「君、間抜けだろう」
起きぬけにやたらときらきらした人間に吐かれた毒舌に、ユリは面倒くさいからもう一度意識を失ってしまおうか、などと不埒なことを考えてしまった。
絹のような金の髪に、切れ長で涼しげな目元。当然その瞳は碧眼であり、どうしてその色で目が見えるのかが不思議だと、有色であるユリは考えたほどだ。
だが、そんな平和的な感想などどうでもよい。
ユリは意識を失って目覚め、豪華な部屋でやたらと派手な男に唐突に難癖をつけられたのだ。
困惑した中、やたらと思考があちこちへ飛んだとしても仕方がない。
「……申し訳ありませんが、ここどこですか?」
確かめるまでもなく、どこかを縛られている、ということもなく、監禁されている、というには程遠い状況である。主であるアンネローゼが座るような長いすに横たわっていたユリは、おっとりと体を起こし、周囲の状況を確認する。
慣れる、というわけではないのだろうが、すれている、ぐらいの言葉は当てはまるのかもしれない。
平然とした顔で、不躾な視線を送るユリを、おもしろそうに綺麗な男が眺める。
「ろくな身よりも無いただの侍女、っていう話だと思ったんだけどな」
たしかにユリの肉親はこの世界にはいない。
現在では代わり、というわけではないがダレンが側にはいる。
だが、身元が確かな、どちらかといえば上の階級に所属するほかの侍女たちとは異なり、ユリは全く後ろ盾、というものを持たないことは確かだろう。
「話しが見えないのですが」
「いや、君が貧血で倒れたのを僕が助けたってだけ」
さらりと、おかしな主張を混ぜ込んだ男に、警戒心を抱く。
見知らぬ武官に連れられ、意識を失い、気がつけばこの部屋で起きたユリが、彼がはいた言葉を不審に思わないわけはないだろう。
「そういうことにしておいた方が色々君にとっても都合がいいと思うけど?」
さらに彼は、暗に全てを忘れろと、ユリにやわらかく迫る。
つまるところ、この男も、今日出会ったアンネローゼを暗殺せんとする仲間の一味、なのだろう。
余計な口は聞かずに、ただただユリは彼の姿を観察する。
この国の衣装のはやり廃りを良くは知らないものの、それでも彼は、流行を程よく追っている、というのが疎いユリにもわかるほど、洗練された衣装を身に纏っている。
陛下の髪質とよく似た金髪は、それに負けることがないつくりの顔をさらに引き立て、王子、というのは本来こういうものをさしていうのだろう、と、感心するほどだ。
だが、その中身が下劣な男たちと同等だとは、知らず知らずにうちにためいきをつく。
「大分良くなったみたいだから、職場に復帰したら?」
そう言い出した彼を、これ以上ないというぐらいじっくりと見つめる。
ここからどうやって逃げ出そうと考えていたユリにとっては、俄かには信じがたい言葉だ。
「……帰っても?」
「もちろん、別に僕は女に不自由しているわけでもないし、ただの親切だから」
胡散臭い笑顔を振りまく。
「はぁ、でしたら失礼して」
相手の気が変わらないうちに、と、ユリは長いすから立ち上がり、多少の皺を伸ばしながら出口の方へと向かう。
「あ、これアンネローゼ様へ」
呼び止められ、一瞬緊張したユリは、彼がもたらした言葉に二重三重に驚く。
ユリが毒薬と思わしきものを渡されたのは今朝の話だ。
その根とこの根は確実につながっている。
つまりは、この綺麗な男も毒殺しようとしている連中の仲間なのは確かなのである。
そんな野郎に渡された焼き菓子を何も言わずに受け取り、仰々しく礼をする。
「アンネローゼ様によろしく」
「かしこまりました」
内心とは全く異なるやりとりを行い、ユリはようやく開放された。
焼き菓子をもってアンネローゼの部屋へたどり着くと、鬼の形相をしたダレンが腕組みをして誰かを威圧していた。
「あれ?ダレン?」
「ユリ!!!」
ダレンの視線の先には、宰相とアーロナが小さくなって佇んでおり、主であるアンネローゼはその様子を面白がって眺めていた。
「今から行くとこだったんだけど」
さりげなくユリの全身を目視しながら、これ以上の怒りの種がないことを確認する。
「ユリ様、どうやって」
「えーー、知らない男の人に連れられて、気がついたら綺麗な部屋で綺麗な男が笑ってた」
あまりにも端折りすぎた説明に、その部屋にいる全員が考え込む。
もしかして、と、宰相が説明する綺麗な男の風貌に、いちいち頷く。ダレンは先ほどからユリを抱えたまま離そうとはしない。これ以上ややこしいことがおこれば、いや、今すぐにでもどこかへ行方をくらませよう、と考えているに違いない。
「でしたらそれはロラフェド様に違いありません」
「誰それ?」
それぞれが椅子に座り、会議のような様相を呈した一行は、不機嫌なダレンを除いて、一応何がしかの意思疎通を行おうとしている。
「リサゼル様の従弟君で」
「あの劣化の?」
「いえ、その。まあ、母方の、ではありますが。リサゼル様のご母堂と弟であるコザーヌ家当主は大変美しい姉弟だと評判のお二人で」
「へー、全然似なかったんだね、あの男」
「……どういうわけか前陛下の容姿は王子の方々に色濃く受け継がれておりまして」
ジクロウの母親、アルティナは例外としても、皆それぞれに美しさも兼ね備えた側室たちが多い割には、ジクロウの異母兄弟たちの容姿は残念な場合が多い。ジクロウの祖父が美丈夫で通っていたはずではあるが、そこは唯一にして正妃であった祖母の血が色濃かったのだろう。彼女は容姿にしても心根にしても、とても褒められたものではなかった、というのが市井の評判だ。
「ローンレー夫人、お礼の文と何か気の効いたものを」
「かしこまりました」
宰相とユリがやり取りしている間、それをおもしろそうに眺めていたアンネローゼが、おっとりとリティに命令をくだす。それを受けたリティも、承知しています、とばかりにその準備にとりかかる。
「ああ、申し訳ありません、アンネローゼ様、そういったことは私が」
「いや、ギログラ宰相。ユリは私の侍女、主人である私が礼を尽くすのは当然のこと」
何かを言いたそうにして、それを飲み込んだユリは、この茶番劇とも思える政治的やり取りをただ見守るだけにした。
結局、リサゼルの従弟が今朝ユリを襲った連中の仲間だという証拠はどこにもないことに気がついたからだ。
「ユリは頭が良い。この世には理不尽なことはいくらでもある。それをいちいち騒ぎ立てるような浅慮な女は願い下げたところ」
「はぁ、まあ、無事でしたしね」
庶民代表のようなユリだが、ある意味理不尽な仕打ちには、ここの誰よりも遭遇している。
そもそもここに存在すること事態、大いなる理不尽ともいえる。
ユリが世話になったと、金髪優男のロラフェドへ見え透いた礼をいったところで、どうと言う感想も抱かない。そういう政治的やり取り、というのはいつの時代もどこの国でも必要なものだから。
「ユリは納得したかもしれないが、俺は全くもって納得していないんだがな」
今までユリに引っ付くのに一生懸命だったダレンが口を挟む。
「ごめん、ダレン。ダレンには心配しかかけてない」
あれ以来とりあえず一緒に暮らしてきた仲だ、この中の誰よりもユリにとってダレンは身近な存在だ。だからこそ、何かと厄介ごとに巻き込まれ、心配をかけてしまう自分自身の存在を少しだけ疎ましく感じている。
「や、ユリちゃんのせいじゃないし」
「確かに非はこちら側にある。よもやこのような手段をとるとは思いもよらなんだ」
アンネローゼは部外者であるダレンが失礼な口をきいたところで、驚きもしなければ怒りもしない。生まれ育ちの関係もあるが、この部分は彼女の資質によるところが大きい。
「直接的、すぎますよね。まあ、リサゼル様はあまり頭がいいとは言い難い方ではありますが」
「陛下とどっちが?」
「……ユリ様をただの侍女だと侮っていた、ということなのでしょうが」
ユリの素朴な疑問は聞かなかったことにされ、宰相が意見を述べる。
確かに、今回リサゼル側が関係していたにしては、そのやり方が直裁過ぎる感は否めない。
たかが侍女一人の命も口も、簡単に消せる、と思っているのかもしれないが。
「やはり、こちら側に与しないものがいる、というのは事実でしょうね」
最初に毒薬を渡した犯人は、ユリのことを見張っている、と彼女を脅迫した。
まさしくその通りに彼女は宰相直轄の施設からまんまと連れ出されてしまった。ただの侍女や、身分の低い文官などの中だけではなく、もっと高位の官職にも紛れ込んでいると判断するのが妥当だろう。
今の宮殿内の状態では、それが騎士団の上層部や、宰相直属の部下だとしてもさして驚きはしない。
「いいかげんユリを開放してくれないか?」
そんな政治的なやりとりなど一切興味がないダレンは、いらいらした様子で宰相に言葉を投げつける。
「ブランシェ様」
「元々そっちの勝手でユリを連れてきて、あちこち飛ばして苦労させて、で、今度は拉致?いいかげんにしてくれないか?」
ダレンはユリの身の上を聞いてから、彼女に心寄せることこの上なく、さらにはうっすらとまだユリを生殖器官として狙っている陛下のことを快く思ってはいない。そもそも宮殿内で働くことさえ、当初の彼は反対していたのだ。
そこへきて今度の騒動だ。
誰の子かは知らないが、側室であるアンネローゼは妊娠している。
ユリの存在にそれほど執着しなくてもよくなったはずだ、と、ダレンは考えている。
「いえ、それはもちろん申し訳なく思ってはいますが」
だが、宰相は宮殿の中にユリを置くことは剣呑だと判断しているが、だからといって唯一陛下と子を成せるユリを手放せるほどお人よしではない。何がしかの切り札にはなるだろう、と、その手札はできるだけ利用できる位置にて隠しておきたいのが本音だ。
リティやアンネローゼなどは個人的感情からユリを気に入っており、アーロナは罪悪感からユリを庇護下に置きたいと考えている。
皆それぞれに思惑は異なれど、ユリをどこかへやろうとは思ってもいないのが現状だ。
「確かに義理もないしねぇ」
報酬の点でこの職場を気に入っているのは確かだが、えげつないやりとりや人間関係の複雑さ、などに辟易していたユリは、ダレンの言葉に傾こうとしている。そもそもここにいる人間が原因で様々な困難に出くわしてしまったのだから、最初の感情からしていいものはもっていない。ただ、ユリのどちらかというと大雑把な性格のおかげでここに留まっているだけなのだから。
「それは私が困る。せめて子が生まれるまでは」
だが、ユリの決心はアンネローゼの一言であっさりと覆される。
常に堂々と、威厳のある態度を保っているアンネローゼだが、ユリに向かって年相応の、憂いのある表情をみせたのだ。
どちらかといえば情にほだされるユリが、それにひっかからないはずもない。まして彼女はユリを引き込んだ元凶ではないのだから。
こうしてユリはアンネローゼの子が生まれるまで、という条件でこの職場に残ることとなった。
それぞれのものが各々の理由で安堵した。
われながらうまくいったと、笑うアンネローゼと、それを十分理解していたリティがさらに彼女を引き止める作戦を練りながら。