御伽噺の乙女/第2話

 ダームスタ邸付近で異様な魔力が探知される少し前、大戦後六年ほどたったころ、市井の踊り子リウが父、ダームスタ公爵に連れられて本宅へとやってきた。その身一つで生計を立てていた彼女は、多少の夢は見こそすれ、このような場に立つことを願うほどおろかな女ではなかった。だが、その美貌を見初められ、本人の望まぬうちにダームスタ公爵の手に落ちていた彼女は、いつのまにか慣れない公爵邸での生活を余儀なくされていた。上級職の使用人たちには軽んじられ、端仕事を任されているものにすら侮られる生活に、徐々に長所であったしなやかさを失い、ともすると寝こみがちな生活へと追い込まれていった。それでも元来持つその美しさは損なわれず、公爵の執着は衰えなかった。しかし、籠の鳥の生活をして数年、女児を、その翌年には男児を次々に産み落とし、その美貌に陰りが出始めると、公爵はあれほどみせていた彼女への執着をあっさりと忘れ、あっけなく他の花々へと興味がうつろっていった。公爵の寵愛を受ける女としての地位はなくなったものの、曲がりなりにも公爵家の子をなした女となったリウは、主が住むべき棟から別棟へと子と共に移り住み、皮肉にもようやく彼女はここで安寧の生活を得ることができた。
たとえそれが、まだ籠の鳥の生活の続き、だとしても。



「リウさま」

公爵の寵を失って数年、リウを所詮踊り子、と侮っている本邸の使用人と異なり、キセは彼女を母、とまではいかないまでも、ダームスタの妻として遇している。
それを面映いと感じながらも、キセが決してその態度を変えないことを知っているリウは、照れたようなあいまいな笑みを浮かべる。
産後の肥立ちが悪く、寝こみがちだった彼女は、子供たちが歩き始める頃にはようやく回復の兆しを見せた。その要因の一つとして、偏愛とも呼べるダームスタ公爵の愛情がよそへうつったことがあげられる。相手を慮らない愛情は、暴力のようでもあり、奪われるだけだった彼女も、ここにきてようやく好きに呼吸ができるかのようだ。それを微力ながら手助けしたのはキセである。
女主とはなれないリウに代わり、幼いながらも家令以下の使用人を把握し、まとめていたのは彼女である。リウが別棟へと移り、いよいよ不在となった女主の代わりを勤め、今もなんとかダームスタ公爵邸はその体を維持することができている。

「綺麗なお花」
「リウさまにお似合いかと思いまして」

堅苦しい言葉は似合わない、と言いたい気持ちを抑え、リウは丁寧にその花を受け取る。幼い頃より貴族の子女としての教育を受け、そのような環境にある少女に、市井の女のように砕けろ、と言う方が無理な話なのだ。本来なら、こうやって口を聞く事すらできなかった少女に、ただ感謝するほかはない。
庭には、彼女の二人の子供、姉のリリ、と弟のロンが乳母と一緒に歌っている姿が見える。
本来なら、リウは己の育ちに合わせ、自らの手で育てようと思った我が子は、結局寝具の上にいることが多い彼女に代わって、家令により乳母が手配された。乳母は、やはりそれなりの女性が用意され、彼女の子供たちは、母とは違う世界の人間のように育てられている。わずかな寂しさは募るものの、彼らのためにはそれが最良である、ということも彼女は理解している。

「楽しそう」
「キセさまも、もう少しお遊びになったほうが」

何も考えず、ただ一日中遊んでいられる妹弟をみたキセが呟く。その呟きをリウは、彼女を良く知る年配の人間として重く受け止める。
彼女はまだ十二歳の少女である。
その少女が、今この邸を管理し、維持している、ということがおかしなことであり、異常なことである、ということは誰もが十分承知している。だが、由緒正しい、と言われているダームスタ公爵家が、このような羽目に陥ったのは、わかりやすいほど明確な理由だ。
まったく政治に興味はなく、今ある地位と財産をもって享楽にふけることしかしない父、公爵は、邸を顧みることはなく、キセの母はダームスタ公爵の別邸へ引きこもってひさしい。もっとも母は母で、社交界の華と呼ばれた頃と同じように、連日その財を惜しみなく使いながら、夜会を開いているのだから、ある意味貴族の鏡ともいえよう。
そんな中、その家名に傷をつけることなく、全ての使用人の数を入れれば小さな村ともいうべきダームスタ公爵家を守り、維持しているのは次女であるキセである。両手の指に足りない年のころより始まったその役目は、現在も変わらず彼女の両肩に重くのしかかったままだ。
せめて、彼女の弟のシモンがその肩代わりをしてくれれば、と、周囲が思うものの、彼は酷く病弱で心配させることが仕事のようなものであり、それを願うのは少々酷である。

「シモンが、彼らぐらい元気ならね」

笑ってみせたキセに、リウが微笑み返す。
リウは、邸にきた当初のころのキセを知っている。
貴族らしく横柄で、踊り子ごときの自分にはまったく興味を示さなかった彼女。
その母譲りの美貌は確かに息を呑むほどではあったが、生気はなくある意味子供らしくはなかった。だが、あくまで普通のこどもであったことを覚えている。
ところが、ある日を境に彼女は酷くその印象を変えた。
命令することしかしなかったその口は、使用人に感謝の言葉を添え、ことあるごとに振りまかれる笑顔は、邸を明るいものにしていった。
無理にその年相応の子供として振舞っているかのような無邪気な仕草は、それでも周囲を和らげるには十分な効用をもっていた。その頃から、リウを侮っていた使用人たちが下げられ、彼女には新しい侍女が与えられた。気まぐれな公爵の愛情には辟易していたものの、その変化がリウに暖かいものを齎していたことは事実だ。
結局今は別棟へと移り、その頃からの使用人は彼女を軽んじることなく接してくれている。
キセの変化がどうして起こったのかはわからない。
だが、リウは、キセに何かがあれば、この身を盾にしても守り通す。
そう、小さく誓っていた。

10.15.2010
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