「順調ですって」
側室からすっかり大きくなったお腹を撫でながらこういわれれば、普通の男ならば機嫌よく相好を崩すべきだろう。
だが、その腹の子が確実に自分の子ではないことを知っているジクロウは、複雑な表情を浮かべ、なんとか口角を上げ、それなりの雰囲気を保つことしかできないでいた。
元々恋愛感情で結びついた二人ではない。
遠い祖国からこの大国へ輿入れし、それなりの地盤を作り、今こうしてジクロウと対峙する姿勢は、生まれついてぼんやりしたまま王となったジクロウより、よほど肝が据わっている。
その点でも、正直なところ、この国に忠誠でありさえすれば、彼女、ニーノを政治の表向きへ職変えしたいほどだ。
だが、残念なことには、彼女は没落した実家ユーヴェス家の再興、および祖国での地位回復、最後にこの王国での確固たる地位を望み、この国のことなど一顧だにしない。
そのような心根だからこそ、リサゼルのような欲望まみれの人間と手を組めるのかもしれない。
ジクロウはぼろがでないうちに、と、そそくさと女官たちに囲まれ、ニーノの宮を退出する。
女官たちが離れ、次に警備の武官が側近くを警護しながら歩く。
さりげなく宰相が陛下へと近づき、わずかながらに武官が彼らとの距離をあける。
「宮には出入りしていらっしゃらないようですね」
「さすがに、それは。ここは私のところから割合と近いところにある」
王宮、と一言にいっても、フィムディア王国の場合は、広大な土地に点在する様々な棟や建物の集合体のことを指す。
最も大きいのが、ジクロウが住まうところで、王宮内の人間はそこをさしてただ単に宮、といい、その宮ではまだ別棟を賜っていない王家直系の人間や、正妃、王自身が住むことが多い。また、元老院や、彼らに直接関係する文官たちもそこで仕事をこなしており、まさしく王国の中心部がその宮に集中している。
それぞれ独立した王家の人間は、離れにそれぞれの館をもち、独立して生活している。ちなみにジクロウの母は、様々な事情から王宮内の土地に館をもてず、王宮から離れた土地に居を構えていた。
身分の低い、あるいは政治的配慮で離れに側室を置くことも多く、ジクロウの廃した側室二名も以前はそうであったかのように、残った一名も離れで生活を営んでいる。
ニーノが賜った館は、宮から最も近い位置にあり、彼女の私生活はそれぞれの思惑によって多くの人間によって監視されているといってよい。
その中で、他の男の子を宿す、などということをやってのけたのだから、彼女たちの動きを掴みきれなかった悔しさが、宰相にも滲みでている。
「ですが、どういうわけか、口の端に登り始めたようで」
「浮気が、か?」
「はい」
側室のことなど別世界のことと、あまり興味をもたない市井の人々だが、こういった話題に関しては、ことさら面白がる傾向にあり、真であってもなくとも、その手の噂はおかしな味付けをされ驚くほどの速さで広がっていく。
今回のことは、真実ではあるが、そのことを本当の意味で知っているのは陛下の周辺だけだ。おそらくニーノ本人ですら、腹の子の父親がどちらか、などということはわからないだろう。しかしながら、この手の下世話な噂のすごいところは、恐ろしいほど真実を言い当ててしまうことがある、というところだ。
まさしく今回巷で囁かれる噂は、その手の類だ。
さらには、浮気相手として名があがっているリサゼルの性癖やその困った資質が、その噂に一定の真実味を帯びさせているのだから始末が悪い。
リサゼルは女に酷くだらしがない。
それは子供のころから顕著であり、残念ながらその悪癖は今もって全く治る様子がない。
その割には、束縛されることを嫌い、ジクロウよりは身軽な身分であることも手伝って、現在は正妻しか持たず、あちこちに浮気をしに歩き回っている様子だ。
たちの悪いことに、市井の女を慰み者にするのが好きなこともあり、その手の問題の処理に、優秀な文官たちが振り回されることも多い。
そのような男だからこそ、元老院でも彼を王に推すことに強くは出られなかったわけで、結果としてジクロウにお鉢が回ってきたのだ。
「すでに子供までその噂を口にするほどで、それぞれの筋が現在火消しをしたり」
「わしはとんだ間抜け男ではないのか?」
「いえ、まあ、そんなことは」
さすがに、はい、とは言えない宰相は曖昧に口を濁す。
だが、面白おかしく寝取られ男、などと歌われている実態を知るにつけ、どうにかして尻尾をつかまなければいけない、という思いが強くなる。
「そうそう、あれは?」
「あれ?ええ、ああ、お健やかで」
さすがに声に出せないユリの存在を確かめる。
どういうわけか、陛下は陛下で、ユリの存在を好ましく思っている様子だ。
あれだけ嫌われて、大陸中逃げ回られたにもかかわらず。
「そのことでお話しが」
「わかった、取り計らってくれ」
深々と一礼して、宰相が陛下から離れる。
さりげなくまた武官が陛下への距離を縮め、周囲を厳しく警戒する。
ジクロウはどこへいくのにもこの状態であり、正直なところ、アーロナと一緒にユリを探しにいく旅を、心待ちにしていた。