御伽噺の乙女/第18話

「男の部屋へ単身訪れるとは、ローレンシウムは随分とすすんでいるのだな」

アルゴ王の皮肉交じりの言葉に、キセはあからさまに不機嫌な顔をする。
国が用意した貴人のための部屋は、寝室と居間、側近、侍女が控える間からなる、別邸とも呼べる屋敷であった。
公式な行事をこなし、将軍だけを部屋へ入れ、卓上型の遊戯を楽しんでいたアルゴは、唐突に現れたキセに驚きもせず声をかける。
対する将軍は、当然のことながら驚愕し、すぐさま剣を構える。
それを制しながら、キセであることを確認させ下がらせる。

「ようやく思い出した」
「懐かしいか?」
「全然」

キセの素の言葉に嬉しそうに答える。キセが公爵令嬢として話している姿を好ましい、と思ってはいるが、このようにどちらかというとぞんざいな言葉を使う彼女のことも気に入っている。

「どうして生まれかわっちゃったんだろうねー、まったく」

キセが天井を仰ぐ。

「俺に会うためだろう?」

しかし、その言葉をアルゴはこともなげに受け止める。
変わっていないアルゴを軽く睨みつけ、キセは座りなおす。アルゴはキセの顔を満足そうに眺め、あの頃と変わらない態度で彼女と相対する。
促されるようにして、卓上型遊戯の相手をすることになったキセは、考えながら、それでも的確に駒を進めていく。

「記憶は?」
「ある」
「どこから?」
「召還されたあたりから?何者なのかは一応」

キセは、とある少女の生まれ変わりであり、その記憶と能力を引き継ぐものでもある。
つまり、女神の娘として呼ばれた少女であり、今は女神の娘として生まれなおされた少女である。
彼女の前世は、戦争のおりローレンシウムの主神である豊穣の女神に祈って遣わされた少女である。
神に祈りが届いた、というわけではなく、ただの気まぐれで、異世界で普通の少女として無難に生きていた己の欠片、娘とも呼ぶべき前世のキセを呼び寄せ、ローレンシウムに落としたのだ。それは親切心ではなく、ただ面白かったから、という身も蓋もない理由からではあるが、本来の能力を思い出し、使えるようになった彼女は、戦争終結に十分役立った。
当時、右も左もわからない彼女を支え、全てを受け入れてくれたかのようにみせていたのはアスターである。不安を抱えながらの少女が、彼を信頼し、その気持ちが別のものに育っていったのも無理はないだろう。だが、彼女の思いは受け入れられるどころか、あっけなく裏切られることとなった。
協力し、尽力したローレンシウムの王子、アスターに、彼女は刺殺されてしまったのだ。
女神の娘として甚大な能力を有していた彼女とは言え、ただの人間であることには変わりがない。膨大な魔力で傷を癒すまもなく、腹は割かれ、彼女は絶命した。
その記憶がよみがえったのは、七つの頃であり、生死をさまよう高熱をだしたおりである。
魔力にあたると、稀に熱を発することがあるのだが、余りに強力な力を思い出した彼女は、それに体が対応しなかったのだろう。記憶と共にそれを制御する技術を行使することができ、彼女はその日を境にまるで生まれ変わったかのような彼女となった。

「それにしても、ローレンシウムという国はよほど神に愛された国なのだな」

将軍相手とは違い、厳しい攻めをするキセ相手に、さすがのアルゴ王の打つ手も遅くなる。

「それ違う」

公爵令嬢、とは程遠い言葉遣いで、キセが左手に駒、顎を右手に乗せ、やや行儀の悪い格好で盤をながめる。

「ただの気まぐれ。私を落としたのだって、嫌がらせみたいなものだし」
「嫌がらせ?」
「そう」

神とは慈悲深いだけのものではない。
時に残酷であり、短慮であり、気まぐれである。
特に豊穣の女神は、称えられる名前とは異なり、どちらかというと気分屋で、人間の世界に興味がないのかと思えば、おもしろいものがあれば執着する性質だ。それがたまたま、ローレンシウムの祈りに反応し、面白半分に自らの欠片をおとしてみれば、あっという間に人間の手で欠片を消滅されたのだ。怒りこそすれ、恵みを与えることはない。
その結果が、意地になって再び落としたキセの誕生と度重なる不作である。その際、国の不幸が自らの欠片にどういう影響かを与えるかも考えない、そのような存在である。
昨今それが改善されたのは、キセの能力の開眼と、どちらかといえば、女神そのものがこの国に興味を失ったからである。興味をもたれれば混乱し、失えば安定する、などという神はまさしく敬して遠ざける、が当てはまる神である。
キセの言葉の意味を図りかねるアルゴは、深慮して駒をすすめる。
キセはそれに厳しい手で相対する。

「そういえば、どうして帰ったのだ?」
「まさかあなたまであんな御伽噺を信じてるとは思わなかった」

歴史書にまで記される公式の事実を、よもや否定されるとは思わなかったアルゴは、駒を持つ手を止める。

「帰れるわけないでしょ?娘なんていう概念は神にはないんだから」
「欠片?」
「そう、ただの欠片。あまりに強い能力のガス抜きにあちこちばら撒かれる単なる残滓みたいなもの」
「だが、その割りにお前の能力は」
「元が神だからね、それは」

ようやく、盤上に目をむけ、遊戯が進んでいく。

「ならばなぜ消えたのだ?」

咎めるような物言いに、キセはわずかに頬を膨らませる。

「消えたいわけじゃなかったけど?」

キセは、アルゴの目を見据える。
かつて、違う姿で彼と見合わせたことを思い出す。
あのときの彼は、当然もっと若く、所謂王子様、という形容詞がぴったりとくる容姿であった。
落とされた先がローレンシウムでなければ、キセはきっとアルゴに思いを寄せていただろう。

「あのね、私の存在って」

キセは姿勢を正し、右手の指を弾く。
すると、忽然と一つの駒、が手のひらに現れる。
その駒は、今アルゴとキセが用いている木目調の駒と異なり、金属で装飾され、ところどころに宝石まで施されている。

「これ、みたいなものなんだよね」

明らかにアルゴ王が負ける筋にその駒を置いたキセは、アルゴを見上げる。

「規則に反する」
「そう、規則に反するの。私の能力も存在もなにもかも。こんな卑怯な手を使ったら、この遊戯そのものが成立しないでしょ?」
「まあ、普通思いついて実行しようとするような手ではないが」

あからさま過ぎるイカサマの手を、このように堂々とやってのける人間はいない。

「で、あなたらどうする?こんな卑怯な駒」
「当然排除する」
「でしょ?」

キセは華美な駒を消し、通常の駒を盤目に置く。
遊戯そのものはキセの勝ち、となって終了した。

「おまえは」
「排除されたの」
「誰に、というのは愚問か」
「そういうこと」

キセは椅子の上で手足を伸ばし、天井を見上げる。

「俺は、俺はそんな目にあわせるためにお前の手を離したわけじゃない」

静かに、だが怒りに満ちたアルゴの声が部屋に満ちていく。

「ありがとう。でもあのときの私の存在は、きっとあなたの国でも邪魔になったと思う」

神の娘、圧倒的な能力を有するものが国に存在するということ。
それは国同士の平衡を欠き、また危うくされるものだ。まして神、などという理性ではどうにもできない信仰に絡んだものは、神殿やそれを利用しようとするものなどを巻き込み、必ず問題の種がばら撒かれ、大きくなっていくものだろう。そして、人間誰しもが感じる強者への畏怖の念。ましてその少女は、絶対的に国に忠誠を誓っている存在ではない。閉じ込めておくこともできない力を、脆弱な人々はどう捉えればよいのか?
それを考えた上で、それでもアルゴ王はその判断を下したアスターへの怒りを消し去ることはできない。
彼女の存在は不安定で、いくら強固に取り込もうとしたところで絶対ではない。少女の淡い思いなど、なんの後ろ盾にもなりはしない。まして、女の身ならば、どうにかして取り入る手段があるはずだと考えるやからはいる。その心配の種の一つが、当時王子であったアルゴであり、彼が女神の娘を愛していたことは、一部ではとてもよく知られていた。それでもなお、アスターは少女を生かそうとしてはいた。

「それに、まあ、女だから、ね、それも問題だったと言えば、問題だったし」

それを阻止したのは、王であり側近であり、王子妃である。
皆に口をそろえて国のため、と言われれば王子は応えぬわけにはいかない。また、神の娘などには頼らず、己の手で戦争終結を試みたアルゴへの劣等感が彼を追い詰めた。その娘が、アルゴへは恋心とまではいえないものの、何某かの思いを抱いている、と知ってしまえばなおさらだ。
きっかけは王子妃の一言。
彼は決断し、手を下した。
アスターは己の罪悪感をぶつける相手として、王子妃を選び、王子妃は神の娘がいなくなり不作に喘いだ自責の念に駆られる。
それもすべて気まぐれに落とされた彼女の存在のせいであり、また結果である。

「だが、俺はそのような愚かな判断はくださない」

幾度か顔を合わせるどころか、一時期はプロトアに滞在していたこともあるキセは、この王の気性を知っている。
理知的で冷静な王だ、と称えられている彼は、その顔の裏に、熱い思いを隠し持っている。

「そう、だね。アルゴなら私は生きられたかもしれないね」

意味のない過去の仮定の話を打ち切り、キセはアルゴと向き合う。

「私は、もう彼女じゃない。記憶も能力も私のものだけど、だけど私は私でしかない」

アルゴは、ゆっくりとキセの言葉をかみ締める。
己は、神の娘だからあの彼女を愛したのか。

「わかっている」

キセが彼女の生まれ変わりだから側に置こうとしたのか。

「あの瞳も、髪も、性格すらもっていないけど?」

褒め称えた漆黒の髪を思い出す。
器が変わっても彼女は彼女であり、魂は同じだ。
だが、キセ=ダームスタとして生まれた彼女の自我はどこにあるのか。

「それも、わかっている」

アルゴは自分自身にも言い聞かせるようにキセの問いに答えていく。
同一視はしない、だけど、どうしようもなく惹かれてしまうのは、彼女が彼女だからだ。
言語化するには難しく、言葉を重ねるほど陳腐になっていく思いに、口を閉じる。
キセは一輪の花を取り出す。
豊穣の女神の化身、と呼ばれる素朴だが愛らしい白色の花。
前世の彼女もやはり、それに称えられ、それに見合う可憐な少女であった。
ローレンシウムに咲くその花を、アルゴは懐かしい目でみつめる。
突如、その花は青い炎に包まれ、あっという間に炭化していく。
形すらなくなり、粉々になった花が、キセの手で空中に放り投げられる。

「私は、キセ=ダームスタを妃として迎えいれたい」

机の上に舞い落ちた炭の粉が再び消え去っていく。
キセは、ようやく彼女自身の顔で笑う。

「アルゴのお嫁さんになってあげる」

アルゴの豪快な笑い声が扉の向こうにまで届き、警備のものたちを驚かせる。
ローレンシウムで得た慶兆は早速プロトアへ伝えられ、アルゴ王の側近はその忙しさに拍車がかけられた。


12.27.2010
++「Text」++「御伽噺の乙女目次」++「次へ」++「戻る」