「いいかげん現実にお目覚めください、現実に」
リイルとの想い出に浸っていたジクロウに、冷たくリティが水を指す。
「ええと、王女に優秀な婿をくっつければよいかなぁ、などと思わぬでも」
「それぞれの側室方には少々の難がございましょうに、ぼやぼやしておられるうちに王太子に男子がお生まれになったらどうするのです?」
「このままですと、子も生まれぬとわかりながら私が嫁さねばならなくなります。とっとと解決案を出しなさい!」
常日頃から、彼に嫁すぐらいなら、国を出奔すると親に宣言しているリティが、にこやかに微笑みながらも、笑っていない目で陛下を威圧しながら自ら茶を容器へ注ぐ。本来ならこんなことを行なうような立場ではないが、話している内容が内容なだけに、手伝いのものは全て下がらせているため仕方がない。
「おっしゃる通りに、このままですと、リティ様が正妃としてお座りになられるのも時間の問題かと」
「いやなこと言わないでちょうだい、宰相。ただでさえ最近父が、期待に満ちた目で私を見ているというのに」
リティの父親は、最も有力な貴族一人であり、当然つりあいの取れた娘を王宮へ差し出すことを夢に見ないほどお人よしではない。おまけに、多産系である彼女の母は、たった一人で男女交えて八人もの子を成し、さらには己の体も今もって全くの健康体である、といった具合に、こういう状況下、側室たちに子が成されない、では全く持ってこれ以上の適任はない、と目されているのだから。最も、呪われ続ける限りは、たとえ彼女がその素質に恵まれたところ、子を成すことはかなわないのだが。
「仕方がない、再びアーロナ=ディナ・サンに頼るしかないのか」
「…アーロナ殿は優秀ですが、呪いやそういった精神的な魔術に関しては…」
「リイルの呪いが簡単に解けるとは思っておらぬ。努力なら散々したであろう」
一応、王にしてみても、宰相にしてみても、一通りの努力はしてみたのだ。
リイルが出奔した後、ただちに次席であったアーロナ=ディナ・サンを宮廷魔術師に据え、理由を説明して、彼女の呪いを解こうとさんざん試みる事数ヶ月。
元々その魔術の質はともかく、得意な分野に偏りのあるアーロナは、物理的に何かを行う魔術に関しては、当時の筆頭魔術師であるリイルにも勝るものの、彼女が得意としていた精神作用を及ぼす魔術に関しては子ども同然、といった欠点があった。
それでも、それ以上呪いの詳細を知る人物を増やすわけにはいかない彼らは、ジクロウも宰相も一文字以上も読み進められない怪しい魔術書を頼りに、懸命に努力はしてみたのだ。
そのたびに、あらぬ方向でそののろい返しが作用し、一時期は何かのたたりだと、神殿方面から優秀な司祭が派遣される始末だ。
そのことに関しては、今もって宮殿の謎とされており、伝統あるフィムディア王家の七不思議に最近一つ、加えられたそうだ。
「そういう直接的に呪いをどうこうするのではなく、何か別の方法があるのでは?」
「別の?ですか?」
あまり頭の良くない王の意見を、二人はあからさまに懐疑的に、それでも一応臣下の礼を保ちながら待つ。
「うーーーーーーむ、そうだ!子どもを産める人間をどこかからなり召還してしまう、というのはどうだ?」
「「はぁ???」」
馬鹿馬鹿しくも根本的な問題を回避した解決案に、二人は同時に疑問を呈する。
「王よ、スリリル様以外、といった呪いじゃありませんでしたか?」
「だいたいどこから召還されるのです?それは人ですか?獣ですか?万が一やってきたとして、それほど怪しい人間が、簡単に後宮にもぐりこめるほど、あの社会は優しくないというのは、一番おわかりのはずでしょう?」
後宮に入るにはそれなりの手続きが必要であり、高度に政治的な問題を孕む。王が気に入ったから連れてきました、といって通用するはずもなく、例外にもれず、他国とのつながりや、国内の有力貴族との勢力分布を鑑みて、後宮と言うのは運営されなければならない。
ちなみに現在いる側室は三名で、それぞれ友好国の没落貴族、属国の第三王女、父親が有力貴族だけれども母親の後ろ盾を全く持たない娘、と、それぞれがそれぞれに瑕疵を持ち、誰が上へ立つかの鞘当が毎日行なわれている様子である。
そんな中に、呪いをかいくぐるためとはいえ正体不明の人間を入れるわけにもいかず、ましてや本当にこの呪いが効かない人間がいる保証もない。
「ですから、この際ですからスリリル様宛てに懸賞金をだして、なおかつ側室に取り立てるといった噂をばらまけばいいのですよ。そうすればあちらからきっと戻ってきてくださいますし、我が国も跡取が生めて幸福に、と、何度も申し上げてますでしょう」
宰相が提案する案は、もっとも且つ、妥当な案である。
そもそもスリリルは陛下に横恋慕するあまりに無茶苦茶な呪いをかけたのだ、その問題が回避されれば、陛下の呪いも解け、全てが正常に戻るはずだ。
「……試した。……無駄だった」
「「はぁ?」」
リティと宰相が同時に間抜けな声をあげる。
「噂をばらまいたわけではないが、直接当人に側室に取り立てる、と言う話をしたら、さらに恐ろしい呪いをかけられそうになった」
「恐ろしいのろい?」
「リティ嬢の前では少々……」
詳細を問いただそうとした宰相が察して沈黙する。
元の呪いが男にとってそうとうきついものである上に、さらに女性の前で口はばかる呪いと言えば、まあ、そういうたぐいのものだろう。
哀れみとも同情とも言える視線を二人が陛下に向ける。
「そもそも、一人だけ寵愛を受けることも、ましてや正妃に座ることは無理ですのに」
最もその座に近い女がため息をつきながら、スリリルの姿を思い浮かべる。
愛らしい容姿に、誰からも好かれる性格、切れの良い頭脳。
そのどれをとってもこの凡人の隣に座るには過分なものであり、市井の人間同士ならば極上の嫁をもらったと、周囲にはやし立てられるような組み合わせだろう。
だが、残念なことにジクロウは、どれだけ平凡な容姿、平凡な頭脳を持ち合わせていようとも、この大国の頂点に立つ、国王陛下なのだ。
この歴史或る王国を継ぐに相応しく、周囲の人間を納得させられる材料は、その血統と容姿のみ。
そう、この国では、金髪碧眼の容姿をもつ男子のみがその玉座に座りうる可能性をもつのだ。
馬鹿馬鹿しくも、よくわからない掟は、いつのまにか王家の絶対的な縛りとなり、今日まで伝えられた。
だからなのか、彼らが配偶者に求めるものも、そのような子孫を残せる可能性を有する人間、といったものに拘るようになり、まして国王陛下の正妃とあらば、一点の曇もなく、それらに当てはまる女性だけが、その条件を与えられる。
先王の正妃や、身分が高い側室たちはみな、それらの条件に当てはまっていた。
つまり、家柄がよく、金髪碧眼であり、なおかつ彼女たちの親兄弟もそういう容姿を有していた。
現在の陛下の側室三名にしても、それぞれ弱みはあるものの、容姿に関して言えば文句なくそうであり、今同じ部屋にいるリティは、間違いなく側室三名よりも高い条件を有し、だからこそ正妃に一番近い女だと本人も周囲も自覚しているのだ。
翻って、スリリル嬢はというと、彼女は、やや赤みを帯びた金髪という点においてのみ、その条件を満たしていない。
決定的なのは、彼女の祖母が属国からもらわれてきた女性だ、ということ以上に、その髪色が濃い茶色である、ということだ。当然、彼女の父親は、条件を追い求めて家系をつないできた貴族たちの中において、少々異色であり、その時点で主流派から傍系においやられてしまった感はいなめない。
もちろん、政治家としての彼は優秀なため、そういう方面では先王も、現陛下も、彼を珍重してきたことには間違いはない。
だからこそ、スリリルは家柄同士の婚姻、といったものを諦め、己の身を自身で立てるために、魔術師などという職業を選択したのだ。
そこに、陛下への恋心、といったどうしようもないものも含まれながら。
三人の密談は終了し、陛下のうまくいくのかわからないが、これ以上悪くはならないだろう、といった提案が実行されることとなった。
物理的な魔術に優れていたアーロナは、研究を重ね、陛下たちにはよくわからない説明をしながらも、それが可能である、といった結論をだした。
この大陸以外に、自分たちと同じような人が住んでいる世界など想像もできず、だからといって魔術師としても学者としても優秀なアーロナの言説を無下にすることのできない彼らは、ただ大人しくアーロナが術を施すのを見守った。
月さえも隠された静かな夜、ひっそりとその術は成功した。
彼らの知らない世界から、彼らの知らない一人の少女を王宮の奥深くに召還することによって。
こうして、ユリの良くわからないまま異世界に連れてこられて、たくましくも生きざるを得ない生活が始まった。