とある領主との会話/第3話

「強情だね」
「水ぐらい飲ませろ」

すでに幾日経過したかもわからなくなるほど、ユリは石牢へ監禁され続けていた。
食料はおろか十分な水さえ与えられない生活は、徐々に彼女の体力を奪っていった。
今ではもう、犯人へ顔を向けるのがやっとの有様で、体は石畳に横たえたままだ。

「ここまで我を張った子っていないんだよねぇ、普通は最初に泣き出すはずだし」
「うるさい、ご飯よこせ」
「うーーん、ごめんねぇ。食料与えると味が悪くなっちゃうからさ」

さらりと、不気味なことを言う犯人へ、ユリは精一杯きつい視線を投げつける。

「ほんと、気が強いねぇ。見たところどこにでもいる子みたいだし、特別何かができるってわけじゃないみたいだけど」
「あんた、こんなこといつもやってんの?」
「いつも?いつもじゃないよ。僕は、獲物はじっくり堪能することにしているからさ」
「悪趣味」
「そう?でも人間なんて増えすぎて困ってるんだから、多少減ったところで誰も困らないんじゃない?それに君って僕の領地の子じゃないよね?」
「……あんた、領主?」
「そうだけど?君はうちの働き手じゃないからね、僕には何の損害もないんだ。だからゆっくりと丁寧に味わってあげるよ。君はどこまで正気でいられるかな?」

もはや何も言うべき言葉が見つからないユリが目を閉じる。
どれだけ泣こうがわめこうが、こいつはユリのことをただの食料としか見ていない、ということを十二分に理解してしまったから。

「もちろん、指は一つずつ。足の指だって一本ずつ丁寧に、ね」

悪意や狂気など全く感じさせない、普通の声音で領主が楽しげに話し続ける。
その間、ユリは絶望の淵へ落ちそうになりながらも、やはりスリリルをただ呪っていた。いや、陛下もまとめて、こちらへきて初めて、こちらの世界そのものを憎悪し始めていた。



「陛下、スリリル様の居場所がわかりました」
「リイルの?」
「はい、全く盲点でありました」

アーロナが宰相側の密偵を利用し、また本人自身の人脈を駆使した結果、あっけなくその居所が判明した。魔術によってではなく、宰相の密偵やリティの情報網から物理的にしらみつぶしにしていったおかげだろう。もちろん魔術師として学園とのつながりがあることも有利に働いた。スリリルが当時仲良くしていた魔術師候補を聞きだすことは、彼にとっては造作のないことだった。また、相手は一流の魔術師だが、魔術による介入ばかりを警戒し、密偵や実際の人の動きに疎く、身を隠さなければならないにもかかわらず、割合と無防備にその姿をさらしていたことも幸いした。

「スリリル様は城下におられます。ジエンという医者のところに身を隠している様子です」
「そのものは?」
「はい、魔術学校で同胞であった人間で、極端に転移や、移動の魔術が得意な人間であったようです。在学中はスリリル様とも非常に仲が良かったと、聞き及んでおります」
「その方は、スリリル様が陛下になすったことに関しては?」
「当然、知っているはずです。彼のような能力の魔術師が手を貸しているとすれば、合点がいきます」

リティの質問にアーロナが端的に答える。
どれほど考えても、あれだけのことをスリリル一人で行うことは不可能だと、そう彼は結論付けている。

「転移が得意となると、多少面倒ですな」

あまり魔術に関しては詳しくない宰相が、それでも目に見えてわかりやすい魔術に対抗する術を考えあぐねる。
どれほど用意周到に聞き込みをし、彼らの家へ踏み込んだところで、転移で逃げられてしまえば、何にもならないのだから。

「ええ、ですが、彼には両親がいます」
「ああ、人質をとればよろしいのね。早速私の方から手配いたしますわ」

アーロナの助言にリティがすかさず、現実的な判断を下す。

「ジエンは捕まえられましょうが、スリリル様までは」
「それでも、彼女の移動範囲は制限できますでしょ?」
「はい、それはもちろん。あの術は体力を奪います。今までのように我々がユリ様に接触したそばから、他へ転移させるようなことはできないかと」
「それでかまいませんでしょ、とりあえずは。一つ一つ確実にこなしていかなくては」

ただでさせ、今の王宮には側室の懐妊、という頭の痛い問題を抱えている。
さらには、おそらくその腹の子の父親であろう王継承権第二位をもつリサゼルの動きが最近活発であり、やっかいだ。
現主流派、宰相家、グラ家、スリリル家などから外れた有力貴族たちと頻繁に連絡を取り合い、密会を重ねている、という内偵はつかんでいる。その内容がどうあれ、秘密裏に会おうが、公で会おうが、非難されることはないのだが、そのつながりあった人選が、非常にきな臭い。

「まあ、元老院の仕組みを自分たちに有利に改革したい、というところでしょうが」

この国は王政ではあるが、国王陛下の下に元老院という組織を置いている。そこで国の政は合議にかけられ、決定されていく。
国王陛下といえども、たった一人で全てを決めてしまえる、というわけではないのだ。
現在のところ、その多数は、現主流派や彼らの息のかかったものが占めてはいる。しかしながら、それぞれが些細な瑕疵でも指摘され、人員が交代することにでもなれば、あっという間にその場は現陛下に不利な会議の場と化すだろう。リサゼル一派がそれを狙ってこないはずはない。

「それは、それとしまして。この件、リティ様におまかせしても」
「ええ、ようやく夫の風体が役にたってよ」

綺麗な笑顔を作るリティに、陛下は何か怖いものを覚えたが、口には出さなかった。
皆それぞれ、間抜けにも呪われた彼のために働いてくれているのだから。



「もうすっかり元気がないね」

気まぐれのように水だけを与えられ、ユリは辛うじて生き延びていた。
犯人、領主との邂逅は数を重ね、もはや意識が朦朧とし始めた彼女は、幾度目かもわからないでいた。

「これほど僕が足を運ぶことって今までにないんだよ、少しは光栄に思ってよ」

誰が思うか、という言葉は声になることはなく、ユリは沈黙したままだ。

「そろそろ、かな。もう前の子も頭が残るだけだし。最後までちゃんと堪能しないとね」

醜悪な内容を、そうとは感じさせない雰囲気で語る領主のことを、心底恐ろしい、と感じる。
本当の狂気、とは、意外とこういう人間のことをさして言うのかもしれない。

「ねぇ、少しぐらいさえずってよ、つまらないなぁ」
「やかましい、その口縫い付けられたくなきゃ、黙ってろ」

唐突に、第三者の声が牢屋に響く。
少し甲高い、少年ぽさを残した領主の声でも、すでに今は枯れ切ってしまったユリの声でもない、成人男性の声が。
ユリは辛うじて残った力を振り絞り、両目を声がするほうへと向ける。
すでに視界はぼやけ、その姿は判然としない。

「ごめん、ユリちゃん遅くなった」

(ダレン?)

彼の名前も、声にはならず、ただぼんやりとした輪郭を必死で追う。

「あんた、誰?」
「変態野郎に名乗る名前はないね」
「随分力のある魔術師なんだね。一応この城って結界が張ってあるはずだけど」
「そのせいで発見は遅れたがな。だが、あんなもの、気休めでしかないさ」
「そう、今度はもっと腕の良い魔術師に言って仕事をさせることにするよ」
「もう二度とユリに手をださなきゃ、好きにすればいいさ」
「そうするよ。僕はこう見えても身の程をわきまえているからね。手に余る欲求はもたないことにしているんだ」
「お前が何をやろうと、俺は興味はないが、いいかげんにしておいた方がいいぜ。報いってもんはいつ何時受けるかわからない」
「そうかな?僕には関係ないんじゃない?僕はそういう立場に立つ人間だから」
「ほざいとけ、ともかく彼女は連れて行く」

石牢にしっかりとつなげられた足枷をはずし、ダレンはユリと共に姿を消した。

「あーあ、久し振りにおいしそうな子だったのに」

領主の声だけが石牢に響く。
その後、何かのきかっけで、過去の人食が露見した彼は、ダレンの言葉どおり、その身に報いを受けることとなった。
残された領民たちは、皆それぞれに自治を守ることを決定し、以後、その領土においては、領主という立場のものを輩出することはなかった。

領主がいようといまいと、彼らは薬効高い植物を育て、その対価で村は賑わいをみせる。
何も変わらない光景が、続いていく。


8.17.2009
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