御伽噺の乙女/第11話

「王子。妃殿下からの・・・・・・」

乳兄弟であり従者であり側近であるルトが、申し訳なさそうな顔をして何かの書類を主へと差し出す。
戴冠式に伴い、ここにきて雑務が増えたアスター王子は、ややささくれ立った気持ちでそれを受け取る。
平時でも処理する仕事が多いのに、戴冠式など余計なことをしてくれる、と、八つ当たりめいた思いを抱きながら、その書類に目を落とす。
アスターは、読み進めるうちに見る見る機嫌を悪くし、最後にはそれを屑篭へと乱暴に放り投げた。

「くだらない」
「申し訳ありません、ですが」

ルトはアスターの顔色を伺いながら、だけれども最も近しい立場として口を挟む。

「あの方が心配なさるのも理解できないわけでは」
「だからといって公爵家令嬢をつけ回していい、ということにはならない」

ルトが差し出したのは、キセの行動を細かく綴った書面である。今日は何をした、昨日は何をした、と、全く瑕疵のない彼女の行動を書き起こしたそれは、ただの業務連絡のようであり、読んだところで何を思うわけではない。しかしながら、どういうわけか書面の最後には、このような怪しいものの出入りを許していいのか、と締めくくってあった。もちろんその字は文官のそれではなく、妃の親しい侍女あたりが書き足したものなのだろう。明らかに内容も字面も浮いたそれに、男二人はあきれるほかはない。

「この、魔術院への出入りについて言い立てているみたいなのですが」
「それは、クロロのわがままだろう?他の侍女から耳に入っているはずだが?」

キセはクロロの侍女、というわけではなく、あくまで友人という立場をとっている。それは気安くクロロが相談できるように、との配慮からではあるが、だからといってキセはなんの監視もなく自由に振舞っているわけではない。
当然そんなことはキセも承知しており、どちらかというと積極的に彼女の方から、侍女を通し、アスター側へ情報を伝達させることが多い。
この魔術院への訪問もそれにあたり、クロロがわがままを言って、そこの一人の技術者を訪問させていることは既知のことである。
しかしながら、公爵邸にて異常な魔力が感知された、という不可解な出来事を記憶しているルトは、そのことと絡めて、わずかばかりの不安を令嬢に感じ取っている。アスター自身も、それを察しているのか、らしくないほどそれを強い態度で否定する。そうなれば、従者である彼が口を挟む余地はない。

「そうなんですよねぇ。ほんっと、キセさまはクロロさまを上手に扱ってらっしゃいます」
「そうだな、感謝している。以前よりも学問にも身が入っているらしいじゃないか」

腹が痛いといっては休み、花が見たいといっては脱走していたクロロは、キセがきてからはややそのわがままが鳴りを潜め、なんとか無難にこなす程度には教師陣の言うことを聞いている。それを聞き、キセに感謝しこそすれ、その粗を探そう、などと思う人間は王宮にはいない。
何か別の心配の種を勝手に膨らませている王子妃たちを除いて。

「妙な噂が立っているのが原因、か」

アスターは王子として生まれ、世継ぎとして育てられている。
その義務は痛いほどしっている。また、それをこなしていないわが身の不甲斐なさについても。

「キセさまでは、やはり少し若すぎるかと」
「クロロと同じ年だろう?さすがに、いくらなんでも」

だが、貴族の令嬢の婚姻年齢が低いことは事実だ。後二、三年もすれば、彼女は婚約し、誰か他の男の元へと嫁ぐのだろう。
そこまで考えて、アスターは胸の奥にかすかな痛みを感じた。
それは、遠い昔誰かに感じたものを思い出させ、さらに王子を混乱させる。

「姉上さまではいかがですか?キセさまより二つほど上だと聞いておりますが」
「士官学校のじゃじゃ馬娘か?いや、私はもう妃はとらぬ」
「しかし」
「わがままを言っていることは承知している」
「ですが、王子。もういいかげんお忘れになっても」
「ルト!」

平素感情をあらわにしない主の、珍しく荒立てた声に、ルトが口を閉じる。

「いや、すまない。だが、もう二度と妃をとるつもりはない」

だが、己の言葉とは裏腹に、最近彼の視界にうつることの多い少女の姿が脳裏に浮かぶ。
彼はそれを追い払うようにして左右に首を振る。
そしてまた、彼は、もう一人、彼にとっての思い出の誰か、の面影を思い浮かべる。
ぼんやりとしたその姿は、やがて今知る誰か、の姿となり、その日彼は彼女の姿を振り切ることができなかった。



 キセは、朝食をとりに食堂へと赴き、見なくなって久しい兄と姉の顔を見て、内心驚いた。
だが、そんなものはおくびにも出さず、優雅に朝の挨拶を交わし、いつもの場所へ着席した。
彼女より上座に着席している兄と姉は、給仕が運ぶ朝食の皿を嬉しそうに覗き込んでいる。
士官学校は基本的に寄宿制度をとっており、日常生活すら訓練の一環である。当然食事の時間もそれに数えられ、必要な栄養分を必要なだけ摂取する、といった観点を最優先させている。
公爵家のような優雅で、無駄の多い朝食など久しぶりのことだろう。

「戴冠式の関係でしょうか?」

今だ士官学校の就学期間だと知った上で、キセが質問をする。
何も士官学校は牢獄ではない。当たり前だが休暇期間というものが存在する。その間は家へ帰るもよし、寮から羽目をはずさない程度に街へ繰り出すもよし、何事も自主が重んじられているはずだ。全く帰らないのは稀な方であり、まして近場に実家を持つ彼らが屋敷へ帰ってこなかったのにはわけがある。
一つには、家へあがりこんだ踊り子リウの存在である。
公爵家の嫡男として育ったアーセと、同じく長女として育ったジェーンは、恐らくキセよりもこの家へ対する気位が高い。踊り子ごとき下賤のものが実家にて我が物顔で振舞うことに我慢ならなかったのだろう。もっとも、そのリウは使用人たちですら全く相手をせず、結局離れの屋敷へ引きこもらざるを得なかったのだが。
もう一つには、そのような状況を作りだした父親の存在である。
どちらかというと潔癖症の彼らは、女癖が悪い父親を毛嫌いしており、また、兄にいたっては軽蔑すらしているだろう。幸い、子供のことは放置している性格の父であることから、彼らが望まなければそんな父親と会話を交わすことはない。だが、それもやはりこの屋敷にいては難しいことだっただろう。リウに懸想していたころは、それこそここに入り浸りだったのだから。
その父が、古狸たちに更迭され、兄が公爵家の当主となった今、彼らは何の憂いもなく、このように実家へと足を踏み入れることができたのだ。

「子供を相手にしている場合じゃないからな」

顔をほころばせ、甘い果実煮を口にする兄が、キセへと答える。
年が近い割には、まったく接触のない兄と妹ではあるが、アーセとキセはそれほどお互い悪い印象をもってはいない。双子の実母が病死してまもなく、正妻として乗り込んできたキセの実母に思うところはあるものの、アーセは美人で、家のことをそつなくこなす妹のことを誇りに思っており、キセはキセで、士官学校で申し分のない成績を修める兄を尊敬している。

「先生方も色々お忙しいのでしょうね」

新鮮な野菜を口にし、その歯ざわりを楽しむキセは、姉の方へと視線を向ける。
まともに視線がぶつかり合い、あからさまにそれをはずした姉は、黙々と朝食を口に運んでいる。
姉の方はまた複雑で、キセとの折り合いはおそらくうまくいっていない。それが露呈するほど、この姉妹は接触をしていない、というだけだ。

「そういえば、衣装は用意したのか?」
「はい、王女殿下のお勧めで」

キセを招待する、といって聞かなかった王女は、さっさとお抱えの衣装屋を呼び、キセの夜会着などを作らせている。

「ああ、うまくいっているらしいな。こちらにまで噂が聞こえてくるよ」
「お兄様の顔に泥を塗るようなまねは決していたしません」

キセの優等生的な答えに、あからさまに鼻白んだ声を上げた姉を無視するように、兄と適当な会話を交わす。
恐らく、キセに対する劣等感、と、父親に対する複雑な感情が入り混じったものを、直接キセへとぶつけているのだろう。そう判断しているキセは、誰もが見ほれるような笑みを姉へと浮かべる。

「キセもそろそろ相手を決めないとなぁ」

今まではただの兄としてキセに振舞っていたものの、当主となった彼は、当然そのようなことも采配しなければいけない。
家の利益となるための婚姻。
それを嫌だと思ったことはなく、ただ、キセは彼の判断に任せるのみだ。

「いっそのこと、王家へ嫁ぐか?」

不穏な噂は、すでに士官学校にまで広がっているのだろう。
キセは、否が応でも目立つ少女だ。
まして、初めてできた王女殿下の友人であり、兄であるアスター王子すら気にかける少女、とくれば、そのような噂がでない方がおかしい。それがどこか冗談めいた雰囲気をまとっているのは、その年の差のせいである。
しかしながら、それすら数年立てば真実味の方が勝るのだろう。

「それは、お兄様。私の立場で答えるには不遜すぎます」
「キセはまじめだなぁ。まあ、好きなやつでもできたら言ってくれ。いいようにしてやるから」

兄のその言葉はある程度真実だろう。
何も妹を犠牲にしてまで家格をこれ以上あげなくともよい、と。
だが、それを苦とも思っていない彼女は、曖昧に微笑むだけだ。
もう、そのような感情をもつまい、と固く誓った彼女にとっては。

12.15.2010
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