帰還/第3話

「これで問題は先送りになりませんか?陛下」

先日、秘密裏に手渡された書簡を手にしながら、リティが陛下に進言する。

「確かに、あのお方の孫でしたら」
「賢君の子供の子供はこんなのだが?」

賢君の誉れが高い祖父、の直系子孫であるジクロウが自らを指す。
確かに、彼の父も、彼も、はっきりと凡庸だ。あの偉大なる王の血筋とは思えない。

「ですが、シルロー王の妹殿下はそれはそれは才女の誉れが高かったそうです」
「あの時大叔母様がついでおられれば、このような問題は起きなかったやもしれぬに」

先々代の王、つまりジクロウの祖父、シルロー王は、安定した王国をなおも豊かなものにするよう日夜努力し、また結果を残していった賢君だ。本人自身は、学を好み、剣を扱い、また、質素な生活を好んだ。さらには、それを周囲にも推奨し、あの頃の王宮は表向き、とても慎ましやかな生活をしていたそうだ。だが、肝心の正妃は、彼に隠れて散財を繰り返し、また、非常に奔放な人間でもあったようだ。彼女への貸付の証文、市井でのいざこざの書付、などをもみ消すのに、周囲の人間は多大な犠牲を強いられた。その血統を色濃く次いだのが、ジクロウの父であり、ジクロウである。父親の兄弟たちも、そのどれもが禄でもなく、残念なことにあの代でも消去法で彼の父は王となった。
その真逆を行くのが、賢君の兄弟たちであり、特に妹姫のセシル殿下は、神童の誉れ高く、また、本人も慎ましやかな性格なものの、学を尊び、武芸に精進する高潔な人間であったと語り継がれている。
一時は、あまりにもな跡継ぎ候補たちのかげで、彼女が王国を継ぐべき、という意見もあったほどだ。残念ながら彼女は、政治的ごたごたの後、さっさと幼馴染の貴族のもとへ降嫁していった。
その、大叔母からの密使がジクロウにもたらされたのは、スリリルを追い詰めていたときであり、それによって彼らに打開策を得た、と、宰相とリティは内心大喜びしている。

「セシル様の孫娘でしたら、それこそ陛下に相応しいかと」
「だが、そのものはまだ16歳だそうじゃないか。いくらなんでも幼すぎやしないか?」
「いいえ、私も先日お会いしましたが、ユリさまよりはよっぽど大人びてらっしゃいます」
「まして精神状態が」
「そのような柔な性質のお方ではありませぬ」

宰相の指示で、実際その娘に会いに行ったリティが、次々と陛下の意見に反論していく。
書簡によると、大叔母セシルのただ一人の孫娘は、現在誰とは知らぬ子をその腹に宿している、とあった。
それこそがまさに彼らの切り札であり、問題の先送りだ。
血筋的に彼女がジクロウの側室、いや、正妻に近い存在として宮に上がることに不都合はない。まして妊娠しているとあれば、ジクロウ自身の呪いも全く関係がなくなる。
一石二鳥とはこのことだ、と、宰相は思わず書簡を読みながら声をあげそうになるほどだった。

「いやしかし、父親は」
「それはもちろん存じております」

書簡では父親は不明、とあるが、もちろんそんなことはない。万が一その書簡が外に漏れた場合を考え、大叔母がそれとなくほのめかす程度に父親のあては記してあったからだ。
だが、その名は永遠に秘さなければならない。
王家のためにも、また、その大叔母の家にとっても。だが、その血筋だけは確実だ、恐ろしいほどに。
身重の孫娘を安全な場所へ移動させる。
醜聞も噂話も彼女の身に降りかかることなく、どうにかしてくれる存在として、ジクロウが選ばれ、大叔母はわざわざ疎遠となっていた彼に文を送ってきたのだ。
彼女の家は、娘しか生まれなかった上に、政治的に上昇志向がない大叔母の夫は、さっさとセシルを連れて隠居生活へと入ってしまい、またセシルの娘もそれに習って、穏やかで静かな生活を選んだ。
当然その問題の孫娘も田舎でのんびりと暮らしており、政治的表舞台に登ろう、などとは露ほどにも考えてはいなかっただろう。
だが、その田舎が、今回に限っては障害となる。
保守的で頑固な共同体において、その醜聞は大叔母一家にとっては耐え難いほど厳しいものであり、また、秘密裏に孫娘を嫁す、といった手段が行使できないほど、共同体内は密接に係わり合いをもっており、また縁遠くなったとはいえ王家縁の家柄もこの場合は邪魔となる。
まして、これほど倫理的に瑕疵のある相手ならば、だ。
だからこそ、凡庸だけれども、周囲は優秀で、適切な処置をしてくれる、という評判の彼らに縋ったのだろうが、それがよもや、王家に嫁す、などという荒業だとは思いもよらなかっただろう。

「満ちぬ間に生まれた、などと、仕込んだ日はいくらでもとりつくろえますが、できるだけ早くなさいませんと」
「そうですね、こちらはこちらで進めてしまいましょう。側室はお一人だけですし、まだお子を産み落としたわけではありませんので、元老院でもすんなりと可決されるでしょう」
「しかし」
「これ以上の策はございません」
「ユリが」
「ユリ様を無理やり組み敷くとおっしゃるのですか?」
「そういうわけでは」
「でしたら永遠に子などできません。いいかげん諦めてくださいませ。国のためです」

国をもちだされ、ジクロウが黙る。
彼はどこまでもこの国を愛している。
だからこそ、ユリを召還し、今度はまた子を宿した遠い親戚を娶ることになるだろう。

「ユリ様はいかがいたしましょう」

すっかりとユリにそういう期待をしなくなった宰相が、リティに話しかける。

「ブランシェ様と親しいようですから、できればブランシェ様に王宮で働いていただければ」
「そうね、そうすればユリ様も城下に留まってくださるかも」
「しかし、老師は我々が追い出したようなものですし、あの方がそうおいそれと宮仕えをなさるかといえば、大変難しいかと」

ユリの探索、という最大難関の仕事がなくなったアーロナは、気力も体力も十分な状態で会議に参加する。いくら腕が良い、といえども、あれほどの仕事はやはり、彼からあらゆるものを削りとっていく作業であった。

「いや、しかし、アーロナ殿のおっしゃる通りではありますが、それが最善の策かと」
「子は生まれてみるまで性別はわかりませぬし。あちらが男児、こちらが女児、でありましても、時間稼ぎにはなりますでしょう?」
「結局リティも私の呪いがそのままでもかまわないのだな?」
「陛下……。そういうわけではございませんが」

会議の輪からすっかりはじかれ、自分自身のことであるにも関わらず、全く関われないジクロウが、拗ね気味に口を挟む。

「そうですね、ユリ様が大変有益な策を与えてくださいましたが、お聞きになります?」
「おお、ユリが、ユリがか。やはりあのものはやさしいのう」

すっかり機嫌のよくなった陛下に、リティは綺麗な笑みでつきつける。

「陛下に刀を突きつけて脅せば、呪いは解かれるでしょう、だそうです。お試しになります?」

慌てて首を振り、会議はまた三人のやり取りへと戻る。
何もできない陛下と、やはり何もできない見張り役のリティの夫がうなだれる姿を残して。


9.3.2009
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