翌日、元気よく職場へと出勤する途中、ユリは警備兵たちに取り囲まれ、あっという間に捕縛された。
理由もわからず、ご丁寧に猿轡さえ嵌められたのでは声すらあげることはできない。
腑に落ちないまでも、乱暴に縄で引きずられるようにして連れて行かれたのは、先日わけあって立ち入った建物の一つ、であった。
「ふーん、君、ね」
陛下をさらに劣化し、軽薄さを加えたような男、リサゼル殿下が直に床に座らされたユリを見下ろす。
その隣には従弟であるロラフェドがやはりユリに哀れみの視線を落としていた。
どういうことかわからないユリは、淡々とリサゼル付きの文官が読み上げる文言をただ聞いていた。
「そういうこと、言い訳は?」
猿轡を嵌められたままで言い訳ができるはずもなく、ただうめくことしかできない。
ユリの胸元を蹴り上げ、警備兵に連れて行くように命令をくだす。
息ができなくて、だけれども無理に屈強な男たちに縄でひっぱられながら、ユリはどこかへと連れて行かれた。
ぼんやりとだが意識を取り戻したのは、粗野な番人たちに拷問され、気絶し、再び尋問されるために起こされたときだった。
そのときにはすでに、陛下一味に対して八つ当たりめいた悪口雑言が思い浮かんでいた。
「どういうわけか?」
アンネローゼはリサゼルからの使いに咎めたてるような視線を送る。
ただの小娘、と侮っていた彼らは、彼女が発する威厳に怖気づき、それでも書状をたどたどしく読み上げた。
「ユリが、ニーノ様を毒殺しようとした、と?」
「はい、その通りです。リサゼル様の計らいで探索しておりましたら、こちらの侍女の容疑が濃厚になったと」
「証拠は?」
「あやしい瓶を持って歩いていたとの証言を得ております」
「それが毒物である、という証拠は?」
「いえ、それはまだ」
昨日ユリが脅迫されて渡された薬品瓶のことを指しているのだろう。だが、ユリはそれをこちらの部屋へは持ち込まず、すぐさま宰相の部屋へと持ち込んだはずだ。
彼女がそんなものを持って歩いていた、などという証言が入る可能性は低い。
「でしたらなぜ?」
「自白したと、リサゼル様が」
「自白?」
リティとアンネローゼが同時に驚愕の声を上げる。
やってもいないことにあのユリが自白をするはずはない。
「そちらはロラフェド様が証人であります」
「……そういうこと」
「失礼ですが……」
「私を首謀者だと、こうおっしゃりたいわけね?」
アンネローゼの言葉に、そう言いたかったはずの使いが押し黙る。
「ユリは最近あがったただの侍女です。アンネローゼ様には関係ありません」
リティが、奥歯をかみ締めながら使いへと言葉を返す。
「おそれながら、側室様はあのものを大層気に入っていたと」
「それとこれとは関係がありません」
「それに、こちらへは宰相殿もちょくちょく顔をお見せになると」
「宰相が身重の側室を見舞って、何がおかしいのかしら?」
「いえ、ニーノ様のところへはそう足しげく通っておいでではないと」
「リサゼル様がいらっしゃいますからね、遠慮申し上げたのでしょう、色々と」
ニーノとリサゼルの噂は、最近では誰も知らぬものがいないほど、裏に表に人々の口の端に上るありさまだ。それを揶揄した言葉なのだが、あまり頭のよくない使いは、ただそれだけでうろたえ黙り込む。
「とにかく、アンネローゼ様も私も関係ありません。処理はそちらへまかせますとお伝えください」
リティの冷たい言葉が響き、使いが引き返していく。
誰もいなくなったところで、ようやくアンネローゼが口を開く。
「ブランシェ殿へ」
「はい、ここでギログラ様におすがりしたら、さらにやっかいなことに。幸いあれほどの魔術師がいることを相手は気がついていません」
「それだけが我々の有利な点。活かさぬ方法はない」
リティは念のため、夫であるローンレーの元へ赴く。誰かに見張られていることを見越して、宮廷魔術師であるアーロナや、宰相のところへは近づかないようにしたのだ。
密かに彼女の意を受け、ローンレーと彼の信用の置ける従者がダレンを探しに町へと向かう。
町の子供に読み書きを教えていたダレンは、騎士の突然の訪問に沸き立つ子供たちをよそに、悪い予感を感じ取った。
それは、密かにローンレーと従者の後をつけてきた人間の気配によるものかもしれない。
すぐさまその人間を縛り上げ、ダレンはローンレーと共に酒屋の二階へと上がりこむ。
ユリには内緒でちょくちょく通っていた店だが、二階にはそれぞれ個室が用意されている。男女のそういう趣に使われることもあれば、こうやって密やかな話をする場合に用いられる、どちらかというと怪しい店だ。
日が明るいうちからやってきた男三人と二人に、驚きもせず主人は、最も奥まって、小さな窓が一つだけある部屋を明け渡した。
「で、どういうことだ?」
「ユリ様がリサゼル一派につかまりました」
「はぁ?」
「申し訳ございません。側室ニーノの毒殺未遂の疑いで」
「毒殺?あほか!」
「それは私どもが一番良くわかっております」
「だから早くあんなとこやめろって」
「本当に、申し訳ございません。ただアンネローゼ様も動けないありさまで」
「昨日のごたごたはこの布石ってやつか」
「そういうことだと」
リサゼル一派が考えたにしては稚拙な作戦は、結局ユリを嵌めるための布石、だったのだろう。
確かにユリは毒薬をもって宮殿内を無防備に歩いうえに、それを誰から渡された、ということを証明もできない。彼女が拉致された証拠はどこにもないのだから。
「目的はアンネローゼ様かと」
「まあ、そんなとこだろうな、ユリはただの侍女だから」
そう、ユリはただの侍女だ。
だが、アンネローゼ付きの侍女なのだ。
一介の侍女に過ぎない彼女が側室の毒殺を考えよう、などとするはずもない。自然とそこには、その主に対する疑惑が噴出する。
すでにリサゼルによってユリの疑惑が広められた宮殿内では、口には出さないまでも、アンネローゼを疑惑の目で見ているものがほとんどだ。
そんな状態で下手にユリを庇えば、その疑惑はアンネローゼにまっすぐ突き刺すように向かってくるだろう。
「で、この連中はどうすれば?」
「情報が欲しいのですが、あちら側にどの程度の魔術師がいるか」
「そういうのはあまり得意じゃないんだよなぁ。薬でもかがすか?確か魔術院にそんなのあっただろ?まあ廃人になるって噂だが」
「ですが」
「あー、いい、協力してやる。ちょっと行ってくる。そいつらは好きにしとけ、気絶しない程度に」
ダレンは姿を消し、初めてそのような魔術を目のあたりにした彼らは、驚愕した表情を浮かべた。
だが、その顔も、ローンレーの従者がもたらした切っ先により、また別の表情へと姿を変えた。
「さて、どこまで話してもらえますか?」
綺麗な笑顔のローンレーの声が静かに部屋に響いた。