出会い/第2話

 翌朝、役所への届けや芝居小屋への荷物運びに追われる一座を尻目に、ユリはただひたすら暇をもてあましていた。
もちろん、戦力にならないどころか、足手まといとなる子供の世話をする、という名目ではあったが、ここの子供たちは、ユリよりもはるかにわきまえており、迷惑をかけることがない。
仕方なしに、彼女は、座長の妻に相談を持ちかけた。
つまるところ、芝居がかかっている間、外で働いてきてもよいか、と。
ユリが世話になっている一座は、誰もが知っている神話や戯曲、有名な醜聞、などを元にした芝居と、軽業などの曲芸ものを披露している。主だった上演時間は夕刻からであり、一日の仕事を終えた大人たちが、ほろ酔い気分でつめかける、というのがほとんどである。
ユリの仕事といえば、劇団員たちの食事の世話や、衣類の洗濯などが主であり、そのほとんどは当然上演時間にさしかかるころには終了してしまう。全く芝居に関係のないユリは、その余暇をどうやって消化しようと悩んでいたところなのだ。
今のところ賃金は必要ないけれど、それでも金が腐るわけではなし、いつなんどきどうなるのかがわからない身としては、少しでも稼ぐことができれば、それに越したことはない。
幸い、今滞在している街は大きなお祭りの最中である。一座も、それを見越してここへと移動してきたのだが、人が大挙として押し寄せてくる場所には、当然仕事が存在する。
屋台の売り子でも、飲み屋の給仕でも、金になればそういった労力を厭わないのがユリだ。
ユリの頼みは、すぐさま受け入れられ、彼女は人ごみの中を、注意深く観察しながら職場を物色する。
ほどなくして、中年夫婦が切り盛りする、やたらといかつい体をした男たちが飯をかきこんでいるような定食屋へとたどり着く。
量も、価格もそういう彼らにちょうど良いその店は、繁盛しすぎて、どこか殺伐としている。
見渡してみても、その二人しか従業員がいない。
ユリは、男たちをかきわけ、おかみと思わしき女性が運んでいる盆をとりあげ、彼女に笑いかける。

「祭りの間働きたいんですが」
「へ?」
「これどこですか?」
「入り口向かって右奥の机」
「了解」

戸惑ったものの、さすがに混乱しているとはいえ、これだけの人数を器用にさばいているだけはあり、彼女の反応は早い。
注文の品をとどけ、しらっと次の注文を届けている彼女に声をかける。

「相場知らないんで言い値でいいですよ」
「食事つき?」
「できれば。時間は夕刻からですが」
「昼も来て欲しいんだけど」
「…んーー、検討してみます」

商談を仕掛けている間にも、料理は次々とできあがり、ユリと彼女は黙々とそれらを運んでいく。
たまにほろ酔い気分の客に、口笛などをかけられたりもするが、それを笑顔であしらいながら、結局ユリは、相場だ、という彼女が提示する金額で働くこととなった。

「お疲れさま」
「ありがとうございます」

旅をしている身の上にとってはとても珍しい、冷やされた飲み物を受け取る。
どうやって冷やしているのかはわからないが、酒のうちいくつかの種類は冷たい状態で提供されていたことを思い出す。

「で、あなたどこの子?」

一番最初に聞かなければいけないことではないか、と、突っ込みたい気分を押し込め、ユリは劇団員たちにした嘘八百を並べ立てる。
両親がいないことも、身寄りが全くないことも、この世界では事実なのだから、今はもう何の後ろめたさも感じなくなってしまった。

「かわいそうに、こんなに若い身の上で」
「いや、若いと言うほどでは」

ユリが召還され、へたれから逃げ回ってすでに数年は経過している。
元の世界ではまだ若い、と言えるが、比較的婚期が早く、寿命が短いこの世界では威張って言えるほど若いとはいえない。

「苦労したのね」

涙もろかったらしいおかみと、その旦那は、目頭に涙を浮かべながら、彼女の嘘を信じ込む。

「あの、今は親切な劇団の人によくしてもらってますので」

あせりながらも、彼女は一応の今の身元引受人、とも言える劇団名を明かす。
おかみは、小さく驚いたあと、興奮しながら、ユリに、その一座のすばらしさについて語ってくれた。
全く知らなかったが、結構有名な一座、だったようだ、と、ユリは練習風景を思い起こす。
座長とその妻は、確かに見目も声も良い二人ではあるし、劇とやらも、おもしろい、と、あまりこの世界の話に詳しくはないユリでさえも理解できた。だが、こんな風に熱心に語られるほど、有名だとは思わなかった、というのが正直なところだ。
興奮状態のおかみに、一日分の賃金をもらいながら、ユリは一座のもとへと帰っていく。
定食屋は終わったとはいえ、さらに不健全な店はこれからがかきいれどきだ。
艶めいた女性がしなを作りながら、男たちを呼び、それに上機嫌で彼らが吸い込まれていく様子をあちこちで見かけることができる。
祭りの前、というどこか浮き足立った雰囲気と相まって、ユリが今まで滞在したどの町よりも活気がある、と、感じた。



「どうしてそんなに働くんだい?」

気持ちの悪い男が、気持ちの悪い格好をしながらユリへと近づいてきた。
気持ちの良い朝、久し振りの屋内で、しかもきちんとした厨房施設がある部屋で朝食の下ごしらえをしていたユリは、とても上機嫌だった。
当たり前のように隣で手伝うニアもご機嫌で、まさしくさわやかな朝、といった雰囲気を一発でぶちやぶってくれた優男は、そんな空気には微塵も気がついてくれない。

「……まだですよ」

欠食児童に対する扱いのように、ぞんざいに優男に言葉を返しながら、ユリはもくもくと野菜の処理にかかる。
設備がきちんとしているのだから、いつもよりましな食事をと、彼女はとてもはりきっている。

「こんなに手をあらしてまで」

いつのまにか近寄った優男が、取り出した軟膏をユリの手に塗ろうとする。
すかさずその手を叩き、下ごしらえへと戻る。

「食事の準備してるのに、そんなもの塗る馬鹿どこにいるっつーの」

胡乱なまなざしを優男にむける。
呆れ顔のニアは、ユリと優男を見比べながらも、しっかりと言いつけどおりに、野菜が投入される予定の鍋を抱えている。
予定通り、というべきか、もう飽きたとも言うべきか、やはり例の女優が優男を追いかけ、厨房へと顔をだす。
歯が軋むほど苦虫を噛み潰したような顔をして、ユリを睨みつける。
ユリはそ知らぬ顔をして、優男をけりだし、ようやく台所には静寂が戻る。

「懲りないね」
「ニアもああいう大人になっちゃだめだよ、大丈夫だと思うけど」

ニアは、賢い子供だ。
さすがに座長夫婦の子供なだけはある。
ただ、忙しさにかまけて、二人がかまってやらなかった分だけ、彼女は少し寂しがりやだ。
年若く、割とざっくばらんに話すユリ、と言う存在が珍しく、ユリが子供嫌いではなかったことも相まって、あっという間に二人は仲良くなってしまった。
どちらかというとニアがユリの後を一方的に追いかけている、というのが本当のところだけれど。

「今日もお仕事?」
「うん。だから先に寝てて」

ユリと一緒に寝る、ということが習慣化してしまった今、夕刻から働きに行くことへのためらいは、ニアの存在だけだ。
しかし、いつどこで自分がどこへ飛ばされるのかはわからない身とあっては、正直なところニアと距離を置きたい、と思っていたこともユリが働き出した理由のわずかばかりを占めている。
ユリはいい、慣れた、とは言わないけれども、この年数繰り返せばあきらめもつく。
だが、ニアにとって恐らく初めてとなるであろう、親しくなった人間が忽然と消える、といった事件は、ニアに、どういう影響を与えてしまうのか。
それを考えるにつけ、へたれ陛下の顔がユリの頭をちらちらし、振り払うべく料理に専念をする。
ニアに手伝ってもらった朝食は、殊のほか劇団員たちにも好評で、優男さえ自分の隣にいればご機嫌な女優も、今朝のやりとりなど忘れたかのように、ユリの料理に舌鼓をうつ。
こんな生活が、できればいつまでも続いてくれればいいのに。
幾度となく願ったその思いは、すでに社交辞令の言葉のようにユリには白々しく思え、それ以上考えることは、やめてしまった。


7.2.2009
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