とある聖女の物語/第1話

 正妃の娘であり、第一王女が大国フィムディアに輿入れする、という話は、明るい話題としてまたたくまに国内へと広まった。
小国とはいえ、大国に一度も侵略されたことのないこの国は、連綿と続く血脈を誇る王家を筆頭にして、非常にその出自によりどころをもった国民性をもっている。
当然、その中心たる王家においては、血筋は絶対のものとみなされ、王、正妃、側室、その子供たちはそれぞれその流れる家柄によって格付けされている。
その中で、正妃が生んだ唯一の子、第一王女が大国の正妃として迎えられるのは、国民からしてみても、当たり前であり、王族のものもみな、最良の縁談に喜びつつも、どこか歴史的には劣るフィムディアを見下した気持ちを抱いていた。
ただ、正妃だけは、ただ一人の子供である王女を手放すことを本意としてはおらず、幾度か王に掛け合ってもいた。
だが、独立国として成り立ってはいるのもの、この国周辺は小国のあつまりであり、昨今非常に動向が怪しく、ただ歴史が長いだけでは将来が不安なことも確かである。政治的手腕に長けた現王は、いち早く憂いを見抜き、周辺国へのけん制もこめて、年頃の娘を差し出す、という契約を結ぶことができたのだ。その効果は覿面であり、あからさまに動いていた周辺各国は、今のところ沈黙している。



 王女が嫁ぐ日、王の「陛下によく仕え、子を産め。何よりわが国民を忘れるな」という餞の言葉に、しかめっ面で答えた王女は、王にかすかな心配の種をまいた。
よもやそれがこのような形で帰ってくるとは、と、帰ってきた王女を見下ろす。
送り出し、正妃に据えたはずの第一王女は、そっくりそのままフィムディア王国から返されてしまったのだ。
嬉しそうに見上げる王女に、王は苛立ちを覚える。
周囲に控える重臣たちも、彼女のこの振る舞いを信じられないような目で見つめる。
彼女は、大国の王妃を廃され、国に返された、ということをどのように考えているのか、と。
案の定、沈静化したはずの火種は、あちこちで再び生まれ、周辺はきな臭くなっていく一方だ。

「なぜ、帰ってきた」

王の、重く低い声が謁見室に響きわたる。

「だって、お父様。あの人たちったらちっとも私のことをほめてくれないのよ?」

泣き喚き、国に帰るのだと、みっともない姿を見せた少女は、すっかり機嫌をよくし、自国の衣装を着て王の前へ立っている。

「おまえに任せたのが間違いだったな」

王は、そんな彼女を一瞥し、隣に座る王妃に視線をくれる。
王妃は青ざめ、ただ唇を引き結ぶ。

「王族の義務も知らぬ、知ろうとしない娘よ。今ここで、お前を除籍する」

暖かい言葉の一つも掛けられる、と思っていた王女は、思いもかけない父王の言葉に驚き、声を出すこともできない。

「随行の人間にもおって処分を言い渡す」

その言葉を最後に、王は王女の前から退去していった。
彼に続く、他の王族たちも、第一王女へただ冷たい視線を投げつけていった。
残された王女は、両腕を兵士に掴まれ、引きずるようにしてどこかへ連れて行かれた。



 王女が連行されたのは、王都から馬車で一日以上かかる神殿であった。
王都にある大神殿とは違い、外観はどこまでもよく言えば素朴で、悪く言えば質素である。
簡素な修道服に着替えされられた王女は、手にしていた宝石も衣装も何もかも取り上げられ、ただ己の身一つでここへ送り込まれた。
相変わらずわめき散らした彼女は、周囲のものに水を要求するものの、皆が皆、哀れむような目を向けるばかりだ。

「リエラよ、あなたはもう王女ではないのです」

最も年上の、皺だらけの老女が、彼女へと穏やかに説明をする。
他のものは、彼女の尊大な態度に憤っており、説明をするどころではない。

「は?あなたが気安く私と話ができるとでも思っていますの?」

だが、現実を全く把握していない彼女は、尚も悪態をつく。
並び立つ重臣、王族の前で廃された、というのに、彼女は一向にそれを理解していない。

「王から書状をいただきました。これからあなたは一生ここで暮らし、神に祈る生活を送るのです」
「なぜ、私がそのようなことを!」

老女は、言葉を替え、王女へと説明を施すが、彼女は癇癪をおこしながら全くそれを受け入れる気配がない。

「自分が何をしたのか、わからないほど愚かだったのですか?」

だが、リエラにとって聞き覚えのある冷ややかな男の声で、彼女はようやく現実に引き戻されることとなった。

「どうしてあなたが」
「あなたが周囲を困らせるだろうと、王子が心配されましてね」

扉を開け、狭い応接間へとやってきたのは、彼女とは母親の違う王子の従者、であった。
従者といっても、彼の家柄は高く、代替わりすれば重臣に連なる一人であると囁かれている。
だが、そんな彼を、リエラは苦手としていた。
幼い頃から、正妃の子として、また、母由来の美貌により周囲から賞賛され続けていた彼女を、唯一意に介さない男であったからだ。兄弟たちでさえ、彼女を誉めそやし、気難しい父王も彼女をかわいがっていたにも拘わらず、である。

「あなたは王族というものをわかっていない」
「美しい私が、美しいものを見て、美しいものを着て、それの何が悪いというの!」

余りの言葉に、従者と周囲の人間が哀れみの表情さえ浮かべる。

「あなたのおかげで、我が国は大変微妙な立場に立たされました」
「知らない、そんなことは私には関係がない」
「国境を越え、我が国へ進行をはじめた国があるというのに?」
「私はそういうものを見なくとも良い、と母から教わりました。私は私が見たいものだけを見ればいいのです」

王女の育てられ方は、美しい毛並みの獣をただ愛玩するだけして育てたそれと似ている。生まれと、その美しさにより、彼女はただ賛辞を受けていればいい立場でいられた。美しいだけの彼女は、国を害するほど影響を与えることはない、ただ王家の、いや国家の宝石でありさえすればよいと、周囲のものは思っていたのだろう。血筋を大事にするあまり、容姿に優れたものが生み出される土壌がなく、他の王女たち、いや居並ぶ臣下の娘たちすら、凡庸な容姿をもつものが多かった。血筋がよく、見目麗しい母娘、ただそれだけで彼女の存在価値は上がり、この世の理を説くものはおらず、立場に課せられた義務を教えるものもいなかったのだ。

「全て、あなたのせいですよ」

本来は、代々そういう警戒を怠ってきた国に責任があるのだが、彼は敢えてそれらを伏せ、ゆっくりと彼女にその責をつきつける。

「そんなの、わからない、知らない。私のせいではない」
「いいえ、あなたのせいです。大国の援助を期待できない我が国は、そのうち周囲の新興国家に飲み込まれる運命でしょう」
「そんなこと!あんな劣った国にどうかされるほど、この国の歴史は安いものではない」
「我が国は歴史だけはあります。ですが、それだけです」

ややおごり高ぶっていた感は否めない国民も、最近の国際情勢の変化に、完全に無駄な矜持を潰されたような有様だ。国境は荒れ、略奪者が簡単に入り込み、その成り行きで国内もすさんでいく。物資の流通さえ不安定となり、全ての食料を自給できているわけではないこの国は、これ以上ことが進めば、国民全体が貧困にあえぐ結果となるだろう。
それらの全ての元凶が、元王女のわがままから齎されたのだから、今や国民の怒りの矛先は、完全にリエラに向かっている。
苦心し、ようやく手に入れたはずの大国王妃の座を、つまらない理由で捨て去ったにも等しい王女のことを、よく言う人間は国内にはいない。
あれほど彼女を溺愛し、いわばこのような人間に育つ遠因ともなった正妃ですら、娘であるリエラのことを口にすることはない。いや、今や側室の一人として降格され、かつての栄華には程遠い生活を強いられている彼女は、娘の事を心配する余裕などないだろう。それはまた、彼女を輩出した一族の没落をも意味し、宝石のように扱われたリエラが頼る場所すらなくなったことも意味している。

「でも!私は」

なおもわかろうとしないリエラは、従者へ言葉を投げつける。
それを哀れむような視線で返し、彼はリエラに淡々と事実を突きつける。

「侍女頭は自害しました」
「え?」

理解の範疇を超えた事実に、リエラは両手の拳を握り締めたまま立ち尽くす。
汗が額から流れ落ち、彼女の首筋をつたっていく。冷たくなっていく手足の感覚が、遠のいていくのを感じていた。

「彼女もあなたをそんな風にした責任者の一人ですからね」

侍女頭は、リエラが幼い頃から付き従い、彼女を着飾らせ褒め称えたものの一人だ。リエラの教育は正妃に任された、といっても、それを取り仕切っていたのは侍女頭である。乳母を除き、彼女を小さい頃から実質育て上げたのは彼女だ。真っ先にその責を問われる立場だろう。
己の立場を弁えず、フィムディアの地であっても、王女を我が王女として扱い、結局はその立場を失わせてしまった。名門の出である彼女もまた、一族からは責められ周囲からは冷たい目でみられることに耐えられなかったのだろう。
無駄に高すぎた矜持は、彼女に死を選ばせることとなった。

「他のものも処遇も聞きたいですか?」

正妃の娘の侍女として、華やかに威張り腐っていた侍女たちの末路は、町中で噂となっている。
雲の上の存在として、憧れを持った目でみていた国民も、彼女たちの行動がわが身に降りかかってくるとすれば別問題だ。その高価なもちものを妬み、立ち振る舞いを嫌う。
決して、聞いて気持ちのよくなる話ではない。

「まあ、それはおいおい話して聞かせるとしましょう」

従者はリエラにとっては嫌味にも思える笑みを浮かべ、彼女を見下ろす。

「あなたは、一生ここから出ることは叶いません」
「私は、王女です」
「殺されなかっただけありがたいと思いなさい」

その言葉に、リエラは唇をかみ締める。
いまだに、彼女はまだ己が行ったことがどれほどの意味を持つのかを理解していない。
リエラは、老女に案内され、あてがわれた私室に連れられていった。
そこは、彼女からしてみれば、まるで牢獄のように何もない冷たい部屋であった。



1.11.2011
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