御伽噺の乙女/第14話

「どういうこと?」

王子妃との醜聞を聞きつけた長姉ジェーンが、シモンの部屋で勉学をみているキセのもとへとやってきた。乱暴に扉を開け、控えているはずの侍女がとりなそうとする姿をよそに、ジェーンはまっすぐにキセへと詰め寄る。

「どう、といいますと?」

姉妹とはいえ、ほとんど接点のない二人は、どこまでも他人行儀だ。キセは、シモンを露台から寝室へと下がらせ、ジェーンと相対する。

「それ、わざと?」

キセの頬を指し、顔を顰めながらジェーンが吐き捨てる。
そこには、数日前王子妃につけられた傷跡が残っている。
魔術を医療の分野にも展開しているこの世界では、このようなかすり傷は魔術で癒すことができる。しかしならが、それを利用できるのは一部の金持ちか特権階級の人間に限られる。あまり魔術が盛んでないローレンシウムでは、その恩恵に浴するのは一握りだ。もちろん、キセはその一握りに含まれる公爵令嬢だ。まして、王宮内のいざこざでできた傷など、その場で治せるはずだ。
それをしなかったのは、魔力は有限である、との考えの下、全く困らない傷などにそれを消費することをよしとしなかったキセであり、周囲の説得に最後まで耳をかすことはなかった。結局、腕の傷すらそのままに、長袖の下には包帯で巻かれた傷跡がそのまま残っているありさまだ。

「このような傷に貴重な魔力を行使するのは滑稽です」
「王子妃が悪いって、宣伝して回るつもり?」

どこまで正確にやりとりが噂されているのかは知らないが、一方的にキセを敵視した王子妃に何がしかの含みがこもったおしゃべりが撒き散らされているのは事実だろう。噂好きの人間は、キセの顔の傷を見るたび、それを思い出し、また尾ひれをつけ誰かに言いつけるのだろう。
そのことを指して、長姉は言外にキセの責を問う。

「どう説明申し上げても、姉上様は納得なさらないでしょう?」

どのような噂を耳にしたのかは知らないものの、キセを責めるのはお門違いだ。そのことは恐らく長姉も理解しているのだろう。彼女はどこかばつが悪そうな顔をして、それでも上から見下ろすような視線は保ったままだ。
ジェーンは、ダームスタ公爵家と匹敵するほどの家柄から嫁いだ女性の子供だ。病弱だった彼女は、社交界一華やかな女性と夫との浮名に悩み、その命を縮めた。その要因の一端となった女性がキセの母親であり、前公爵家夫人に納まった女であることをどこかしこりに思っている。それを病弱なシモンではなく、容姿がその女を思い出させるキセに向いていることにキセは気がついている。
だからこそのキセの返答なのだが、その言葉すら己を侮っているかのようで、ジェーンはますますキセに対して頑なな思いを抱くようになる。

「お兄様には縁談を頼んでおきました。相手が決まりましたら、どのような噂もなくなりますでしょ?」

キセの先手を打つかのような返答に、ジェーンは言葉を次の言葉が出てこない。もともと、キセに瑕疵がある、とは彼女も考えてはいない。ただ、実母のこと、全く自分を顧なかったくせに、ゆがんだ形とはいえキセのことを気に入っていた父のこと。また、容姿において何かと比較され陰口をたたかれる劣等感、それら全てに絡む複雑な思いを妹にぶつけているだけなのだから。

「お姉さまは、どうかクロロ王女のお側に」
「あなたじゃないの?」

王女として軽んじられていた彼女が、僅かではあるが浮上するきっかけを作ったのはキセだ。それを王宮のものは皆知っている。同じ年の友人としての彼女も、王女がひどく執心していることも。だからこそ、キセのその言葉は、意外であり重荷ともなる。

「私はそれほど長い間お側にはいられませんから」

色々な物を含んだ彼女の言葉に、ジェーンは口を挟めないまま、キセはいつもの曖昧な笑みを浮かべシモンの寝室へと消えていった。
ジェーンは、もやもやとしたものが残るまま、自分の私室へと向かっていった。



「おはようございます」
「おはよう」

珍しいことに体の調子が良いシモンも加わり、久しぶりにダームスタ家は四人の子供が揃う朝食となった。
キセのとなりに座ったシモンは、余り話したことのない兄と姉の姿に緊張し、ちらちらとキセの方へ視線を向ける。それに笑みを返し、彼女は彼の好きな果実煮を勧める。
集まったからとはいえ、共通の話題のない四人は、好奇心が勝ったのか、士官学校のことをしきりに尋ねたがるシモンの子供らしい質問に、ぎこちないとはいえ和やかな雰囲気をかもし出していた。長姉はキセの方を見ないようにしていることが不自然といえば不自然ではあるが、それでも全く家族として育ったことのない四人の食卓とすれば、上出来な方だろう。

「キセは、今日も王女のところへ?」
「はい」
「随分と招待状が来ているみたいだけど、興味はないの?」
「残念ながら」

ダームスタ家の姉妹には、それこそ降るように何がしかの招待状が届いている。茶会に夜会に、狩の誘い、と、手を変え品を変え、彼女たちとつながりをもちたい家々がこぞって送ってくるからだ。姉はそれらを無視し、妹は丁重に断りを入れている。
今のところ、キセにしてもどこかとことさら付き合いを密にしたい、とは考えていないからだ。

「まあ、ジェーンは、ね、興味がないのもわかるけど」

眉間に皺を寄せ、本当に嫌そうな顔をした長姉が双子の兄を睨みつける。
彼女は、周囲の反対を押し切り、士官学校へと進んだ変り種だ。それこそ女同士のやりとりや、家同士の付き合い、などといったことは興味もなければこなすつもりもないのだろう。そんなことをやる時間があれば、剣の稽古でもしていた方がましだ、とその表情が物語っている。

「キセは?キセはほら、本当に興味ないの?綺麗な服きたりとか」
「とりたてては。必要ならばこなしますが」

年頃の娘としては酷く素っ気無い返事を返し、兄を落胆させる。
妹との距離のとり方を計りかねている彼は、そのようにわかり易いものを利用して彼女との付き合いを縮めようとしているのだろう。

「綺麗な格好をした姉さまとお出かけしたい」

僅かな量の食事をゆっくりと口へ運んでいたシモンが、口を挟む。
彼は、一年のほとんどをこの屋敷どころか部屋で過ごす生活を送っている。ここのところ体の調子は良いものの、それでも無理がきく体ではない。

「ああ、じゃあ、剣術大会でも見学にくるか?キセと一緒に」

心配性のキセが僅かに眉根を寄せる。

「たまにはかまわないだろう?シモンも閉じこもってばかりだし。一緒に馬車で行って、観覧席で過ごせばいい。貴賓席ならば人に酔うこともないだろう」
「それは、確かに」

公爵家ならば、その程度の席は用意できるだろう。まして彼女たちは王族に連なる家柄なのだから。

「ジェーンは参加しないから、なんだったら案内するといい」

本格的に顰め面をしたジェーンにかまうことなく、アーセは決定事項のように話し続ける。
同じ年で同じように進級しているはずのアーセが参加し、ジェーンが参加していない、ということがどういうことなのかがわかるキセは、どういう顔をしていいのか困ったままとりあえず兄の言葉に耳を傾ける。

「姉さま、いいでしょ?」

頼るべき相手は、キセである、ということをはっきりと自覚しているシモンは、必死になってキセを説得にかかる。
もう、ここまできては下手に落胆させるより、注意深く彼を連れて行ったほうがいいと、あきらめたキセは、ため息を一つついてゆっくりと頷く。
顔を綻ばせ、全身から喜びを発散させたシモンは、自分が元気である、ということを示すために、常は苦手な肉を口にする。細かく切ったそれを何とか飲み込み、キセに笑顔を向ける。
キセは黙って、口の端に付いたソースをぬぐってやりながら、微笑んだ。


12.20.2010
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