「失敗、ではないのか?」
「いいえ、決してそのようなことは」
「だが、あれは」
「いえ、陛下。私の術は成功しております」
「そなたを疑うわけではないが」
貧弱な男三人と、厳しい顔つきの美しい女性一名が顔をつき合わせ、同じような会話を繰り返すこと一週間。
アーロナの術でどこかから召還されてきた少女は、王宮の大多数の人間が与り知らぬ小部屋に隠蔽されていた。
もっとも当の少女は、混乱したまま泣くこともせず、ただ呆然と動かぬ人形のように、寝具の上でじっとしたままだ。
「私としてもあなたを疑うわけではありませんが」
唯一の同姓として少女の世話をするリティは、少女を詳細に知りうる立場なため、控えめながらも陛下の疑問に同意を示す。
「だったら、あの姿はどういうわけだ?」
陛下が指した扉の向こうには、茫然自失とした少女が横たわっているはずだ。
その扉を指し、陛下はアーロナに詰問する。
「……お言葉ですが陛下、こういう類の私の術は失敗したためしはございません。まして、このような王国にとって大事になりかねない事態におきましては」
「そなたのことは信用しておる。だが」
四名とも少女が見えないはずの閉じられた扉を見つめる。
「あの黒髪と瞳。あれでは正式な嫡男など生まれるはずがないではないか」
そう、アーロナがもてる力と頭脳を全て注ぎ込んで召還したはずの少女は、正妃どころか今までに正式な側室としても取られたことのない、この王国では稀有な容姿をしていたのだ。
もちろん、市井においては、その限りではないが、ああ見事な黒髪ともなると、まれに王宮を訪問する楽団の中の踊り子ぐらいしか、陛下も、その家臣たちも見たことはなかった。
「まあ、美しくない、とは申さぬが」
己の面相がお世辞を乗せてもほめられたものではない、ということを理解している陛下は口ごもる。
突如現れた少女は、確かに美しい顔立ちをしていた。
体もいたって健康そうで、呆然としてはいるものの、どちらかというと、陛下よりもは、はるかに賢そうな片鱗もみせている。
だが、それだけではだめなのだ。
この王国に連綿と続く、よくわからない縛りによって。
「ですが、あのものはこの大陸のものではありませんし、もしかしたら、この国の理は通じないやもしれませぬ」
「理の通じぬ相手と子が成せるというのか?」
「それは、もうそうであるとしか申せません」
魔術師としての彼は陛下の猜疑の視線には一歩も引かず、己の術に自信をもっている。
「それが証拠に、スリリルさまが、こちらを伺った痕跡が」
「なに?リイルが?」
四名は顔を再び突き合わせ、災厄の原因ともなった元宮廷魔術師の姿をそれぞれ思い浮かべる。
「まあ、自分の呪いを反故にする方法が見つかったとあれば、気にもなるでしょうね」
根本の解決には全くもってなってはいないのだが、この国において、国王陛下の第一義の存在理由はその子を成すこと、であるからして、それさえ解決されれば、王は一向にそのまま呪われていてもかまわない、ということだ。
「ええ、今のところは私の結界を破ることは不可能なようですが、スリリルさま相手ですからいつまで守りきれるかは……」
「……、まあ、そなたの言葉を信じるとして、だが、当のあれがあの様子では」
魂の抜けた状態の少女相手には、さすがの陛下も子作りを、というわけにはいかないでいる。
アーロナの術を信じるも信じないも、実際にその行動を起こしてみなければ、結果はわからないのだから。
「今まで通り、私が世話をいたしますわ。誰かに知られるわけには参りませぬもの」
今まで以上に王宮に日参している彼女に、周囲はあらぬ期待に満ちた視線を向ける。しかし、これ以上事実を知る人間を増やすわけにも、まして、彼女自身にとっては、王家に嫁す、といった最大級の不幸を避けるためならば、頼まれなくともこのような仕事は進んで引き受けている。
「すまぬ…。もう少し落ち着いてくれればいいのだが」
珍しい容姿と、理由からあの小さい部屋以外に出すことができない少女の姿を思い浮かべる。
錯乱して、手当たり次第にものを投げては、糸が切れたようにその場にしゃがみこんだ召還当時の姿として。
「落ち着かれましたか?」
ほとんど反応のない少女を相手にしながら、リティはまめまめしく世話を焼いた。
己の立場を脇に置き、彼女に心底同情したからなのだが、その心も少女にはいまだに通じていないようだ。
水以外を口にせず、日に日に弱っていく彼女を相手に、リティは、それでも彼女の体を清め、髪を梳き、清潔な衣類に着替えさせる毎日だ。
ようやく口を開いたのは、召還から二週間後で、彼女はすっかり面差しが変わるほどやつれていた。
「ここ、どこ?」
最初に一応陛下や宰相、魔術師から説明はあったはずだが、そんなことをこの混乱した少女が記憶しているはずはない。リティは今一度丁寧にここがどこであるかを説明した。
「そんなとこ、知らない」
彼女の世界を知らぬように、彼女もまた、こちらの世界を知らないのは道理。
この大陸内の、といった縛りの或る呪いから外れるために、この大陸外の人間を彼らは求めたのだから。
「ここどこ?ねえ、教えてよ。私どこにいるの?どうして?なんで?」
息せき切ったような質問は、少女が満足する答えなど何一つ得られぬうちに、彼女の嗚咽ととも終了した。
大粒の涙を流し、ここはどこだと叫ぶ少女を見て、リティは初めて後悔、という言葉が浮かんだ。
それから先の彼女は、ただわめいて泣くばかりで、何一つ建設的なやりとりを行なうことはできなかった。
これ以上泣いては消えてしまう、というほど泣き暮らし、それでも徐々に食物に口をつけ始めた少女の様子を、男たちは戸惑いながらも遠巻きに見張り続けている。
時はさらに過ぎ、リティと陛下の噂は、市井の中にも深く浸透していき、婚儀の日程に関する賭けまで行なわれる始末だ。
気の早いリティの父親などは、花嫁衣裳を用意する、と言って、その妻でありリティの母親に窘められている。
「リティさん」
初めて、彼女がその名を呼んだとき、リティの中の後悔は膨らんで、耐え難いものとなった。
「何?何かしら?私にできることがあったらなんでもおっしゃって」
少女の感情とすっかり同調してしまったリティは、やせ細った彼女の左手に手を沿え、辛うじて寝具の上に半身を起こした少女に話しかける。
「すみません、ここの国のこと詳しく教えてください」
その少女が最初に口にした願い事が、想定外のものではあったものの、リティは、彼女がようやく生きる気力を取り戻したことに安堵した。
言われるままに彼女は、知りうる限りの国の情勢を彼女に聞かせ、また、少女も熱心にこの国の仕組みや文化、制度について吸収していった。
幸いなのは、リティが貴族階級である、といったことだ。
市井のものならば、それこそ自らが歩ける範囲内の規則についてしか知らないであろうが、彼女は上に立つべく、あらゆる教育を受けている。
その知識を惜しみなく少女に与え、少女は徐々にその瞳に力強い色を宿し始めていく。
「ふーん、じゃあ、金髪じゃないから結婚できなかったんだ」
ようやく、その知識が王室の婚姻制度にまで及び、スリリル嬢の出来事を再度少女に伝える。
早い段階で、少女が強く知りたがった、己がどうしてこの場にいなくてはいけないのか、という理由は伝えられていたため、概略は知ってはいたものの、今回初めて詳細を知ることとなった。
大陸の地図を眺めながら、少女は呆れながらリティと会話を続ける。
「傍系からそれらしい赤ちゃんでも連れてくればいいのに。こんな理不尽がやれるぐらいだったら、それぐらいの理不尽、平気でしょ?」
もちろん、少女はリティたちに良い感情を抱いているわけではない。
ある日突然、全く別の世界から、よく知らないこの世界へと連れてくるなどといった暴挙は、許されるわけはないのだ、その理由がたとえ王国の存続にかかわっていたとしても。