とある領主との会話/第1話

 その土地は一年を通じて穏やかな気候ながらも、以前に起こったとされる噴火のおかげで非常に貧弱な大地を有していた。一般的な作物を育てるには適さず、また、領民たちは希少価値のある作物を育てる技術も持たなかった。当然、人々の暮らしは貧しく、その温暖な気候とは裏腹に、領民たちはどこか鬱屈した雰囲気を醸し出していた。
だが、この貧しい土地にしか育たない小さな樹木の根から、痛み止めや熱さましとして有益な成分が抽出できることがわかるやいなや、この町は属する国の中でも一二を争うほど、豊かな町へと変貌していった。
その多大な恩恵を齎したのは、前領主であり、現在はその嫡男が、生薬の商いなどを取り仕切りながらも、領民たちへその財を適切に配分することを忘れない堅実な領主として収まっている。
過分な税を取り立てることもなく、過重労働を強いることもない領主は、二代続けて賢君の誉れが高い。
領民たちは気候と同じく、温暖な雰囲気となり、人々の行き交いも頻繁となった。その結果さらに富が領土へと落とされ、町は潤っていく。ただ、時折旅人の若者が行方不明になることを除けば、この町に影をおとす懸案事項は何もなく、おそらく、口々に領主のことを人々は褒め称えるだろう。
スリリルに飛ばされ、すぐに最も理不尽な目に出くわしてしまったユリを除いて。



「…呪ってやる、あの魔女」

腹の中では零れ落ちる言葉よりもはるかに口汚い言葉をつむぎながら、ユリは詰めたい石畳に視線を向ける。
足には頑丈な金属製の足枷がはめられており、ご丁寧にその先は積み重ねられた石でできた壁に固定されている。自由になる両手は、横たえた我が身を包み込むことしかできず、すっかりやせ細った体を感じながら、ユリは思い切り悪態をつき続ける。
前回、いつものように、唐突に飛ばされたユリは、今までで一番平和でのんきそうな町へとたどり着いた。
見渡した限り、たいした産業はないものの、それなりに人々は行き交い、どうにかたつきを得られることもできそうだ、と判断した彼女は、そうそうに農家の下働きの仕事をみつけることができた。
この町では唯一にして最大の生産物、生薬の栽培が盛んであり、人手がいくらあっても足りないのが幸いした。
これは運が良い、と内心喝采したのもつかのま、ユリは見知らぬ、しかしやたらと身なりだけは良い男にさらわれてしまった。
何かを嗅がされた、と思った瞬間には意識を失い、気がつけば今の状態だ。
今までの人生、牢屋というものを見たことがない彼女だが、これは誰がどうみてもそれだろう、と、力なく目の前に立ちふさがった鉄柵を見上げる。
どのような金属でできているのかは知らないものの、ユリの手で簡単に折れるようなものではなく、まして彼女には足枷が嵌められている。
どういう理由で捕縛されているのかは全く知らないが、どちらへ想像してもよいものではなく、まして全く人気がないのがよりいっそう彼女に暗い未来を想像させてしまう。
罪人ならば、見張りの一人もいるだろう。
それもなく、それどころかあたりに人のいる気配すらない。
どれだけ脱走することが不可能であったとしても、この待遇はあんまりだろう。
恐らく知られては困ることをしでかしているやつに違いない、と、半ば断言気味に、ユリは判断していた。
だからこそ、最悪の状態を想定し、スリリルに恨み言を呟いているのだ。



「元気そうですね、思ったより」

横たえていた半身を引き上げ、声のする方へ向ける。
歯軋りしたい気持ちを抑えながら、怜悧に見下す美貌の男を睨みつける。

「はは、気が強いね。たいていは泣いておびえるのに」
「うるさい、一体全体どういうつもり?」
「ふーん、おもしろいや。たまにはこういうのもいいね」

亜麻色の髪は綺麗に梳られ、彼のあごの線を隠すように流されている。
上等な上着は、暗い廊下で手の灯りに照らされ、白く輝いている。
どこからどうみても、特権階級であることを隠そうともしない男を観察する。

「何もしてないし」
「うん、わかってる」
「何もないし」
「でも、随分お金はためこんでるみたいじゃない?」
「あれは、あれは正当な労働の対価なんだから、とっとっと返してちょうだい」
「本当におもしろいね、あなた、こんなときにそんなものの心配するなんて」
「お金は大事に決まってるでしょ、命の次に」
「へーーー、そんなに困っているようには見えないけど」
「足枷をはずして自由にしてくれれば、もっと困らないけど」
「言うねぇ、でも、どのみちもうあなたには必要がなくなるものだから」
「は?」

繋がれた鎖を可能な限りひっぱり、ぎりぎりのところに立つ。
鉄柵のすぐ外に立つ彼には届かないものの、ようやくユリの目に彼の容姿を詳細に捉えることができた。
恐らく、美麗、とはこういうことをいうのだろう。少し垂れた目尻とガラス玉のような蒼い瞳、柔らかな顔立ちは、それでも力強い眉が、彼を十分男らしく引き立たせている。
瞬間見惚れ、すぐに取り直したユリは、彼を睨みつける。

「だって、あなた、もうすぐ食べられちゃうんだもん」
「食べる?」
「そう」
「何を?」
「あなたを」
「誰が?」
「僕が」

絶句したユリを男はあざ笑う。 人形のような美貌が、彼の中の酷薄さに彩を沿え、今までにない恐怖を味わう。
彼の言っていることは本当だ、と。
ユリは言葉もなく、ただ、その場に倒れ、あざ笑う男の声が石壁を反射し、牢屋内に響き渡った。


8.12.2009
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