御伽噺の乙女/第12話

 戦争からこちら、農業国にもかかわらず不作にあえいでいたローレンシウムは、ここのところの豊作で、ようやく国として落ち着きを取り戻しつつあった。戦争よりもさらに民を疲弊させた不況からの脱出は、この国に再び女神の噂をもたらした。
曰く、あの時のように女神が娘を遣わしてくれたのだ、と。
人智ではどうにもできない自然相手の商売を営む国民は、敬虔な信者、とまではいかないものの、それなりに熱心に豊穣の女神を信仰している。どれほど努力をしても叶わなかった実りが、ようやく手に入った人々が、女神に縋り、感謝するのは自然の流れだろう。 大規模なお祭りとなる戴冠式を前に、穀類の収穫を終えようと必死になって働く農民たちは、日々女神へ感謝の言葉を捧げ、収穫物を供える。

「今年も収穫は順調だそうです」

地方を査察する文官からの報告にアスター王子は耳を傾ける。
離れで引退生活を送る父王は、すでに政界には関与せず、悠々自適の老後を満喫している。彼はあの、苛烈を極めた戦争で、その能力も資質も全てを使い切ってしまったかんがある。それほどあの戦いはローレンシウムにとっては打撃であり、その後も国内外に問わず様々な傷跡を残している。

「一時期はどうなることかと思ったが、それは良かった。これで来年もローレンシウムは安泰だな」
「女神の娘が再来したと、農民はこぞっておまいりしているらしいです」

文官の言葉に僅かに反応を示したのは側近のルトである。
彼はそれを気取られぬよう文官にその様子を探り入れる。

「神殿に?ですか?」
「いえ、以前女神さまが降臨されたという森みたいです、祠みたいなのをたてて、勝手に始めているらしいです」

ローレンシウムは基本的に現在は政教分離を貫いている。
父王の時代は神殿も政治に深く絡み、それこそ今よりはるかに難しい舵取りを強いられたが、戦を経て、息子の代には距離をとることに成功している。
それは、あの当時の神殿側の暴走、を逆手にとったものだが、正直なところ今でも王宮側と神殿側の間には遺恨がある。
隙あらば取り入ろうとするあちら側との攻防は、幾重にも飾り付けられた美辞麗句による懐柔と、それを受けてさらに過剰な包装をして送り返す文官とのやりとりなどで行われ、とりあえず直接的な手段にでることはない。だが、民の信仰心を利用した制御を行われてしまうと、なまじ非難しにくいところからくる行動を止めることは非常に難しくなる。だからこそ、王宮側は、どうしても宗教と信仰といったものに注視せざるをえない。
だが、今度の民間信仰は、まだ組織化された現在の神殿とは関係ないところで行われており、さほど気にするものではない、と報告をする文官は考えているのだろう。

「今更女神でもあるまいに」

神官が聞けばその場で説教されそうな言葉を、アスターが吐き捨てる。

「不作が長すぎましたからねぇ。自然相手のことですし。今更ですが、もう少しこちらにいらしてくださればよかったのに」

アスターとルトが顔を見合わせる。
その先を言わずとも、彼が誰のことを指しているのかは、この執務室の中にいる政務官の全てが、知っているだろう。
その姿を直接見たものはいない。
アスターとルトを除いて。
だが、強烈にその人の存在はこの国に残り、影響を与えている。

「ユーカ様でしたっけ?女神の娘」
「……ああ」

さりげなく、ルトが他の文官に別の報告をするように促す。
雑談が過ぎたと感じたのか、それほど違和感を覚えることなく、他のものも、頭を別の案件へと切り替えていく。
アスターは、文官の声を聞く。
だが、その内容は頭の中に一つも入り込んでこない。恐らく、側近であるルトがよしなに対処しているのだろう。

手を、握り締める。
周囲にわからないようにそっと。
感触を思い出す。
貫かれる柔らかな肉体。
目を瞑る。
脳裏に浮かぶのは、黒髪の少女。
やがてそれは、とある公爵令嬢の姿となり、アスターは瞼をあける。
隣でルトが返事をしていることに気がつく。彼に視線を送り、決裁を頼む。
難しい案件があるわけでもない報告の時間は、無事に終わり、担当の文官たちが執務室を後にする。
アスターは、ようやく深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

「女神の娘って」

ルトの言葉にアスターは静かに首を横に振る。
それを言葉にすれば、封印していたものが全て解き放たれてしまう。
ローレンシウムの国を思って王子が行ったことが、ローレンシウムを危機に陥れる。
アスターは、しない日はない、という後悔を今日も痛いほど味わった。



「波長の利用、みたいなものだそうです」

魔術院で借りてきた魔石をクロロの前へ差し出す。
どこにでもありそうな、だがやけに綺麗に磨き上げられた石ころをつまみ、目の前にかざす。
どうということのない石を眺め回し、首をかしげる。

「これが?」
「はい」

恐らく宝石のような綺麗なものを想像していたのだろう。全く期待はずれの普通の石を無造作に布の上へ放り投げる。

「目当ての方と触れば、反応するそうです。ためしに、ほら」

王女へ再び石に触らせ、空いた部分にキセは己の指をあてる。
じんわりと石は暖かくなり、ぼんやりとした明かりをともす。
その色は柔らかな黄の色を示しており、二人に与える印象はそのまま暖かい、である。

「どうやら私と王女の相性は良いらしいですよ?」

王女もそう受け取ったのか、ようやくにやりと笑みをこぼす。

「そう、ね、おもしろそう。これって害はないのよね?」
「はい、もちろんです。そんなものを王女に触れさせるはずはありません」

信頼しきったキセの言葉に、王女はますます顔を綻ばせる。

「おもしろそうだから片っ端からやってみようかしら?」
「お目当ての方がいらっしゃるのですか?」
「ふふふ、内緒」

悪巧みをする子供のような表情を浮かべ、王女は石を上等そうな布で包む。
機嫌の良い王女は、一日キセと同じく教師の授業を受ける。戴冠式が近づいたせいなのか、徐々に彼女も跡継ぎとしての自覚ができたのか、あからさまなさぼりをしなくなっていた。それに比例して、彼女を愚者だと侮っていた王宮の人間も、その見る目を僅かではあるが変え始めていた。
その期待が、さらにクロロの責任感となって育っていき、緩やかではあるが、彼女にようやく為政者としての道筋がみえはじめていた。

12.17.2010
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