シンデレラには憧れない
5話
「だーーかーーらーー、まだまだ結婚する気なんてないから」

実験室にも当然電話機は設置してある。出入りの業者や事務、本当に緊急の用事でしか掛かってこないため、あまり出番はないのだけど。
その電話から一番近い作業場を陣取っているのが私で、必然的に電話に出る機会も一番多い。今日もどうせ業者だろうと高をくくりながら受話器を耳に当てた。第一声を放った瞬間、怒涛のような声の洪水に思わず受話器を静かに置いてしまいたくなった。

「あのね、今仕事中なわけ」

かけてきたのは母親で、この間の留守電をまるっと無視したことに腹を立てているらしい。どうせ同じ事しか言わないのだからと、放置しておいたら、倍のスケールで逆襲にあってしまった。
結婚しろ、仕事なんかやめろ。とここまでは相変わらずの主張だが、今回はそれに実際の見合いについて話しまくっている。会話を中断することもできず、少しだけ受話器を耳から離しながら聞き流す。
どこから集めてきたの?という男性達は、申し訳ないけれど、その人たちと結婚するぐらいなら一生独身でいた方が遥かにましだと思わせるもので、わが親ながら娘がかわいくないんだろうか、と訝しんでしまう。もちろん、恋愛感情さえあればどんな相手でもかまわないけれど、お見合い相手といえば、本音のところを言えばスペック勝負だろう。条件があって初めてお見合いをする、そこで相手と気が合えば成立と。少なくとも私にとってのお見合いはそうだ。最初のハードルが越えられなければ会う事すらままならない。だから、私の方としても見合い市場においては高齢なため、条件が悪いと言う事は承知している。だけど、それを差っぴいてもひどい相手ばかりが羅列されている。

「で、かーさん、そんな相手でも結婚して欲しいわけ?」

やっと話し終えた母に、ようやくこれだけのことを言い返せた。
受話器の向こうで母親がヒステリックに叫んでいる。母の言葉を知覚した途端、全身から力が抜けずるずると床へと座りこみそうになる。
ここは仕事場だ、と自分自身に言い聞かせ、静かに受話器を置く。はじめからこうすれば良かったと、そうすればあんな言葉を聞くこともなかったのにと、後悔をしながら。





「どうしたんですか?」
「え?あ・・・、ううん、なんでもない」

たぶん空中に視線が固まっていたのだろう。不自然な私に間島君が話し掛ける。だけど、彼に何かを言い返す気力もない。
彼の言葉に我に返り、途中になっている作業を開始する。何もかも忘れるように、一心不乱に手元だけを見つめて。

「飲みに行きませんか?たまには」

張り詰めすぎた空気はさすがに夕方になると切れてしまった。
そうなると一気に気分はぐだぐだになっていく。これ以上実験することも雑用をこなす事も、まして論文を書くなんてこともできないまま、ぼんやりとディスプレイだけを見つめる。
後ろに人の気配がして、振り返ると、間島君が真面目な顔をして突っ立っていた。

「そんな気分じゃないから」
「そんな気分ですよ。顔色悪いし」
「だったら家で寝てます。調子悪いし」
「体の調子じゃないでしょ?どう考えてもそのまま帰ったって寝れやしませんって」

図星を突きまくる。どうしてこの人は手にとるように私のことがわかってしまうのだろう、こんなにも私よりも年が若いくせに。だからこそ、このまま彼に流されていくのが恐いのだ。

「おいしいもの食べたら少しはよくなるんじゃないですか?単純ですけど」
「食欲ない」
「余計に食べないと、おいしい店知ってますから、あんまりおしゃれなところじゃないですけど」
「まあ、あんまりおしゃれなところでも気が引けるし・・・って、行くわけじゃないから」
「じゃあ、30分後でいいですか?案内しますから、研究室の入り口で」

まんまと乗せられた格好で、あっさりと彼は行ってしまった。これではいつぞやかの映画の時みたいではないか。
ため息をつきながら、一瞬でも母親の言葉を忘れられた自分に驚く。

「恥ずかしい子・・・か」

呟きながらパソコンの電源を落とす。 そんなに遅い時間でもないのに、助手部屋には私以外誰もいない。呟いた言葉は私以外の耳には届かない。
母親にそう思われてしまったら、私の存在価値はどうなるのだろう。
机に鍵をかけ、キーホルダーから部屋の鍵を探し出す。
バックを抱え部屋から退出する。
カチリとドアに鍵を掛けキーホルダーをバックへと戻す。
非常灯以外の光がない廊下を一人だけで歩く。
世界中で私以外の人間が存在しないかのような錯覚に陥っていく。

私は、“恥ずかしい子”なのだから。




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Miko Kanzaki/12.15.2006update


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