リイル=スリリルが姿を現した、と嬉しげに文官が伝えたのは、ユリが宮へ引きこもってから、一週間ほどたったときであった。
「陛下、ようやくスリリル様がお戻りになりましたな」
「……」
「やはり、優秀な魔術師は国の財産ですからなぁ」
口々に元老院の構成員に言われ、陛下はただ情けない笑顔をぶらさげて沈黙するほかはなかった。内心は、どういう風に接触をするのかと、びくついていた陛下は、案の定、そのスリリルが、堂々とダレンのように表から現れ、腰を抜かしそうになるほど驚いている。
なにせ、さわやかに警備のものや、武官、文官と挨拶を交わしながら、ジクロウに帰国の挨拶をするため、公式に宮殿へと参上したのだから。
「長きわたる不在をお許しいただき、また、他国で学ぶ機会を与えていただき、ありがとうございます。これから先、我が身がどのようになろうとも、陛下に一生お仕えする所存です」
上っ面は立派だが、その内面に背筋が寒くなる思いをした陛下は、宰相へ目配せをする。
宰相は宰相で、こちら側の建前を利用し、うまくもとの場へ戻ろうとしているスリリルに感心している様子だ。
確かに、今までのどちらかというと単純で、政治的なやりとりに疎い彼女が、このような態度に出ること事態、想定していなかったのは事実だ。
宰相は、己の調査で彼女が娼館の主、という最も強かな商売人の一人と親しくしていたことを思い出し、自らの見識に少々驕っていたことを恥じる。
「よく戻られた。しばらくはゆっくりとなさいませ。魔術院への挨拶は?」
「いえ、それがまだ」
「それはちょうどよい。宮廷魔術師のサン殿に案内させますゆえ、まずそちらで旧交を温めるとよい」
言外に、スリリルを元の地位へ戻すつもりはない、ということを匂わせながら、以前は彼女の下で働いていた立場のアーロナを引き合わせる。
彼女に対し、複雑な、どちらかといえば憧れと失望を混ぜた気持ちを抱いているアーロナは、なんともいえない顔をしながら、彼女と連れだって魔術院の方へ歩いていった。
「まあ、思ったよりいい餌だったということでしょうかねぇ」
ふてくされながらも、せっせと針子仕事をこなしているユリをよそに、宰相、リティ、アーロナ、ダレンの四名は茶を飲みながらため息をついていた。
ユリに与えられた宮は、本宮から程近く、またニーノの館と向かい合う位置に存在している。ニーノに使える女官たちの嫌味や小さな嫌がらせをうけながら、ユリの館の女官たちも日々それに対抗する毎日だ。
「あれほどの強かさを最初から持ち合わせておられれば、こんなことにならずにすみましたのに」
全てを内に閉じ込め、耐え切れなくなったら直情的に陛下に呪いをぶつける、ようなまねはしないでもすんだはずなのに、と。リティが残念がる。
「まあ、それは言ってもはじまりませんから。これからどうするか、ですが」
宰相の言葉をきっかけに、全員黙り込む。
正面から戻ってきたスリリルは、どう考えても陛下の呪いをとくようには見えなかったからだ。
「脅し、も効きませんかね」
「我々がやったところで真実味がないでしょう。ユリ様ならともかく」
側室候補となったことで、彼らのユリに対する敬語は不自然ではなくなった。そこだけ一つ頭をつかわなくとも良くなった彼らは、途切れながらも議論を進めていく。
「まあ、それもそうですねぇ。エリヤ様がもう少し大きくなられれば。以前のようなごたごたはごめんですからね。ただでさえ西の国境で不穏な動きがあるというのに」
リティがうんざり、といった表情で素直な感想を吐き出す。
ジクロウが即位する前の混乱は、大国を揺るがすほど、ではないものの、僅かに腐らせるほどではあった。その腐敗がゆるゆると進行し、リサゼルのようなものを蔓延らせてしまったのだから、どのような大きさでも混乱を侮ってはいけない、と、それぞれが肝に銘じている。
だからこそ、彼らが陛下を傷つける、と脅したところで、全く真実味がないものとしてスリリルにはうつってしまう。
「相手がどうでるかを待つしかない、と言うことでしょうかね」
「あのな、もうすでにバンバン呪いが飛んできているんだが」
宰相の言葉に、ダレンがあからさまに不機嫌な顔で不機嫌な声を上げる。
「最初から目的を隠すつもりもない、と」
「そういうことだろうな。魔術院で大人しくしときゃいいのに」
アーロナに魔術院へと連れていかれたスリリルは、以前の部屋よりも一回り小さいものをあてがわれ、そこで大人しく研究をしているように、と、親切そうな魔術師たちに言い含められているはずだ。もちろん彼らは政治的思惑から、ではなく、様々なものを学んだであろう彼女から、どのような知識が得られるかを気にしての発言ではある。
アーロナは、どういう方法かはわからないが、呪い関係に強い部下に、呪いに対して強い結界をユリの館に張ってもらっている。それを飛び越えて、さらに強い呪いがすでにユリの元へと届き始めている。
もちろん、ダレンの案で、肩代わりの人形がそれを受けてはいるのだが、その人形が次々とあらゆる手段で破壊されていくさまは、見ていて気持ちのいいものではない。
「さすがにこっちへ直接来はしねーがな」
「まあ、それはさすがに」
魔術で飛んでこようにも、ここはアーロナとダレンの結界が張ってあり、また、直接尋ねてこようにも、たかが魔術師が側室候補の館へ何の用事もなしにやってこられるほど警備は甘くはない。
「呪いをかけながらやってきたらわからんがなぁ」
その光景を想像し、それぞれが俯きながら沈黙する。
「で、結局どうするわけ?」
刺繍を施していた布を机の上へ置き、ユリが沈黙したままの彼らに尋ねる。
「呪いを解いていただければいいわけですが」
「でもあれって意地でも解かなくない?」
「ええ、まあ」
「解読の方を進めてはいるのですが、なにぶん彼女のものは独特でして」
魔術、といっても基本の組み合わせが応用となるだけで、基礎は単純なものがほとんどだ。それをどれだけ有効に、上限をあげて利用できるかと、組み合わせをより複雑にしながら最大限の効果を上げられるかが、彼らの腕前だ。ダレンは基本の数が多く、また、それによる複合技も多い、アーロナは数少なく、だが、その上限が段違いに高い。
「スリリル様のは、どれもこれも洗練されすぎておりまして、解こうにもヒントがないありさまでして」
「洗練された呪いってなんかやだな」
己も呪われたせいで、スリリルの呪いに真っ向から対抗しなくてはいけなくなったアーロナの呟きを、ユリが見も蓋もなく返す。
結局、その日の集まりでは何の成果も見られず、相変わらず身代わりの人形は割れ続けていった。