シンデレラには憧れない
6話
 間島君のアレが告白だったと認めてからも、私たちの関係は表面上何も変わらない。ただの同僚。先輩と後輩。ただ、二人きりになったときの近すぎる距離と、彼の視線に胸が疼く瞬間がある。
彼は客観的に見て、いい男だとは思う。容姿が、というわけではなくて、彼の今まで培ってきた経験がいい意味で顔にでている。バイトのしすぎで留年することになったという経験ですら、一心不乱に勉強しかしてこなかった私からしてみれば、人間性を豊かにした貴重な寄り道だとさえ思えてくる。だからこそ痛感するのだ、私はつまらない人間なのだと。今まで強いて考えまいとしていた事実が明確に浮かび上がる、彼の存在によって。
学生の頃から勉強しか取り得がなかった。その取り得も本当に頭の良い人たちに比べたら情ないほどで、努力しているところを見られないように強がりながら、必死に喰らいついていただけだ。おまけに、友達づきあいもへたくそで辛うじて経験したデパートでのバイトも、周囲から何気なく浮いていた記憶しかない。あの頃は今よりももっと頭でっかちで、正しいことしかしないし言わない、だなんて粋がっていたけれど、人生経験の浅い子どもがきぃきぃ喚いているだけだったと思う。だけど、そこから自分が何を得て、何が変わったのかというと、結局のところ何も変わっていないのだ。相変わらず私は頭でっかちで気位ばかり高くて、周囲と折り合いをつけることさえできていない。ただ、周囲と馴染んでいないと気が付くことができるぐらいは進歩しているのかもしれない。





「いい返事はもらえませんか?」
「・・・・・・」

彼は飄々として、固い話の間に、ふいにこんな風にプライベートな会話を混ぜ込んでくる。私が混乱することを狙っているのだろうけど、学習できない私はあっさりとその術中にはまってしまう。
本日も本日で、内心ばかりあせって気の効いた返事などできるはずもない。
彼の方は相変わらず余裕の笑顔でこちらを眺めている。悔しいけれど、今口を開けば、明後日の方向へと会話が飛びそうでそんなことできない。

「どうしてそんなに拘るんですかね、年齢に」
「普通は拘るでしょ、普通は」

彼自身を拒否する理由が見当たらない私は、もっぱら年齢差を理由に首を縦に振らない。もっとも、横にも振らせてもらえないのだけど。

「たかだか5つじゃないですか。男女の寿命差を考えればちょうどいいぐらいですよ」
「そんな先のことを言われても」

確かに女性のほうが長生きをするけれど、そんな人生において先の先の話をされても納得できるはずもない。

「もっと若くてかわいいこはいくらでもいるでしょ」
「いくらでもいますよ、そりゃあ」
「だったら」
「でも、僕には清水さんしかいないですから、関係ありません。いくらそういう女性がたくさんいたとしても」

絶句するしかないほど鮮やかに言い切ってみせる彼は、自信満々だ。
そんな態度に押されっぱなしの私は、後はもう押し黙るしかない。

「まあ、そう簡単にうなずくとは思っていませんでしたから、長期戦でいきますよ」

彼はそう言い置いて、自分のカップを手にしたまま実験室へと消えていった。
ほんのりと頬が熱を持つ。
あんな風に言い切られて、嬉しくないわけじゃない。
だけど、だめなのだ。
彼が信頼できないわけじゃない。彼のことが嫌いなわけじゃない。
私は私を信用できないだけなのだ。
このまま彼を受け入れて、その先にあるものが恐い。いや、もっと前に、こんなにつまらない女だったのかと言われてしまうのが嫌だ。殻ばかり丈夫で、中身がからっぽな私をみられたくない、これもつまらないプライドだろうか。
そんな答えの出ない問題をぐるぐると考えながら、やっぱり、自分は何一つ成長していないのだと、ため息をつく。





「間島君・・・」

そう言いかけた言葉を丸ごと飲み込む。廊下では彼と女子学生が一緒にいたからだ。
今、私が立っている場所からは彼の顔を窺うことはできない。 
もちろん、その女子学生は研究室の女の子なのだし、真面目そうな顔をして、たぶん実験についてでも話し掛けているのだろう。二人が醸し出す雰囲気はまさに師匠と弟子さながらの、甘い雰囲気とは程遠いものなのはわかっている。
だけど、ドキリとしたのだ。
若い女性と立っている彼を見る。
以前鏡に映った私と彼の姿を思い出す。
彼の隣にいるべきなのは私ではない。
そうはっきりと知覚してしまった。
チリチリと胸の奥が焦げ付く思いがする。自分でそう言っていたくせに、間島君と私は不釣合いだと他者から念を押されたようで、矛盾しているけれども捻くれた思いを抱いてしまう。
やがて、私に気が付いた彼が、何気なく笑顔でこちらへと寄って来たのに、精一杯の無表情で踵を返してしまった。まるで八つ当たりをするかのように。
こんな関係は嫌いだ。
だけど、こんな自分はもっと嫌いだ。





「何か用事があったのではないのですか?」

相変わらず深夜になるまで実験室に篭っている彼とは、こうやって深夜に顔を合わせる羽目になる。あれからずっと避けていたと言うのに、同じ研究室の人間同士では、逃げ回るといっても限界がある。

「別に、用というわけでは・・・」
「それにしては随分不機嫌そうでしたけど」
「そんなことないと思うけど?」

素っ気無く、内面が滲み出る事がないように応える。年下の癖に全てを悟りきったような顔をする彼にどこまで通用するのか恐いけれど。

「わかっているとは思いますけど、実験の話をしていただけですよ?」

いきなりの主張に数拍頭が回転しなかった。ゆっくりと彼の言った事を反芻していき、意味が理解できた頃には拳をぎゅっと握り締めていた。

「そんなことはわかっている」

嵐のような心を知られたくなくて、感情の篭らない返事を繰り返す。

「一応念のため言ってみただけです」

私の自尊心を刺激しないようになのか、早々にこの会話を打ち切る。そのあたりの勘のよさに腹立たしささえ覚えてしまう。

「やっぱり、間島君には年相応の子が似合うと思う」

大学でプライベートな話をしないようにと、あれ程釘を指していた張本人だというのに、スラスラとこんなかわいくない言葉が飛び出してしまう。

「こだわりますね、そこのところに」
「あたりまえじゃない。私みたいなみっともない子を連れて、恥をかくのはそっちなのよ?」
「みっともないって、誰が言ったんです、そんなこと。大体そんな非常識なことを言う人間は放っておけばいいんです」

まさかそんな事を言った人間が実母です、とも言えず、わだかまったままの思いが胸の中で膨らんでいく。

「だいたいどうしてそんなにこだわるんですか?大事なのは中身でしょう」
「それは、そうだけど」

一ノ瀬君に外見だけで相手を選んだと、罵った自分の姿が浮かび上がる。

「外見だとか年齢だとか、そんなことはどうでもいいことでしょうが」

大事なのは中身だと。

「僕があなたのことを好きだということは認めてもらえないんですか?」

違う、そんなものは建前だ。

「好きだとも嫌いだとも言わない。なのに年の差だけで拒否するなんて」

年の若い彼と比べられるのが嫌で、他の多くの綺麗な女性達と比較されるのが嫌で、その全てを隠しとおして便利な言葉で覆っていたのは自分だ。

「返事を、聞かせてもらえませんか?」

間島君のこちらを全て見通すような視線が嫌いだ。
自分の中の腐った部分があからさまになっていくようで、これ以上惨めな思いをしたくない。本当はわかっている。外見だけで判断するような男たちを批判しながら、自分の中でもそういう矛盾を抱えてしまっていることぐらい。いつだってどんなときだって、外部からの評価を気にしてびくびくしていたのは私の方だ。コンプレックスを認めたくなくて、自分はこれだけやったのだから価値がある人間だと思い込みたくて。

「悪いけど、ポスドクなんて言葉はいいけどアルバイトでしょ?それに出身大学だってあれだし。おまけに浪人して留年??」

嫌だ、嫌だ。

こんなことを言いたいんじゃない、こんな顔をさせたいわけじゃない。

だけど、一番嫌いなのは狭量で世間知らずで無知な、私自身だ。

「私とつりあうと思っているわけ?」

全ての音が消えていく。
能面のように固まった彼の顔と、その視線にさらされたくなくて真正面から彼をみることができない私。
やがて彼は静かにこの部屋を去っていった。
惨めでみっともない私だけを残して。




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Miko Kanzaki/12.22.2006update


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