼は答える。

「ああ」
「そう、なら良かった」

その答えに、キセは満足し微笑む。

「どうしても嫁に行くのか?」
「そうね、ここにいたら行きそびれそうだし」

畏怖の念を感じながらも、キセへの執着を隠そうともしないアスター王がいる限り、キセは普通の貴族のもとへ嫁すことはできないだろう。

「……俺の元へ」
「断る」

あまりのキセの断りのよさに、アスターからは苦笑いしかでてこない。

「シモンが心配するから、もう帰る」

アスターが手配しているだろう馬車へ乗るつもりで、キセは言い捨てる。
すでに傷は自らが治しており、そこにはいつもの公爵令嬢が儀礼的な笑みを浮かべ立っているだけだ。

「じゃあね」

振り返りもせずにキセは連れ込まれた屋敷を後にする。
その背中にアスターの声がかかる。

「キセ。俺は、愛していた」

今は、なのか、昔は、なのか、曖昧にしたままのアスターの告白が響く。
キセは振り返り、アスターが見たこともない表情を浮かべ、彼を誘惑する。

「光栄に思って。私は一生あなたを許さないから」

色恋とはおよそ遠い、だが、ある意味彼を一生縛りつけるかのような言霊に、アスターはただ立ちすくむ。

「さよなら」

再び前を向いた公爵令嬢は、もう二度と振り向くことはなかった。

数日のち、精神の病を理由に王子妃は正式に廃され、時を同じくしてダームスタ家令嬢の婚姻が発表された。
国家間を結ぶおめでたい出来事に、王子妃のことは人々の口にのぼることなく忘れ去られていった。
プロトアでは望むこともできなかった妃の誕生にわきたち、また、数ヶ月のち最小限の人員で
やってきた婚約者の覚悟に感銘し、またその美しさに感動することとなる。
プロトアは、ようやく華やかな時を経て、ゆるやかに発展していく。賢王の傍らには、常に美しき王妃が寄り添い、その姿を見たものは皆、繁栄と栄華を約束されたような思いにふけることができた。
後に、プロトア建国の祖とあがめられるようになる国王夫婦は、生涯お互いだけを伴侶とし、その子供たちもまたプロトアの隆盛を担う一翼となっていった。


1.7.2011/end
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