解放、と旅立ち/第2話

「あのう、これどういうこと?」

いつものように出勤し、いつものように仕事にとりかかろうとしたユリは、周囲の突き刺さるような視線と好奇心を隠せない囁きにさらされ、非常に居心地が悪い思いをした。
あまりそういうことに頓着がない彼女も、こうあからさまにされれば、何がしかを感じざるを得ない。まして、直裁にユリへ嫌味を投げかける人間もいる始末で、全く心当たりのない彼女は途方にくれるしかない。
結局、ひそひそと交わされる噂話の中、ユリはリティに連れられ、再びあの王宮の一室へと押し込められることとなった。

「申し訳ございません、ユリ様」

周囲の目があるときには、呼び捨てにする名も、それが許される場では、自然と最初の呼び名に戻ってしまうリティが、申し訳なさそうにユリへ説明をする。

「陛下がこのたび新しい側室をもうけると」
「また?っていうか、もう三人もいるじゃん、奥さん」

一夫一婦制をとっている国がほとんどであった世界で育ったユリは、正妃だの側室だの、といった婚姻制度は本の中でしか読んだことはない。多少の嫌悪感はいたしかたが無い。

「いえ、前王に比べればまだまだ少ない方です」
「えーー、なにそのじじい、いやらしいんじゃないの?」
「ユリ様……。一応陛下の父君のことでして、その、言いにくい話しではありますが、政治的側面もありまして」
「まあ、わからないでもないけどさ。でも大変じゃない?こう女同士ってさ、人数集まると」

女中や侍女仲間として働いている中、正直なところ現在の職場が一番やりにくい、とユリは感じている。今までで一番その所謂育ちはいいのかもしれないが、その分社交辞令や表裏がありすぎる世界は、彼女のその性格には適さない。もっとあけすけで、毎日その労働に喜びを感じるような職場に戻りたい、と、常々考えていた。

「でも、それとわたしがこうやってらちられる、っていうのとは何が関係してるわけ?」
「申し訳ございません」
「は?」
「ユリが側室として選ばれたと、言外に噂を流したと、ローンレー夫人は申しておる」

おもしろいことには首をつっこまねば気がすまないアンネローゼがユリに簡単に説明をする。後ろに控える男性陣、宰相、宮廷魔術師、騎士隊長、はそれぞれあらぬ方向に視線を這わせ、ユリと目があわないようにしている。

「はああああああああああああああ?私?私が?ええええええ!」

ようやく意味を理解したユリは、嫌そうな声をあげ、ちんまりと椅子に座っている陛下を指差す。

「嫌、絶対嫌、もうすっごく嫌、いやったらいや。毒飲んで死んだ方がましなぐらい嫌」

前回、理不尽な目に会いながらも決して屈しなかった彼女の言葉に、全員がぎくりとしてユリを凝視する。

「や、や、や、ユリ様、そのただの噂ですから、噂として流したというだけですから、事実ではありませんから、ユリ様?ね?ユリ様?」

あたふたとアーロナが、ユリが少しでも変な気を起こさないようにと口を挟む。

「噂?ああ、どうりでみんなの視線が痛いわけだわ」
「申し訳ございません、ですが」
「スリリルでも呼び出そうっての?でも私で餌になるかぁ?」
「やはりユリは頭がいい。そういうところが気にいっている」

前回の件がなくとも、さらにユリを好んだであろうアンネローゼが口元を扇で隠しながら笑顔をみせる。

「呪いはまだかけられたままですし、真実あなた様しかお子を成せないのですから、スリリル様とて動くのではありませんか?」

リティの言葉に、ユリは黙り込む。
アンネローゼの子がジクロウの子ではないことを恐らくスリリルは承知している。だからこそ彼女が側室として上がったときも、スリリルは動かなかった。
だが、唯一子をなせるユリが側室へあがったとすればどうだろう。
まして、今度の噂は、後ろ盾がないユリを陛下が熱愛するあまりに、無理矢理王宮へと押し込めた、というありえないところまで広がりを見せている。そこでちんまりと座っている陛下をみれば、そのような無駄で危ない真似をするわけはない、とわかりそうなものだが、スリリルはスリリルで陛下に対して何がしかの美化がかかっているせいか、割と素直に解釈してしまいそうだ。

「それに、申し上げにくいのですが、どうやらスリリル様は、ユリ様を逆恨されている様子でして」
「はあ?なんで私が?」
「ただ一人陛下のお子が産める女性だからかと」
「そんなの私のせいじゃないっつーの」
「申し訳ございません」

もはやそれしか言うべきことのない宰相は、代表して怒られる役目をかって出ているようだ。

「で、ダレンまで呼んだわけ?」

いつのまにか部屋には不機嫌な顔を隠そうともしないダレンが入り込んでいる。
おそらく、スリリルにあてがう魔術師として彼の手が必要なのだろう。ユリを巻き込むことで易々と彼まで巻き込まれている。

「はい、ですが、これで陛下の呪いがとけ、スリリル様をどうかすることができれば、ユリ様もはれて自由の身」
「どっか行っていいってこと?ここって働きにくいんだよねぇ、給料いいんだけど」
「ならぬ。私の側にいてもらわねば」

リティより早くアンネローゼがユリを引きとめる。
元から宮殿で働いていた侍女以上に、今ではユリのことを面白がって珍重している彼女だ、ユリにどこかへ行かれたら退屈でしかたがないだろう。

「うーーーーん、でもさぁ、柄じゃないんだよね。私って所詮庶民の子だし」
「そうそう、ユリちゃんこんなとこからさっさと引き上げて、ボクと一緒にどこかへ行こう。大体こんなことに付き合う義理はないんだしさ」
「ブランシェ様、そうおっしゃらずに」
「そうなんだよね、別に陛下に子供ができようができまいが、私には関係が無いし、それに私があんまり近くにいたら、その人魔術使えないんじゃなかったっけ?」

いきなりひきあいにだされたアーロナはややうろたえたものの、ユリを説得にかかる。

「最後に、本当に最後にお付き合いいただけませんか?これが済めば本当に何の憂いもなくなります」
「今でも憂いなんてないけど?」
「今のままですと、本当に噂が本当になってしまうかもしれませんよ?ユリ様」

すかさずリティもユリを説得にかかる。
本当のところは、陛下の呪いなどすでにどうでもよいのだが、駄々をこねてユリにちょっかいをかける隙を与えてはたまらない、と、とりあえず今回のこの作戦だけは加担することにしたのだ。
確かに、陛下は、ユリが正当な跡継ぎを生める器だと予言されたことにより少々彼女へ執着している。そのことですら、側近たちの立場としては悩みの種でしかない上に、 そのことがスリリルの逆恨みを誘発し、理不尽な怒りは全てユリへと向けられている、というややこしい状況だ。罪悪感しか感じないユリのこの状態が解消できるのならば、無理矢理この世界へ連れてきたユリへの罪滅ぼしとしても悪くはないだろう、と考えている。

「ダレンと逃げるし」
「私とジエンで追いかけます、全力で」

ジエンは未だに両親の周辺を監視されている立場であり、渋々ながらも陛下たちに協力をする立場だ。心の片隅ではいまだにスリリルのことを思っており、彼女とわずかばかりでも繋がれる可能性にかけている、という本音については、皆、気がつかないふりをしている。

「ユリ、これが終わったら私はアルティナ様の屋敷へと移る予定になっておる。そこでならややこしい人間関係に惑わされることなく、思う存分働けるが、ついてこぬか?」

アンネローゼの突然の問いかけに、ユリがはたと考え込む。
アルティナと言う名前を思い出し、驚いて固まった陛下の顔を眺め、やがて静かに頷いた。

「アンネローゼ様、何も伺っておりませんが」
「今決めたゆえ、そう思うのは当然のこと」
「ですが」

うろたえる宰相に、ただただ綺麗な笑みだけをアンネローゼが浮かべる。
確かに、現在ジクロウの実母、アルティナの屋敷は主がいない状態だ。また、王宮の敷地から程よく離れ、わずらわしさは格段の差になるだろう。
だが、二人しかいない側室の、より心理的に陛下に近い側が、そのようなところへ住まう、という前例はない。まして、本来どっしりと構えなくてはいけない正妃が、里心から精神的不安定に陥っている今、実質的な正妃ともいえるアンネローゼが外へ出る、などということが許されるはずもない。

「私の仕事は終えたであろう?」

無事に男児を生み終えたアンネローゼは、陛下にしてみれば冷酷な言葉を紡ぐ。
呪いのことがあろうとなかろうと、ジクロウとの間に子をもうける気はあまりない、と、言外に告げているのだから。

「ユリを連れていくのは」

だが、そんなことなど気がつかない陛下は、ただただユリの存在だけに執心している。

「呪いが解けた暁には、正妃にいくらでも子供をつくって差し上げればよいでしょう?」

生まれ育ちから自覚してもよさそうなものの、一向にその気配すらみせない隣国の王女に対し、良い感情を抱いていないリティは、現時点で呪いなどなくともそのようなことが可能ではない、と言うことを十分承知した上で、さらりとアンネローゼの側へ立つ。エリヤ王子さえ健やかに育てばそれでよい、という思いと、ユリへことさらに肩入れしているせいだ。

「……それでユリ様が今回の騒動を認めていただけるのなら」

この中では、最も陛下の心情に沿っているであろう宰相も渋々アンネローゼの提案に乗る。
アーロナはもとより、この王宮に彼女を無防備のまま置いておくことを懸念していたため、最初からアンネローゼの言に肩入れしている。 あっけなくも場は、アンネローゼのものとなり、陛下はただ、黙認するしかない立場に追いやられた。
結局、ユリは陛下の側室となる、というただの噂に加担することとなり、護衛としてダレンとローンレーを従え、与えられた宮に大人しく引きこもることとなった。


12.14.2009
++「Text」++「Chase目次」++「次へ」++「戻る」