「指名手配、するというのはどうだ?」
唐突に口を開いた陛下は、のんびりとアンネローゼと茶を飲みながら、側近くでやはり茶器を手にしていたリティや宰相に問いかけた。
「と、申しますと」
傍らにはアンネローゼが生んだ赤ん坊が移動式の専用寝台に寝かされており、側には彼専属の乳母が様子を伺っている。
そう、彼女が生んだ子は幸いなことに男児であった。
しかし、側室ニーノの子もまた男児であった。
第一王位継承権はアンネローゼの子、エリヤへ与えられ、ニーノの子もまた第二位の継承権を与えられた。前回醜態をさらしたリサゼルは、とっくに継承権を剥奪され、王宮からは遠い土地を任地とし、そこに一生縛りつけられる運命となった。権力から墜落するのは一瞬、といったところだろうか。もっとも、ジクロウの代の混乱を思えば、その継承順位、というものもどれほど当てになるかはわかったものではないが。
「リイルを」
「なぜ?」
「今更」
乳母とエリヤを退出させ、部屋には陛下、アンネローゼ、リティ、宰相が残される。
秘密を知るものを増やすのは避けたいところだが、アンネローゼの性格を思えば、巻き込んでしまった方が余程ましだと考え、すでに全容を彼女は掴んでいる。
「どういった罪状で?」
「職場放棄、というのは?」
「確かに罪にはなりましょうが、指名手配するほどのものでは。それに留学をしている、という嘘はいかがいたしましょう?」
「反逆罪」
「それこそそういうわけには。しかしどうされました?急に」
無事男の子が生まれ、すっかり安心しきった宰相は、陛下の呪いがどうなろうと知ったことではない、という態度を貫いている。もともと、国のために尽力していたのであり、個人的にジクロウに使えていたわけではない。それはリティにしても言えることで、お気に入りのユリが毎日楽しそうに立ち働く姿を見ることができ、賢夫人であるアンネローゼに仕えられる喜びに比べて、陛下の個人的な呪いなどどうでも良い、と考えている節がある。
だが、ジクロウとて男。
いつまでも呪われたまま、子孫を残せないのは内心非常に歯がゆい思いをしている。
ここにきてようやく周囲が落ち着いた今、己の呪いをなんとかしようと思わない方がどうかしている。
「ならばユリを側室にとりたてる」
「却下いたします」
「反対いたします」
すぐさま宰相とリティに否定され、陛下がおもしろくない、といった顔をする。
「まあ、よいではないか、側室の一人や二人」
ユリの素性に関しては全く関知していないアンネローゼがおっとりと答える。
彼女は側室として、いや、現在はどちらかというと政策を担う立場として王国のことは考えるが、陛下個人に関してはあまり興味を抱いていない。だからこそ、安定した政権に必要とあれば側室の一人や二人、増えたところで一向に躊躇しない。
「アンネローゼ様、申し訳ありませんがユリ、はそういう立場にはありません」
王宮内の人間には彼女は金髪碧眼の美少女に見えているが、実際の彼女は黒髪でありその瞳も黒い。まして彼女は異世界の人間。それはユリを召還した人間の一人として十二分に承知している。
いくら彼女がアーロナの見立てで、最も世継を生むに最適な器だとしても、今更彼女を利用しようとは露ほどにも思っていない。
「だったらいいかげんなんとかしたい」
「そうおっしゃいましても」
全く考えようともしないリティと宰相を、面白いものを見るようにアンネローゼがころころと笑う。
「よいではないか、そのスリリルとやらを指名手配でもすれば」
「ですが、罪状が。まさか呪われている、と白状するわけには」
現在、王室は正妃が嫁いだばかりだ。
華やかな式典と、一連の政治的な駆け引きを追え、彼女はようやく宮へと腰をすえた。
性格そのものは年相応に幼く、また、どこかおどおどしたような目で周囲を見上げるばかりで、まだその重責に見なうだけの器量ができていない少女だ。そのせいなのか国からわたってきた侍女たちは、極度に正妃の近辺を警戒し、わずかな瑕疵でも大仰に騒ぎ立て、日々周囲を賑わせている。
そんな中、実は陛下が呪われていた、だのと申告すれば、いずれは国家間に決定的な齟齬が生まれる可能性がある。この国のことを思えば、それだけは避けたいのが本音だ。
「私を利用なされば?」
「アンネローゼ様を?」
馬鹿なことを言った馬鹿なやつ、と陛下を放置しながら、リティとアンネローゼが会話を交わす。
「スリリルが陛下をお慕いしていたのは有名な話なのでしょう?」
「ええ、ごく間近の人間には、ですが」
「でしたら、私へ咎をなしたもの、として手配でもすれば」
「ですが」
スリリルは本家から外れたとはいえ、彼女のはとこは現在も元老院の一員としてその有能ぶりを発揮している。今のところジクロウに組することが多い彼を、そのようなことで失うのは惜しい。
「百歩譲って手配するのはいいとしても、逃げ出されるのが落ちでは?それこそよその国に逃亡されたらこちらでは手が出せません」
宰相が冷静に事実を述べる。
実は彼女の動向はすでに調査済みであり、大体の行動は把握している。
スリリルはユリと違って所詮貴族の生まれのお嬢様育ち、ユリのように強かにたくましく生きることなどできない存在なのだ。だからこそ、生活をしようとすれば唯一の取り柄である魔術か美貌を頼るほかはなく、そのようなものを利用すれば、あっという間に人々の噂にならないはずはないのだ。せめてその美貌を頼る生活をしていれば、あっけなく見つかることもなかったのだろうが、彼女はそれをするほど覚悟が決まっているわけではない。
「ですが、宰相殿。すでにつかまれおりますでしょう?」
己の考えを見透かされたかのようなアンネローゼの言葉に、宰相が思わず茶器を落としそうになる。
だが、そんな動揺等できるだけ見せぬようにしながら、彼は彼女に顔を向ける。
「そうですね、ではこういう方法はいかがでしょうか」
密談は終了し、アンネローゼは我が子を眺めに、リティはそれにならい、宰相は仕事へ戻っていった。
珍しく口火をきったものの、最後まで陛下は陛下のままであったことは、国の平和を象徴しているのかもしれない。
数日後、陛下が新しく側室をもうける、という噂が立ち上った。
しかも、その女性が王宮に勤めるただの侍女であったものだから、噂好きの市民も、喜んでこの噂を広めていった。
当事者に祭り上げられたユリを除いて。