シンデレラには憧れない
2話
 一ノ瀬響という人は特別な存在だった。
年が同じなせいか、同じぐらい学校に存在しているせいか、私と一ノ瀬助教授は比較されることが多い。もちろん、同じ大学の出身でさらに同期であるから共通点がないことはないのだけれど、最近彼が結婚を決めて、ますますそのような話題を一ノ瀬君にかこつけてふってくる人間が多くなってきたのにはうんざりしてしまう。
赴任してくる前は、彼と同じ職場で働けることに少しだけ嬉しさを感じていた。数少ない、私の中で尊敬できる異性であり研究者である彼の近くで研究できるということは、私の研究人生においてもその他においても意味のあるものだと思っていたからだ。
なのに、彼の隣には、学生時代の彼女とは似ても似つかないタイプの女性が存在していた。

「馬鹿って・・・、あなたも偏差値でしか判断できない人間なのですか」

現実を受け止めきれなくて、散々悪態を吐いた結果、吐き出した私の失言は、一ノ瀬君にあっさりとこう返された。
もうすでに数年の時を経ているというのに、鮮明に頭にこびりついている。
話があると言って私の居室にまでやってきた時には、てっきり彼女と別れたと、報告しにやってきたのだと思った。
だって、どう考えても彼女は彼に相応しくない。一ノ瀬君といえば、公正な人柄で、研究者としても一流だ。そんな彼にはやはり、それなりの妻が必要だろう。たとえば、彼女が大学教授の娘だといオプションがついていたのなら、それはありかもしれない。けれども、何の後ろ盾も資産もなく、おまけに自分自身が三流大学の女子大生とくれば、足を引っ張る要素しか思い浮かぶ事ができない。なにより、彼自身にはお互いを高めあっていく相手が相応しいのだと、学生時代から思っていたのだ、当時の同級生だった彼女のように。
だけど、結局彼が選んだのは、見た目がいいだけの小娘。
彼だけは対等に渡り合える相手を選ぶのだと信じていたのに。
他のクラスメート達が私たち、女子学生をどうみているかは、割と知っていた。「かわいげがない」「生意気」「女は少しぐらい馬鹿な方がいい」、そんな軽口を平然と私たちの前で叩く馬鹿もいた。だからこそ、その中にあっても彼だけは違うと思っていたのに、その思いが木っ端微塵に破壊されていく。
私自信の価値も全てが否定されたような気分になる。
彼女を選んだ彼。
誰からも選ばれない私。
取りとめのない文章の羅列となった草稿を全てゴミ箱へとぶち込む。
イライラが止まらない。





「どうしたんすか?最近調子悪いみたいですけど」
「そんなこと、ないと思うけど」
「いーや、なんかカリカリしてますって」

図星をさされてはいるものの、虚勢を張って、彼を遠ざける。なんとなく、人と係わり合いになるのがうっとうしいのだ。特に、男性とは。だけど、ここは研究室の公共スペース、専門書や共有のパソコンが置いてある家でいうところの居間のような場所だ。インスタントだけれどコーヒーや紅茶などもポットと合わせておいてあるため、こうやって人が集まってくるのはいたし方が無い。例え、居間が真夜中で、教職員がいるのにもかかわらず、学生のほとんどが帰宅した後であっても。
他講座の助手と相部屋になっている私の根城にも飲み物は置いてあるけれど、生憎と現在はドクターと助手の舌戦真っ最中とあって、さすがに寛げない。仕方がなくこうやってここへと逃げては来たのだけれど、すぐにポスドクの間島君が寄って来た。他の学生さんとは一日中顔を合わせない日もあるのに、なぜだか直接関わりあいのない彼とは最低一日一回会話を交わすのはどうしてなのだろう。

「そーいえば、弟さんの結婚式に行かれたんですよね」
「教授から聞いたわけ?おしゃべりよね、あの人も」
「まあ、そう言わないで下さいよ、あの人なりに清水先生のことを心配しているんですから」

そんなことは、わかっている。
親子ほども年の違う教授は、なにかにつけ私の身辺を気遣ってくれる。それが時にはうっとうしいこともあるけれど、それでもやっぱりありがたいと思う方が上回っている。
思い余って、私に見合い話を持ってこようとしてきた時には、本気でどうしようかと思ったが。

「うちも、おかんが煩いんですよねぇ」
「うるさいって、そんな年でもないでしょ?間島君は」

珍しくうんざり、といった表情をする彼を見て、思わず聞き返す。こうやって私の方から積極的に会話に入っていったのははじめてだったと、後で気が付くのだけれど。

「いえいえ、俺の実家はド田舎ですからね。もう煩いのなんのって。おまけに二浪一留年でしょう?無駄に学生長くやっていますから、心配するのはわかるんですけど・・・。救いはあんまり目立たない3人兄弟の真ん中ってところかな?上の兄貴なんて逃亡するために海外勤務を希望しやがりましたから」
「そう・・・。やっぱり間島君のところも色々あるんだ」
「ところもって、ああ、そういえば清水先生のところも結構な土地でしたよね」
「はっきりと田舎って言えば?人口密度がうすーーーーーーい、何にも無い土地なのには違いないんだから」
「まあ、田舎には田舎のよさもあるんですけどね」
「鬱陶しさもついてくるけど」
「それはセット販売みたいなもんですから」

あっという間に彼の人懐っこい会話の流れに乗っかってしまった。普段はこんなに話はしないのに、ペラペラと自分の事を話してしまっている。

「間島君のところも早く結婚しろって?」
「ええ、もちろんですよ。結婚しろ、子ども作れ、田舎に帰って来い。の繰り返し」
「どこも同じなのかしらねぇ」
「やーー、どうでしょう。そうじゃない親もいますよ、絶対」
「後10年ぐらいしたらいい加減言われなくなるのかしらね。私の場合は子どもが産めない年にでもなれば、諦めてくれるだろうけど・・・」

ポツンと呟いたような言葉に、間島君が反応を示す。

「ええ!清水さん。結婚しない気ですか?」
「いえ、しないって決めたわけじゃないけれど、相手もいないことだし・・・」

私としても別に頑なにしないと決めているわけではない。ただ、相手がいないだけだ、悲しいことに。
それに、若いうちから男性サイドの本音というのを聞いてきたせいか、本当の事を言うと、恐いのだ。真面目に向き合うのが。
あの一ノ瀬君ですら、相手にはかわいくて御しやすそうな女性を選んだのだ。
私のように高飛車で鼻につく女をいいと思ってくれる人間がいるとは思えない。

「相手、本当にいないんですか?」
「いないわよ。いたら紹介して欲しいぐらい」

さしておいしくもないインスタントコーヒーを入れなおしながら答える。こういった質問にはこうやって冗談ぽく返しておくのが正解だと、長年の経験から学んだのだ。
だけど、いつもなら笑って終了するはずの軽い会話も、終わってはくれなかった。

「あの・・・、本当にいないんですよね」
「いないわよ。大体いるように見える?こんなに学校にへばりついているのに」
「それだったら、一ノ瀬先生だってあんなに学校にいるのに、見つけてきたじゃないですか」
「それは、まあ、そうだけど。ともかく私は本当にいないわよ、影も形も!」

ぼんやりとコーヒーの表面を眺めながら、一息、その白い湯気を揺らす。
その湯気の向こうでは、間島君が真面目そうな顔をより一層真面目にさせてこちらを見つめていた。
その視線がなんだか痛くて、なんとなく逸らす。このスペースに流れた間がなんとなくいてもたってもいられないような気分にさせ、無理にカップに口をつける。

「好きな人も、いないんですか?」
「間島君、そういう質問には答えたくない」

まだ飲み込むには熱い液体が舌の上に流れていき、舌の上にぴりっとした痛みが走る。

「清水さん、僕は・・・」
「聞きたくない!!」

二人の間でカップが派手な音を立てて割れていく。
その音に気がついたのか、まだ実験をしていたであろう学生が顔を出す。
学生さんは、ぶちまけられた液体と、カップの惨状を見て、慌てて掃除道具を取りに行く。
我に返った私は、慌ててマグカップを拾い上げる。
雑巾と箒を持ってきた、学生が私の前に現れた頃には、間島君はどこかへといなくなっていた。




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Miko Kanzaki/11.29.2006update


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