御伽噺の乙女/第13話

 まじめに勉強を始めたといっても、王女特有のわがままは健在だ。
今日も珍しい菓子が手に入ったと聞き及び、休憩時間まで待てなかったクロロは、早速厨房へキセを使いに走らせた。
籠に王女の待つ菓子を入れてもらい、抱えるようにしてキセは来た道を戻っていく。
一国の王女が口に入れるものをキセに頼む、というのも随分と無防備ではあるが、キセへの信頼と、さりげなく配備されている警護への自信がそうさせているのだろう。
すれ違う人々と会釈を交わし、廊下を急いでいたキセは、再びあまり会いたくない集団に出くわしてしまった。
色とりどりの衣装を身にまとう王子妃一向の女性陣、だ。
ここのところ王子妃の茶会や夜会に招かれていたキセは、その招待を茶会は王女を、夜会は年齢を理由に丁重に断り続けていた。
この年頃の貴族の子女ならば、夜会へ出入りし始めるものもいる。
だが、それは保護者として親が監視することが前提となっている。
キセの親はその機能を果たしていない。また、現在の保護者的立場にある兄は、いまだ学生の立場であり、どちらかというとそのような会に積極的に参加するような性格をしていない。それでも、と望めば、彼女にはいくらでも適当な係累はいるのだが、そこまでして王子妃と馴れ合おう、などとは考えてもいない。ましてあちら側の思惑が透けて見える招待にのるほうがどうかしている。

「ごきげんよう」

頭を下げていたキセに、ようやく王子妃の声がかかる。
それを合図に顔を上げたキセは、王子妃が以前よりもさらに剣のある顔をしていることに気がつく。

「また使い走り?」

キセを通じて王女を馬鹿にしたような声音に、キセは曖昧に微笑む。今のこの場ではどのようは返答をしても確実に王子妃の機嫌を損ねるだろう。
そう思ったのはキセだけではないのか、日ごろ見えない位置にいる監視を兼ねた護衛の武官が、キセの目に入る位置に姿を現している。
そのことに気がつかないのか、さんざん嘲笑を浴びせる王子妃は、己の言葉にさらに神経を高ぶらせていく。

「あなたの、その顔が気にいらないのよ!」

隣の侍女が抱える、花束を取り上げ、キセの顔に叩きつける。
それは、さほど強い痛みを与えるものではないが、それでも確実に彼女の白い肌にいくつもの小さな傷をつける。散っていく花びらが廊下へ拡がっていく。小さな悲鳴が次々と聞こえ、興味本位で様子を伺っていた観衆も顔色を変える。
それでもおさまらない王子妃は、キセの胸倉を掴みつばを吐きかける。
そこには大国の王子妃、の矜持はどこにもなく、ただ見当違いの嫉妬に狂った女、がただ一人怒りにわれを忘れ八つ当たりしている姿があるだけだ。
立場上、手を出すことにためらいがあった護衛が二人の間に割って入り、ようやくキセを保護する。それにさえ王子妃は怒り狂い、汚い言葉を吐きかけていく。
最後にはうずくまって泣き始めた王子妃を、キセも、護衛も、侍女たちですら見下ろすことしかできないでいた。

「すぐに医者を呼べ」

停滞していた皆に流れをもたらしたのは、威厳のある王子の一言だった。
すぐに気がついたキセは、護衛に菓子を渡すと、医者のいる棟へと走り出す。
残されたものは、登場した男にあっけにとられ、それでもなんとか繕うようにして臣下の礼をとる。

「疲れているのだ。しばらく実家へと帰るがよい」

そのやさしげな言葉は、しかしながら、王子妃を残酷に突き落とす言葉だ。ましてそれが愛したものからもたらされたとすれば。
彼女は立ち上がり、今度は仲裁に入った男、己の夫につっかかっていく。

「あなたが、あなたが私を顧みないから!!」

その言葉は、聞き耳を立てるようにして彼らを伺っている人々に、切実に訴える何か、をもっていた。
王子が、その妻を相手にしていなかったのは事実。例え女として扱われなくとも、対等な相手として彼女を遇していればまだ良かったのだ。
だが、アスターは彼女を無視し、公の場所ですら王子妃との間に何がしかの確執がある、ということを見せ付けるようなまねをしてみせた。
女としての彼女も、王子妃としても彼女も、アスターにとって必要ない。
さらには、王女の侍女をめぐる些細ないざこざで、王子妃へ暇を告げる、などということは、妃にとって屈辱以上のものだろう。
張り詰めていたものが全て切れたかのような王子妃は、さらに王子への悪口雑言を投げつける。
顰め面をして、だけれども大人しくそれを聞くままにしていた王子は、軽やかな足音を聞き、後ろを振り向いた。
その顔が、僅かに微笑み、また、顰められたのをみて、王子妃は侍女がもっていた鋏を容赦なくそれへ投げつける。
直線的に投げられた鋏は、あっさりと目的の人物を捕らえ、肉を切り、掃き清められた廊下に落ちていった。
金属がぶつかる音がし、全員がその音の方向へと視線を向ける。

「大丈夫か?」

あわてて駆け寄った王子の姿に、妃は再び彼の背中に縋る。
それをまるで邪魔なもののように払いのけ、王子妃は床へ倒れこむ。

「ええ、少し切っただけですから。ご心配なく」

鋏を向けられた相手、キセは、咄嗟に顔をかばったために左手に刀傷を受けてしまった。上質な布で作られた衣装を容赦なく切り裂いていた。そこからは柔らかな肌が見え、ざっくりと開いた傷口からは鮮血が滴り落ちている。王子は彼女の手をとり、また傷つけられた頬に手をやる。
そのような事態に慣れていない侍女たちは、気分が悪いのか気を失ったのか、一斉に倒れるありさまだ。
さすがに、キセが連れてきた医者は、冷静にその傷の手当てをはじめ、無関係な王宮の人々は、ただ静かに彼らの動向を見守っていた。

「すまない、もう少し気をつけていれば」
「いえ……。こういうことは初めてではないですから」
「は?」
「もっとも、初めて、とも言えますけど」

あまりにキセの戻りが遅いのに痺れを切らせた王女が駆けつけ、場は再び混乱していく。
王子妃は、武官によって下げられ、役に立たなかった侍女たちもまた、下げられていった。
その後、王宮側から王子妃は療養のため実家へと里帰りした、と正式に告知された。


12.18.2010
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