「陛下、高名な魔術師が謁見したいと」
「謁見?」
定例の朝の会議において、元老院の構成員が議題をすっかり終え、緩んだ空気の中、口にする。
「そのようなことをわざわざ陛下のお耳にいれなくとも」
一応大国の国王であるジクロウには、得体の知れない人間からの謁見願いは山程陳情される。
普段ならばそのようなことは、もっと下の組織で処理され、必要な分だけさらに上へ上へと回されていく。したがって、このような最終会議の場においては、そのほとんどが決定事項を述べるに留まり、余程の案件でもないかぎり、意見がやりとりされる、といったことはないのが実情だ。
「いえ、それが、無視できぬ者の推薦状を携えておりまして」
「して、名前は」
「はい、名はダレン=ブランシェ。グルセド老師の弟子だそうで、老師の推薦状ももっておりました」
最近悩ましげにちらほらと出ていた名前を聞き、思わず陛下と宰相が顔を見合わせる。
「すぐに手配をするよう取り計らってください。陛下もいいですね。魔術師は貴重ですから」
「ギログラ宰相はかのものをご存知で」
「もちろん、宮廷魔術師のサン殿から聞き及んでおります。留学中のスリリル様に勝るとも劣らない腕前だと」
ちなみに、数年前出奔したスリリルは、とある魔術師の下で体系的に魔術を学んでいる、ということで片付いている。
スリリル本家にしてみても、王宮中の人間にしても、彼女の存在は忌避であり、その姿が見えなくなったことに関して深く追求するものはいなかった。
謁見の段取りを早々にとりつけ、陛下は、久し振りにダレンとあいまみえることとなった。
「面を上げよ」
恭しく片膝をつき、頭をたれていたダレンが、その顔をあげる。
淡い茶色の髪を無造作に束ね、魔術師らしいローブをまとった姿が、陛下の視界へとうつりこむ。
「して、要件は」
必要最小限の人数に制限した謁見の間では、玉座より数段下に宰相と騎士団長であるジニルスが控えている。また、少数の文官と武官、また部屋の入り口には幾人かの女官の姿もみえる。
「返していただきたく」
正直なところ、ダレンがどのような口上を述べるかさっぱり検討がつかなかった陛下が、思わず素っ頓狂な声をあげそうになり、宰相に視線で窘められる。
「世はそちから何かを借りた覚えはないが」
「そうでしょうね、借りてはいませんね、あれでは」
話しの先が全くわからない陛下をおいて、ダレンは口の端を上げ、上に座っている陛下から視線をはずさない。
「黒い華を」
「それ、は」
当然それはユリを指す隠語だろう。
彼女はこの国では珍しい黒い髪と黒い瞳の持ち主なのだから。
「ええ、返していただきたく」
そんなものを知らない、と言い返せば腕のよい魔術師であるところのダレンがどうでるかがわからず、だからといって返す、とも言えない陛下は黙して宰相に縋る。
「あれはブランシェ様のものではないかと」
「いいや、あれは私のものです。見つけたのも救い出したのも私だ」
前回人食領主のもとからユリを救ったのは彼だ、まして王宮側は彼女を追い掛け回しては逃げられている立場だ。
「返事は三日以内。それまでは城下の宿に逗留しております」
「して、答えねば?」
「それはもちろん、そのように取り計らいますが?」
不敵な笑みを残して、彼は堂々と退出していった。
視線だけで後で会議をする、と合図をし、恭しい動作で陛下も退出する。
理解できないやりとりも、文官たちは適当に適切に文書に残すだろう。それが彼らの仕事であり処世術なのだから。
「困りましたね」
「ええ、さんざんその言葉を口にした気もしますが、困りましたね」
深夜、誰もが寝静まった後、いつもの顔ぶれが揃う。
宰相も騎士団長も本宮で寝起きすることも多いため、このあたりをうろうろしていたところで面倒なことにはならない。リティに関しては多少の小細工が必要だが。
「ブランシェ様はどの程度の腕をお持ちなの?アーロナ様」
「ええ、そうですね、何もかもできる方だと聞き及んでおりますが。ただし物理的なものに関しては私やジエンが、精神的なものに関してはスリリル様の方が上かと。ですがさすがに老師の直弟子と申しますか、王国では珍しい幻術を使いこなせるようです」
「とても釣り合いが取れた力をもってらっしゃるのね。正直なところ勝ち目は?」
「こちらへ入り込んでユリ様をどうこう、ということは難しいかと。ただしすでに何かを仕掛けられたとすれば、防ぐのは困難です。まして私はユリ様の側近くでは力が使えません」
「わざわざ謁見を選ぶ、ということから、仕掛けた可能性が高い、と」
「そうですね、結界があるとはいえ、ごく中心部以外ならブランシェ様なら突破可能でしょう。その後は物理的に歩いて探せばよいのですから」
普通は結界を破ってこの王宮内へ侵入することは不可能だ。
そのような能力を有するのは国でもほんの一握りで、まして物理的な魔術は体力的な消耗が激しいため、移動したとたん動けなくなって捕縛されるのがおちだ。恐らく現在では、ジエンやブランシェ、この場にいるアーロナぐらいだろう。そのジエンでさえ、スリリルと力をあわせてこちらを突破したにすぎない。
「それほどの能力者がなぜユリ様を」
「運命の人だと、老師がそうおっしゃったそうですが」
彼を知り、外でダレンと会ったことのあるアーロナは、その老師の能力がどれほどのものかも、残された記録により知っている。だから、彼の運命の人がユリだということを割りとすんなりと信じてしまっている。
「ですが、我々も問題は先送りであって、解決したわけではありませんので、いや、確かにユリ様にお子を、というのは色々と心情的にも問題はあるのは理解しておりますが」
次善の策が着々と整っている現状において、ユリをここに置いておく利点を見出せない宰相は、消極的にユリを市井へ出す方向へと気持ちが傾いている。もちろん、野放し、というわけにはいかないものの、できれば王国内に留まり、目の届く範囲内に普通に生活してもらったほうが隠し事は少なくて済む。
「私も、ユリ様はブランシェ様のところへ行くのが最善だと思いますが」
リティはもはや、縁戚の輿入れにより、全ては片がついたと認識している。
どうにかしてあの側室さえ廃せば、さらに問題は綺麗となるはずだ、と。
「ですが、そのままどこかへ逃亡されるおそれが」
「人質もとれませんしね、お二人では」
リティの前回の所業を知る彼らは、一様に目配せし、沈黙する。
「いっそ泣きつきましょうか?」
「泣きつく?」
「ええ、ユリ様はどちらかといえば情に流されやすいお方。追い掛け回さない、と約束すれば目の届く範囲内で暮らしてくださるかと」
「そんな簡単に?」
「移動がすきなわけではありませんから。ただ単に陛下の子を産むのがお嫌いなだけですので大丈夫かと。恨み言は全てスリリル様に対して向かわれている様子ですし。可能ならば王宮内で働いていただければ」
「ああ、それはいい考えですね。ユリ様はとても働き者でいらっしゃる」
「しかし、あの姿では」
「そこはアーロナ殿、は無理ですから、ブランシェ様に姿を惑わせる魔術でもかけていただければいいのでは?かなり上の文官としてでも、推薦状を出しましょう」
そういった物理的に作用する術、ではなく、視覚や聴覚を惑わす魔術を不得手としているアーロナが頷く。彼がやれば、ユリの髪はおそらく脱色したかのような金髪になる方向の魔術しかかけられないだろう。だが、それでは瞳の色はごまかしようがない。
「そういう手はずで」
「ブランシェ様が納得してくだされば」
「ユリ様からお願いされれば大丈夫でしょう」
心からの笑顔でリティが引き受ける。
やはり今回も取り残された陛下は、いつのまにかお気に入りのユリが放出されるというのに、何もいえないでいた。
「ということで、よろしくお願いします」
どういう篭絡をしたのかはわからないが、リティの泣き落としが効き、ユリは王宮内で女官として働き始めた。とはいっても、宰相の下に控える高位の文官たちの世話をするのが主な仕事である。
書類を運んだり、昼餉や軽食を用意したり、はたまた泊り込んだ彼らの衣類を整えたり。
下女の仕事よりは力仕事は無いが、基本的にはどれも人の世話を焼く仕事には違いない、と、すっかり慣れた手つきでユリははりきって仕事を始めていた。
帰ることは諦めた。
だが、陛下の子供を産むことだけは嫌悪していた彼女は、その可能性がなければ、どこででも仕事をしながら生活を楽しむ女だ。しかも、気を許したダレンと暮らせるのだから文句があるはずもない。
そのダレンは、王宮にあがるのをよしとせず、城下にて子供に読み書きを教えながら便利屋のような仕事をこなし始めた。ここでもやはりその有り余る魔術を利用する気にはなれないようだ。
ちなみに、あの謁見の場にて、ダレンはこっそりと陛下と宰相、騎士団長にまで軽い術いをかけていた。アーロナや他の魔術師たちが対抗すべく警護はしていたが、幻術、という魔術に関しては全く考えてもいなかったのが災いした。その類の術を使いこなせる人間は非常に数が少なく、また防ぐ手立てもあまりない。返答しだいでは彼らがはやり病にかかったようにみせる、という幻術を、だ。当然医者などが出入りをしはじめ、王宮内があわただしくなる。おまけに呪われていないアーロナはユリと一定の距離近づけば、その魔術が無効となるスリリルの呪いをかけられたままだ。物理的な腕は上とはいえ、遠隔操作ではその力を十分に発揮することはできない。その間に易々とユリを連れ去ろう、と考えていた。
その考えはユリがあっさりと「ここに住むし」という発した一言で覆され、彼は今こうして城下で暮らし始めている。
縁戚が嫁すまで残りわずか。
また、正妃がこちらへ嫁いでくるまで数ヶ月。
フィムディア王国はとりあえず平和だ。