受験がいよいよ近付いてきたせいか、学内もやや緊張感を増してきた。体育祭や文化祭が終わると、その空気も一段と密度を増してくるかんじがする。
「へー、おまえまだ気合続いてんの?」
あれ以来ずっと地味に勉強を続けてきたおかげで万年平均点から脱出できた俺は、上位とは言えないまでもそこそこの成績をとることができている。
今回の中間テストの結果を見て、修司が俺をからかう。
「まあね、地味だけど」
それでも、左京や咲良の成績には到底及ばない。
がんばっている、という自負があるせいか、以前の様な不必要なほどの劣等感は抱いていないのが幸いだけど。
「で、おまえ咲良ちゃんとはまだオトモダチってやつ?」
友達になった経緯を説明したら思いっきり呆れられた。それはおまえ言う言葉が違うだろうと。
そりゃあ、俺は彼女に対して恋愛感情を抱いてはいるが、でもそれを今表に出す気はない。
俺のことを好きだと言ってくれた彼女もそれを望んでいないような気がする。
「お友達のどこが悪い」
「まあ、そりゃあ悪くはないけどさ」
「左京がいるしねぇ」
「まあ、な」
実は咲良から左京とのことは聞いている。
彼女が出した結論も聞いている。
正直言って安心した。
彼女が永遠に他の誰かのものにはなる、ということは今直ぐはないのだと。
だけど、彼女が左京に依存している気持ちも理解できる。
だから、彼とは家族のような友達のような関係を続けていくのだと。
複雑な気分だが、咲良が笑っていられればそれでいい。
「なんか、暗い顔してんねぇ」
「そう?生まれつきじゃない?」
放課後図書館で勉強をする咲良を捕まえる。
彼女はいつも朗らかで楽しそうで、というのは実は表面的なものに過ぎないと、彼女の近くにいればいるほど気がついた。
ちょっとしたところで感じるその心の闇。
隠そうとすればするほどそれは不自然な形となって鮮明に浮かび上がる。
「悩みでも?」
「別に」
咲良にしても、機嫌の悪いときには悪いなりの対応をしてくるようになった。先程の様に。
「ふーーーん、そう?」
問題集に目を落とすフリをして上目遣いで彼女を伺う。
彼女はノートを開いたまま頬杖をついている。考え事をしていて上の空だ。
「咲良ちゃん?」
「なーーに?」
相変わらず上の空で答える。
「遊園地、行かない?」
「うん、いいよー……はい?」
「ん、行こっか」
自分で何に対して返事をしたのかもわからないままの咲良を無理やり連れ出す。当然隣にいる左京に氷のような視線で威圧されるが、もう慣れたもんだし。いや、ゴメンナサイ今でもちょっと怖いです。
「悪い咲良にちょっと気分転換をさせる」
小声で呟く。
渋々といった風に左京が頷く。彼も最近の咲良に元気がないことに気がついているからな。
「ほら」
さりげなく、手を差し出す。
わけもわからないままに咲良もそれに従う。たまには何も考えない日がある方がいい。
遊園地に入って、彼女が真っ先に飛びついたのは観覧車だった。
「これ乗りたい」
頬を上気させ、無邪気にねだる彼女は年相応に見えて、本当にかわいい。
俺としても高いところは別に苦手じゃないので、おとなしく二人で行列に並ぶ。
平日の夕方だというのに、観覧車にはそこそこの行列ができていた。そのほとんどが恋人同士なのでその雰囲気に少々押されてしまう。
「楽しみぃ」
なおも上機嫌で待つ咲良。
彼女のこんな顔を見ていたい。真剣にそう願う。
「初めてか?」
「え?うん、そうなの。実は左京も叔父さんも高いとこだめなんだ」
口を開くと出てくるその人物に嫉妬しないわけじゃないけれど、彼らの意外な弱点を知ることになって、やや満足する。
「そっか、じゃあ、また来ような」
こちらの方に視線を向け、再びにっこり。
彼女はこんなにも笑顔が似合うのに。
何の力にもなれないかもしれないけれど、ずっと友達だから。
思いっきり二人で遊んで、慣れない絶叫マシンなんかも乗ってみたりして、楽しい時間が過ごせたと思う。彼女もそういう風に感じてくれれば言うことないんだけど。
帰り道はお決まりのように叔父さんが迎えに来ていた。
神出鬼没なこの人は、当たり前のように咲良の手を取り、車に乗せる。
今回は俺も後部座席に乗せてもらえた。
ものすごい進歩。
しかも世間話なんてものまでしちゃって。
楽しそうな咲良と、穏やかな叔父さん。
この二人を眺めているのも悪くない。
「叔父さんありがとーー」
「何を言ってるの、あたりまえでしょ」
私の頭を撫でながらそう受け流す。
彼のこの何気ない優しさにずっと包まれていたと、改めて気がつかされる。
「お腹空いたねぇ、でも作るのめんどくさーい」
「そうだねぇ、今更作るのも、ね」
「あれ?叔父さんもごはんまだ?」
「そうだよ、さくらと食べたいからね」
何気なくそんなことを言ってのける。
聞きようによっては口説き文句になるんじゃないだろうか。
「ピザでも取る?」
「賛成!!!!私チーズ多め!」
城山の家ではほとんど口にすることがなかったジャンクフード、自由に食事が選べるということに喜びを感じる。いや、贅沢なのはわかってるんだけど。
ピザを待っている間、おじさんがコーヒーを入れてくれる。
新しく買った私専用のマグカップに暖めた牛乳を入れてカフェオレにして出してくれた。
「はい、さくら」
この人の呼ぶ私の名前はなんて暖かいんだろう。
「おじさん。私アメリカに行きたい」
おじさんはカップを運んでいた腕を止め、こちらを見入るように見つめる。
「本気?」
「本気」
「僕と逃亡するってこと?」
真剣に心配してくれるおじさんに向かって心からの笑顔を見せる。
「違うよ。逃げるんじゃない。もちろん、アメリカまで行けばゴチャゴチャ言われないだろうって魂胆もあるけれど。そんなことより、興味が沸いたの」
「最近、さくらがそれ関係の雑誌やTVを見てたっていうのには気がついていたけど」
「へへへ、やっぱりお見通し?」
「それはね、もちろん大事な姪っ子のことですから」
マグカップをテーブルの上へ置いてこちらへとやってくる。
おでことおでこをくっ付けて語り合う。
「後悔しない?」
「しないよ。それにどうせするならチャレンジしてから後悔したいし」
叔父さんが頭をくしゃくしゃっとする。
「それでこそさくらちゃん。一緒にチャレンジしような」
そう言ったところで玄関のチャイムが鳴る。
慌てて玄関へピザを引き取りに行くおじさんの背中を眺める。
後もう少し、彼と一緒にいる時間がもてる。
それもアメリカ行きを決定した一因でもあるのだけれど、なんとなく悔しいからそんなことは言わない。
片岡君の顔が一瞬よぎった。
今日連れ出してくれて嬉しかった。
ここのところ、実家のことや、進路のことでうじうじ悩んでいたから。
頭の中を空っぽにして思いっきり遊んだことで、かえって、今一番何が重要で何がしたいのかに気がつくことができた。
遠く離れていても、彼とは友達でいられる。
傲慢な、ほんとうに一方通行の思いでしかないかもしれないけれど、そんな予感が私の心を暖かくしてくれる。
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