シンデレラには憧れない
7話
 決定的にすれ違ってしまった私達は、それでも表面上は今まで通りに過ごしていった。
もともとプライベートな会話は学生が居ない間に交わしていたことが多く、仕事上の接点がそれ程ない彼と私が、殊更会話を交わさなくても周囲がおかしいと思うことはなかったようだ。
ほっとしたような、気が抜けたような。
それでも彼に言ってしまった言葉はそのまま自分の胸を抉り取る。
あんなことを言うつもりはなかったし、あんなことを思ったこともなかったのに、と。
こちらを外見や偏差値で判断する周囲に辟易していた私が、彼に対して同じことをしてしまった、結果的に。ダブルスタンダードもここまでいくと、自分勝手としかいいようがない。これでは、私が心底嫌っていた周囲の価値観に染まりきってしまったと言われても仕方がない。
自分の中の、本当の自分を知られたくなくて、あんな暴言を吐いて、何もかも自業自得だ。
彼を傷つけて、自分が傷付いて。
だけど、私は彼に謝ることもできないでいる。
プライドだとかそんなつまらないものに縛られて、素直にごめんなさいと言えないのだ。あほらしいことに。そうこうしているうちに時間はどんどん過ぎていく、ごめんなさいの言葉だけを残して。

「清水君、ちょっと」


唐突に教授に呼ばれることは珍しいことじゃない。いきなり雑用やら論文書きやらがふってくるほか、まるで関係がない雑談に付き合わされるのも仕事のうちだと割り切っている。
だけど、今日はいつもより少しだけ機嫌が良さそうな教授の顔に、何かいい出来事でも起こったのだと予想するのは簡単だった。

「間島君がね、決まったよ」
「はい?」
「いや、聞いてない?」
「はあ、聞いていませんけど」

仕事の会話と挨拶以外は交わしていないのだから、知らないのも無理はない、とまさか教授にまで言うわけにはいかないのでそのまま黙っている。

「赤坂君のところに、助手としていくことが決まったんだよ。まだオフィシャルな情報じゃないから秘密だけど、早いうちに次のポスドクを決めておかないとと思って」

聞き覚えのある教授の名前に、そういえば先生の大学の後輩だったと、思い出す。本当はもっと重要なことがあるはずなのに、頭の中はそんなデータばかりをはじき出してくる。

「後輩に何人か決まってなくていいのがいますけど、決まったら声かけときましょうか?」
「頼む、何せ急なことだから」
「そういえば、赤坂先生は転任されたばかりですよね」
「ようやく助手がとれるようになって、公募をかけてたからな。一応間島君にも出してみれば?って言っておいたけど、まさかあそこに決まるとはなぁ」

感慨深げに話しこむ先生はなんとなく父親の顔をしている。
使い捨ての道具としてポスドクを利用する先生もいる中、うちの教授はかなり親身に次の就職先を探してきてくれると評判だ。ポスドクといっても期限付きの言わばアルバイトのようなもので、期限が切れる前に次の就職先を探さなくてはいけない。一番いいのは助手か講師、もしくは研究所などに雇ってもらうことだが、間島君のように新卒だけれども年を取っている場合は民間の就職がまず難しい物になる。だからこそアカポスをめぐってがんばっていたのは知っていたけれど、こんなにも早く彼が就職してしまうなんて。
そこまで思考をだとって、ようやく、彼がここからいなくなってしまうということに気がついた。
いや、気がついていたけれども、認識したくなかっただけだ。
だけど、時間は刻一刻と過ぎていくのに、私はいつまでたってもその一言が言えないままで、あっという間に彼は、研究室のメンバーの笑顔で送り出されていった。
最後まで、私と顔を合わせることもしないで。



 こんなにも広いものだったのだと、そんなバカな思いを抱いてしまう。
何の変哲もない研究室の一居室で、昼間は学生達が飲み物を片手に語り合っていたスペースも深夜ともなれば寂しいものだ。
そこには、いつも私のほかにもう一人の影があって、するりと忍び寄って来ては、色々な話をしていたな、と、思い出というにはまだ生々しい彼とのやりとりを思い出す。
結局、最後まで私は自分の中にある気持ちを直視することが出来なかったと、弱虫な自分にあきれ返る。
面倒くさくて適当に放り込んだインスタントコーヒーの粉末をポットのお湯で溶かしていく。一瞬にして出現したこげ茶色の液体からは、それでもきちんと芳ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。
まだ熱いその液体を口に含む。
ピリリと痛む舌に、自分がここにこうしてきちんと存在していることを実感する。
一日の終わり近くには、こうやって妙な確認作業をしないと、今の自分は自分を確かめることができないでいる。何をやるにも上滑りで、地に足がついていない。だけど、仕事量だけは今まで以上で、皮肉なことに余りうまくいっていなかった実験も、ここにきて軌道に乗り始めている。
だけど、何もかもが虚しいのだ。
朝起きて、身支度をして学校へ来る。学生の面倒を見ながら実験をこなして、時には学生実験のお世話をしながら、論文を書き進める。ありふれた一日のスケジュールを疑問に思ったことなど一度もないのに、ふと立ち止まると、今自分が何をしているのかがわからなくなる。 体調が悪いわけじゃない。母親のお小言が煩かったわけじゃない。



それを、何もかも今ここに不在である人物のせいだと思いたくはないけれど。



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Miko Kanzaki/12.27.2006update


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