とある領主との会話/第2話

「困りましたね」
「ええ、困ったもので」

本当に困っているのかわからない顔で、ジクロウ=フィムディア陛下が宰相やリティと顔を付き合わせる。
ユリに逃げられてから、相変わらず根を詰めて彼女の行方を捜している宮廷魔術師と、ここにいても全く役に立たないリティの夫を除く、いつもの仲間が、密談を交わしている。
最も、主に話すのは宰相とリティである。最近の彼女は、いつのまにか王宮内でも重要な地位を占める文官として活躍しており、こうやって宰相と話しをすることも不思議ではない。
だが、彼らには絶対に漏らしてはならない秘密があり、今話している内容はおろか、集っていることすら秘している。もちろんアーロナの魔術を用いて。

「いつかはこうなる予感はいたしましたが」
「そうね、怪しい動きはしていたし」

側室二人を廃した後、ただ一人居座ったままの側室がここのところ活発な動きを見せている、と、宰相配下の密偵が情報をもたらしたのは最近のことだ。
今まで目立った動きを見せていなかった彼女が、本格的に動き出した、と、その挙動に注視していたところ、とんでもない事実が彼らにもたらされた。
曰く、陛下のお子を授かったのだ、と。
彼女の口から直接もたらされたその事実は、ジクロウを驚愕させるには十分であり、あまり頭の良くない彼が、己の秘密を彼女に口走らなかっただけでも上出来だといえる。
つまりは、彼には現在生殖能力がない、という事実を、だ。

「しかし、正直に言うわけには」
「スリリル様のことを除いて子供ができぬ、といういいわけも使えませんし」
「ええ、王女は成していたわけですから、一応」
「困りましたな」
「ええ、本当に」

二人の視線にさらされ、ジクロウは机の下に潜りたい気持ちにかられている。どうやっても原因は彼であり、彼と彼女はそのことに起因して悩んでいるのだから。

「ですが、まあ、必ずしも男の子である、というわけではありませぬし」
「そもそも父親が誰か、ですが」

両者の厳しい視線にさらされ、陛下は慌てて首を振る。
国王の務めとして彼女の元へ訪れてはいたが、それは義務以上のものではなく、側室のことなど個人的には全く興味はない。彼女の態度が平素と違う、かどうかですら、ジクロウは判断できないだろう。

「まあ、検討はついていますが」
「あら?さすがは宰相殿ね。私も推理してみたのですが」

お互いの家柄から、様々な情報網をもつ宰相とリティが、同時に同じ名を口にする。
リサゼル=フィムディア
前陛下の数多い側室の子の名前を。
前陛下が政治的側面からいわれるままに側室を娶ったおかげで、子供の数は非常に多く、残念ながらほとんどが無能だ。そこそこましな頭脳は王女に現れることが多く、彼女たちは己の立場と知性をもって、婚姻という外交をきちんと履行している。
その無能ぞろいの王子の中において、彼はその筆頭をいっている、と今では市井にすら悪評が蔓延している。最悪なことは、リサゼルの母親、側室は、王家に次いで歴史のある家から嫁してきた人間であり、本来ならば正妃に据えられるべき立場であった、ということだ。
前陛下の正妃は、急激に悪化した国同士の関係を円満に解決するべく嫁してきた人間であり、リサゼルの母は、土壇場になり、正妃の座を奪われることとなった。そのことを恨み思っているのかいないのか、彼女が息子に期待することはこの国の王に納まることであり、それ以外のことにはまるで眼中にない。
ジクロウが玉座を継ぐさいにあたって、最も苛烈に反対したのが、彼女の実家であり、彼女自身だ。正妃に次ぐ立場である自らの子が、正当なる後継者であると、自負してやまなかったのだから。
そのころのやり取りは、当時まだ現役であったころのリイルの父や、現宰相の父、はたまたリティの父親たちの活躍で、なんとか最も無難なジクロウが王となることができたのだが、今でも火種がくすぶっていることは確かだ。
その曰くつきのリサゼルが父親である、ということは王国の平和にとって看過できない事実である。

「残念ながら証拠が」
「こちらも手を尽くしてはおりますが」

それぞれが手足となる密偵をもちい、彼らの動向を見張らせてはいるものの、敵も然るもの。当然、そのような手段をとられているだろうことは十分承知しているはずだ。

「生まれてしまえば、誰の子かなどわかりますまい。ましてご本人もどちらかまでは」
「陛下はリサゼル様と、とても似通っておいでですし」
「私はあんなに間抜け面なのか?」

陛下の素直な感想をことさら無視しながら、二人は話し続ける。

「こちらに養育権がありさえすれば、問題はないのですが。氏より育ち、と申しますし」
「それは無理でしょうね。おそらく乳母も奥方様の実家からお決めになるでしょうから」

王家の子供たちは、実母によって育てられることはない。
彼ら、彼女たちのほとんどは、幼いうちは乳母によって、ほどなくして、専属の教育係に養育され、教育される。
ジクロウは王宮の敷地内から出た場所で静かに育てられはしたが、もちろんきちんと養育係がついていた。彼女は有力な貴族からの推薦で採用され、それはアルティナの縁故作りの一環だ。

「せめて女の子なら」
「そればっかりは生まれてみないことには。まあ、それまではそれぞれできる範囲内で内偵するしかありませんでしょう」
「できれば生まれる前にきちんとしておきたいのですが」
「そうですね、できれば継承権が生じる前に」

お互いため息をつきながら顔を見合わせ、その話題についてはそれ以上意見を交換することはなかった。

「ユリ様、今度はどこへおいでなのでしょうか」
「あの方のたくましさには毎回感心させられます」
「どうしてあれほど嫌がるのか。子を産みさえすれば一生安寧に暮らせるというのに」

陛下の呟きに、リティがわずかに軽蔑の混じった視線を送り、宰相がそれに見ないふりをする。

「それにしても今回は時間がかかりますね」
「もともとああいう仕事には向いていないですからね、アーロナ殿は」
「今度こそはユリ様をお連れするか、スリリル様を捕まえないことには、輿入れまで時間がありませぬ」

ジクロウの正妃は、秘密裏に事が運び、来年にはやたらと歴史のある国から嫁すことが正式に決定している。

「ユリ様をお連れしても、他のものに子がなせないことには変わりありません。あのような一時しのぎの術などやはり使うべきではなかったかと」

リティはもはや誰よりもユリに同情している。
今のようにたくましく生活している彼女ではなく、ただ泣き暮らしていた彼女を知っているだけに、リティのユリへの同情心が消えることはない。

「リティ様、それでは片目を失ったアーロナが哀れすぎます」

アーロナは異世界から人間を連れてくる、という大掛かりな魔術を成功させる代わりに、その片目から光が消えた。それが全く意味がないものだと言われてしまえば、あまりにも彼がかわいそうだと、宰相は宰相で魔術師に肩入れしている。

「それでも、陛下に子が成せないのは変えようが無い事実でありましょう?このまま正妃さまがこられても、世継は望めませんし、まさか正妃になるような方に、この子を世継として認めてくれ、などとユリ様が生んだお子を託せるわけはありませんでしょうに」
「それは、リティ様のおっしゃる通りなのですが」

ユリを呼び出した当時は、側室が三人存在し、彼女たちには残念ながら男児が存在していなかった。そこへきてユリが男児を生み、適当な側室をたて、ユリの子をその彼女が生んだ子とすることができたのならば、その子は世継として認められる可能性が高かった。呪われ続けている限り、他の側室たちには子をもうけられる可能性がなかったのだから。
しかしながら、当時とは異なり、側室はニーノただ一人となり、彼女は現在ジクロウ以外の子を設けている。
このまま順調に側室に男児が誕生し、ユリの子も男児であった場合、そのどちらが世継として指名されるのかは非常に微妙な問題をはらんでいる。傀儡として立てた側室の後ろ盾しだいではあるが、そのような女性を都合よく、まして他の女が産んだ子を実子として扱うことを条件に担ぎ出せる可能性がどれほどあるのか。まして、家柄だけはニーノはすばらしく、そこに瑕疵を見出すことはできないのだから。さらには、側室を全て廃し、スリリルを呼び出す口実とする、といった話も、これで頓挫することとなる。さすがに子を成した側室を廃すのは、一筋縄ではいかない上に、そうこうしているうちに正妃がやってくる季節となるからである。

「ですから、もうユリ様のことは諦めになっては?」

陛下たちが諦めれば、ユリはどこかの空の下、たくましく生き続けられるだろう。追い掛け回すから、スリリルとの関係上ユリの生活も落ち着かないのだ。

「だが」
「陛下」

いくら凡庸であっても、子が成せない、という圧力に疲弊しつつある陛下は、ユリへはまた別の執着心を抱き始めている。
アーロナを信じるのならば、彼女は世継を生むに最適の存在なのだから。


8.13.2009
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